軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第034話 ベルレイン伯爵の責任

ベルレイン伯爵家への調査は、白紙病の収束後すぐに始まった。

容疑は複数あった。本人同意のない名譲り強要。偽名札装着。抹名後の旧名照会圧力。使用人給金名簿の不備。そして、フェルゼン侯爵との過去の書簡。

父は、すべてを「家のため」と説明した。

名簿院の聴取室で、彼は疲れた顔で座っていた。以前のような威圧感はない。白紙病の影響はほとんど回復したが、個人名を呼ばれるたびに少し反応が遅れる。

聴取には、わたしも立ち会った。

被害者としてではなく、名簿院職員として。けれど、それが簡単なわけではない。

父はわたしを見た。

「エレ……いや、リネア」

名前を言い直した。

それだけで、胸の奥が妙に痛んだ。

「何でしょう、ベルレイン伯爵」

「お前は、なぜそこまで家を憎む」

わたしはしばらく黙った。

憎む。

そう言われると、違和感があった。憎しみは確かにある。でも、それだけではない。悲しみ、諦め、怒り、懐かしさ、母の思い出。全部が絡まっている。

「家を憎んでいるから、証言したわけではありません」

「では、なぜだ」

「同じことを繰り返さないためです」

父は苛立ったように机を叩いた。

「貴族の家には責任がある。家を守るために個人が我慢することは当然だ」

「個人の名前を奪うことは、我慢ではありません」

「お前は昔、もっと聞き分けがよかった」

「聞き分けがよかったのではありません。諦めていただけです」

父の顔が歪んだ。

「父親に向かって」

「伯爵。聴取中です」

ノア様の声が入る。

父は唇を噛んだ。

少しの沈黙のあと、彼は低く言った。

「私は、家を守りたかった。ベルレイン家は古いが、近年は力を失っていた。王太子妃を出せば、家は立て直せる。リリアは殿下に愛されていた。お前の名を使えば、すべてうまくいくと思った」

「わたしは?」

短く聞いた。

父は目を逸らした。

「お前は強い。どこでもやっていけると思った」

「強い人なら、奪ってもいいのですか」

父は答えない。

「お母様が亡くなってから、家の名簿を直していたのはわたしです。使用人給金、祝福紋、王宮儀礼、リリアの髪飾り。強いからではありません。誰もやらなかったからです」

言葉が止まらなかった。

「お父様は、それを仕事だと思わなかった。わたしが名前を差し出すことも、当然だと思った。わたしが消えて初めて困ったのは、わたしが娘だったからではなく、家を動かす便利な名簿師が消えたからです」

父の顔が白くなった。

「違う」

「違うなら、わたしが何を望んでいたか、一つでも覚えていますか」

沈黙。

父は何も答えられなかった。

わたしは息を吐いた。

期待していなかった。けれど、少しだけ痛かった。

ノア様が記録を確認する。

「ベルレイン伯爵。あなたには、名譲り強要および偽名札使用に関する責任があります。爵位剥奪は貴族院の判断ですが、名簿院としては一定期間の家系図監査と名簿業務停止を求めます」

「名簿業務停止?」

父が顔を上げる。

「家の名を管理する権限を一時停止し、第三者名簿師の監査下に置く。使用人給金や領地倉庫など生活に関わる名簿は保護対象として維持しますが、婚姻、名譲り、相続に関する操作はできません」

父は呆然とした。

家長にとって、家系図を管理できないことは大きな屈辱だ。

けれど、それは名前を奪う罰ではない。権限を制限し、被害を防ぐ措置だ。

「私は、家長だ」

「家長であることは、家族の名を所有することではありません」

ノア様の声は冷静だった。

父はわたしを見た。

「リネア。お前からも」

「名簿院の判断を支持します」

はっきり言った。

父は目を閉じた。

老けたな、と思った。

でも、その老いに同情して自分の傷を小さくするつもりはなかった。

聴取の最後に、父は小さく言った。

「クラリスが、私は間違っていると言ったことがある」

母の名前。

父の口から出た瞬間、空気が変わった。

「いつですか」

「お前が生まれた年だ。聖女名を家のために使うな、と。私は、家のために生まれた名だと思っていた。彼女は怒った。あんなに怒ったクラリスを見たのは、後にも先にもあの時だけだ」

父は机を見つめた。

「私は、彼女の言葉を忘れたふりをした」

謝罪ではない。

けれど、記録すべき告白だった。

「その発言も記録します」

わたしは言った。

父は頷いた。

聴取室を出ると、リリアが廊下で待っていた。

「お父様は」

「処分を受けます」

「そうですか」

彼女は泣かなかった。

ただ、深く息を吐いた。

「わたし、ベルレイン家を出ようと思います」

「どこへ?」

「名簿院の保護宿舎から、救貧院の自署名教室を手伝えないかと。わたし、字を教えることならできます。名前を書く練習も」

驚いた。

かつて王太子妃になりたがった妹が、救貧院で子どもに字を教えたいと言っている。

「大変ですよ」

「はい」

「華やかではありません」

「華やかな場所で、わたしは自分の名前を見失いました」

リリアは少し笑った。

「今度は、小さな机で名前を書くところから始めたいです」

その言葉に、胸が温かくなった。

「名簿院に相談しましょう」

「ありがとうございます、リネア様」

妹は、もう姉の名を欲しがっていない。

自分の名前で、誰かの名前を支えようとしている。

それが、わたしにとって何よりの変化だった。