作品タイトル不明
第024話 名を持つ者たちの行進
公開審理の前日、名簿院の前に人が集まり始めた。
最初は救貧院の子どもたちだった。
トマが先頭に立ち、自分の名を書いた木札を首から下げている。ミアは歌を記録した小さな糸巻きを持ち、サナはパンの絵を描いた名札を握っていた。
次に、北門守備隊が来た。
非番の兵士たちが、厚手の外套を着て整列する。グレン隊長は、わたしが直した冬期倉庫名簿の写しを持っていた。
それから、下町の人々。
洗濯女ミラ、靴磨きの少年、移民の母親、老いた職人。自署名日に自分の名前を書いた人々が、それぞれの控えを持って名簿院の前に立った。
誰かが呼びかけたわけではない。
噂が広がり、自然に集まったのだ。
マルタは受付から外を見て、目を丸くした。
「これは……行進ですか?」
「抗議ではないのですか」
「たぶん、応援です」
応援。
その言葉に、胸が熱くなった。
名簿院の前庭に出ると、人々がこちらを見た。
そして、一人ずつ自分の名前を言い始めた。
「トマ・ミエル!」
「ミア・ロッテ!」
「グレン・バルク!」
「ミラ・コット!」
声が重なる。
それは叫びではなく、確認だった。
わたしはここにいる。わたしの名前はこれだ。誰にも勝手に変えさせない。
名を持つ者たちの行進。
彼らは名簿院から王宮前広場まで歩くつもりらしい。公開審理は王宮の外廷で行われる。貴族だけでなく、一定数の市民も傍聴できる。その枠を求めて、彼らは自分の名前を持って行くのだ。
ノア様が隣に立った。
「驚いたか」
「はい」
「君の仕事の結果だ」
「わたし一人の仕事ではありません」
「そうだ。だが、始まりの線は君が引いた」
わたしは前庭の人々を見た。
名前は、誰かの家系図に美しく書かれるものだけではない。粗い木札、歪んだ字、歌、絵、兵士の署名、洗濯女の震える文字。どれも名前だ。
トマが走ってきた。
「リネアさん、一緒に歩く?」
わたしは少し迷った。
名簿院職員として、公開審理の準備がある。証拠も整理しなければならない。
けれど、ノア様が言った。
「三十分なら時間を作れる」
「よろしいのですか」
「行進を記録するのも仕事だ」
マルタがすでに帳簿を持っていた。
「はい、仕事です。すごく仕事です」
わたしは笑った。
そして、トマの隣に立った。
王都の通りを歩く。
先頭には子どもたち。次に下町の人々。北門の兵士たちが左右を守る。名簿院の職員が後ろで記録を取る。派手な旗はない。ただ、それぞれが自分の名前を持っている。
通りの人々が驚いて足を止めた。
「何の行進だ?」
「名簿院の自署名だって」
「名前を勝手に変えさせるなってさ」
誰かが拍手をした。
小さな拍手は、やがて通りのあちこちに広がった。
王宮前広場に着くと、すでに貴族の馬車が並んでいた。彼らは行進を見て眉をひそめる。平民が自分の名前を掲げて王宮前に集まるなど、今までなかったことだからだ。
フェルゼン侯爵の支持者らしい貴族が、嫌そうに言った。
「名もなき者たちが騒がしい」
トマが聞いてしまった。
彼はわたしの袖を握ったが、すぐに離した。
そして、貴族の方へ向かって大きな声で言った。
「俺は名もなき者じゃない。トマ・ミエルだ!」
広場が静まった。
ミアが続いた。
「ミア・ロッテ!」
サナも小さな声で。
「サナ・ピリカ」
次々と名が響く。
名もなき者たちではない。
名を奪われかけても、自分で名乗る者たちだ。
わたしは胸元の名札を押さえた。
エレノア。
リネア。
わたしも、自分の名前を言うべきだと思った。
広場の中央で、わたしは声を上げた。
「リネアです」
人々がこちらを見る。
「名簿院職員リネア。自分の名前を自分で選びました」
その瞬間、広場のどこかで淡い光が揺れた。
名の糸が、人々の声に反応している。
ノア様が隣で小さく言った。
「白の名簿が、遠くで聞いているのかもしれない」
公開審理は明日。
フェルゼンは、大きな流れは止められないと言った。
けれど、今ここにある流れは、彼が思うものとは違う。
一人一人が自分の名前を持って歩く流れ。
その流れの中で、わたしは初めて、白の名簿を開くことが怖いだけではなくなった。
正しく開けるなら。
本人の名を本人へ返すために開けるなら。
その扉の前に立つ覚悟が、少しずつ形を持ち始めていた。