軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第052話 エピローグ 家系図から消えた日から

家系図から自分を消した日から、二年が経った。

王都には、名前を返す日が定着した。

学校では、子どもたちが自分の名前の由来を聞く宿題をするようになった。救貧院では、名札の予備控えが標準になった。兵士名簿には事前自署欄が増え、貴族の婚姻契約には本人使用名の確認が義務づけられた。

すべてが解決したわけではない。

地方ではまだ、家長が名を握る家もある。名売買の残党も完全には消えていない。王宮改革に反発する貴族もいる。フェルゼンの思想を密かに支持する者もいるだろう。

けれど、以前とは違う。

誰かが「名前くらい」と言えば、別の誰かが「名前だから大事だ」と言うようになった。

それは、大きな変化だった。

わたしは今、名簿院の正式な名簿修復官になっている。

補佐ではなく、修復官。

辞令を受けたとき、マルタは泣き、トマは「出世したな」と偉そうに言い、リリアは花ではなく新しいインクをくれた。ノア様は、何も言わずにわたしの机へ温かい茶を置いた。

その静かな祝福が、いちばん彼らしかった。

リリアは自署名教室の主任協力員になった。

彼女とユリウス殿下は、一年前に再婚約した。ただし、以前とはまったく違う契約である。リリアはリリア・ベルレインの名を保持し、王太子妃候補ではなく、王宮教育改革の共同担当者として働く。婚約契約書は名簿院教材の第二巻に載る予定だ。

ユリウス殿下は王太子権限の一部を回復したが、名簿関連の単独決裁権は戻っていない。彼自身が戻す必要はないと言った。セレスティア王女との共同体制は続き、王宮は以前より少し面倒で、少し安全になった。

父カール・ベルレインとは、年に一度だけ会う。

母の墓標を改める手続きのためだ。

墓石には今、こう刻まれている。

クラリス・ミュラー・ベルレイン。

名簿院協力者。母。名を守った人。

父はその文字を見ても、何も言わない。

許したわけではない。

でも、母の名前を正しく刻むことに、父は反対しなかった。それだけは記録しておく。

セラフィーナの席には、今も花が絶えない。

ノア様は時々、妹の名を呼ぶ。返事は聞こえない日が多い。でも、木札が光ることがある。エレナ夫人はそれで泣き、ノア様は少しだけ困った顔をする。

白の名簿は、年に数回だけ開かれる。

災害、戦乱、名札の大量喪失。救済のために必要なときだけ、共同監査のもとで。開くたびに手続きは多く、署名は山ほど必要だ。

それでいい。

簡単に開く扉は、簡単に誰かを飲み込む。

その日、わたしは名簿院の窓口に座っていた。

若い女性が相談に来た。

「婚約者の家から、結婚したら亡くなった前妻様の名を継いでほしいと言われています。家のためだと」

彼女の手は震えていた。

わたしは椅子を勧め、温かい茶を出した。

「まず、あなたのお名前を教えてください」

「アイナ・ロスです」

「アイナさん。あなたは、その名を変えたいですか」

「いいえ」

「では、その拒否は記録できます」

彼女の目に涙が浮かんだ。

「拒否して、いいのですか」

「はい」

わたしは静かに答えた。

「名前は、ドレスではありません。誰かに貸して、返してもらえるものではないのです」

言ってから、胸の奥が少し震えた。

あの朝の自分の言葉。

今は、誰かを守る言葉になっている。

相談が終わると、ノア様が扉のところに立っていた。

「リネア」

「はい」

「昼食の時間だ」

「もうそんな時間ですか」

「君はまた食べ忘れるところだった」

「今日は忘れていません」

「本当か」

「たぶん」

彼は少し笑った。

わたしたちは中庭へ出た。

楡の木の下、セラフィーナの席の近くに、二人分の昼食を広げる。蜂蜜を塗ったパン、豆の煮込み、香草茶。北門守備隊から届いた干し肉も少しある。

ノア様はパンを差し出した。

「リネア・エレノア」

「はい」

「今日もよい仕事をした」

その言葉に、胸が温かくなる。

「ありがとうございます、ノア・アステル」

わたしはパンを受け取った。

春の風が吹く。

名簿院の窓から、マルタの声が聞こえた。

「次の方、お名前をどうぞ!」

その声に、誰かが答える。

新しい名前が、今日も記録される。

家系図から消えた日、わたしはすべてを失ったと思った。

けれど、消えたことで、奪われなかったものがある。

母がくれた名。

自分で選んだ名。

誰かに呼ばれる名。

誰かの名前を守る手。

そして、隣に並ぶ名前。

わたしはもう、ベルレイン家の長女ではない。

王太子の婚約者でもない。

名簿院修復官、リネア・エレノア。

この名前で、わたしは生きている。

名前は、わたしのものだ。

そして、これから出会う誰かの名前も、その人自身のものなのだ。