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作品タイトル不明

第019話 王妃の条件書

王妃からの書面は、三日後に届いた。

厚い羊皮紙が二十枚。共同管理協定案、白の名簿閲覧規則、署名権者一覧、違反時処分、機密保持条項。さすが王宮の書記局が作った書類で、形式は整っている。

問題は、中身だった。

「本人同意条項があります」

わたしは読みながら言った。

「ただし、国家非常時においては王と王妃の連名により一時停止可能」

ノア様が続ける。

「強制名譲り禁止条項があります」

「ただし、王国存続に重大な支障がある場合は、名簿院長の承認をもって例外を認める」

「旧名照会禁止条項があります」

「ただし、白の名簿の鍵保持者については例外」

マルタが顔をしかめた。

「ただし、ただし、ただし。これ、全部抜け道ですね」

「はい」

わたしは赤い印をつけた。

書類は丁寧に見える。王妃は約束を守るように見せている。けれど、重要なところに例外がある。しかも、その例外を判断するのは王宮側だ。

これでは、本人同意は飾りになる。

「差し戻します」

わたしは言った。

「修正案を書くか」

「はい」

ノア様は紙を新しく出した。

わたしは一条ずつ書き換えた。

国家非常時であっても、本人同意を完全停止してはならない。本人が意識不明の場合は、事前自署控え、家族証言、第三者名簿師の三重確認を必要とする。白の名簿の鍵保持者についても、旧名照会は本人の書面同意なく行わない。強制名譲り禁止に例外を設けない。

王宮書記局が嫌がる文章だろう。

でも、嫌がられるくらいでなければ意味がない。

「王妃陛下は怒るでしょうか」

わたしが尋ねると、ノア様は淡々と答えた。

「怒るだろうな」

「やはり」

「だが、君の案の方が聖女の原則に近い」

それで十分だった。

修正案を送った翌日、王妃から返事が来た。

面会希望。

今度は名簿院で。

王妃が名簿院を訪れるなど、異例中の異例だった。職員たちは朝から廊下を磨き、マルタは受付机の上の紙を三度揃え直した。

王妃オレリアは、少数の護衛と女官長だけを連れて来た。

名簿院の古い石壁を見上げ、彼女は少し懐かしそうに言った。

「昔、ここへ来たことがあります。まだ王太子妃になる前に」

ノア様の表情は硬い。

「フェルゼン侯爵に連れられて、でしょうか」

「ええ」

王妃は隠さなかった。

「あなたの妹の件について、私は無関係ではありません」

応接室の空気が凍った。

ノア様の手がわずかに動く。

わたしは息を詰めた。

王妃は続けた。

「あの時、私は若く、白の名簿を開けば国を救えると信じていました。フェルゼンは、少し名を借りるだけだと言った。セラフィーナ嬢にも名誉なことだと」

「それで、妹は消えた」

ノア様の声は低かった。

「ええ」

「あなたは止めなかった」

「止めなかった。止めるだけの勇気も、知識もなかった。だから、私はあなたに許しを乞う立場ではありません」

王妃は頭を下げなかった。

謝罪とも違った。

けれど、初めて彼女の言葉から政治の仮面が少し落ちた気がした。

「セラ様は生きているのですか」

わたしが尋ねると、王妃は目を伏せた。

「分かりません。ただ、名札の一部はフェルゼンの手に渡りました。彼は今も、白の名簿を開くために失われた名を集めている」

「ロアンはフェルゼン侯爵の手の者ですか」

「おそらく」

「契約書に王妃陛下の紋章がありました」

「私の旧印です。八年前の実験時に使われたもの。フェルゼンが持ち出したのでしょう」

すべてを信じていいかは分からない。

でも、話がつながった。

王妃は、自分の失敗を隠すためではなく、フェルゼンに白の名簿を奪われないためにわたしへ近づいたのかもしれない。もちろん、それでもわたしを利用しようとした事実は消えない。

「王妃陛下」

わたしは修正案を机に置いた。

「この条件でなければ、わたしは白の名簿に関わりません」

王妃は書類を読んだ。

長い時間だった。

読み終えた彼女は、わたしを見た。

「厳しい条件ね」

「はい」

「非常時には動きが遅れる」

「人の名を奪うよりましです」

「王が反対するでしょう」

「王が反対するなら、白の名簿を開くべきではありません」

王妃はしばらく沈黙した。

やがて、小さく笑った。

「あなたは本当に、聖女エレノアに似ているのかもしれない」

「わたしはリネアです」

「ええ。だからこそ、似ている」

王妃は署名欄へ手を伸ばした。

女官長が驚いて止めようとしたが、彼女は首を振った。

「王妃オレリアとして、この修正案を王宮協議へ持ち込みます。今ここで全承認はできません。けれど、私個人の同意署名を置きましょう」

彼女は署名した。

王妃の名が、名簿院の羊皮紙に結ばれる。

その瞬間、部屋の糸が少しだけ揺れた。

ノア様は署名を見つめていた。

八年前の妹の件を、簡単に許すことはできないだろう。許す必要もない。

王妃もそれを分かっているようだった。

「アステル公爵」

「何でしょう」

「セラフィーナ嬢の名札の残片を、王宮から探します。見つけたら、名簿院へ渡す」

「なぜ今になって」

「リネアが、例外のない条項を書いたから」

王妃はわたしを見た。

「誰かが止めなければ、私はまた例外を作るところでした」

彼女が去ったあと、応接室には疲れた沈黙が残った。

マルタが小さく言った。

「大人の反省って、遅いですね」

わたしは思わず笑いそうになった。

ノア様も、ほんの少しだけ目を伏せた。

「遅くても、記録する価値はある」

彼は王妃の署名を確認し、名簿院の保管箱へ入れた。

わたしはその手元を見ながら思った。

敵と味方は、名前ほど単純ではない。

でも、署名は嘘をつきにくい。

王妃の署名が、本当に彼女の変化になるのか。

それは、これからの行動で確認するしかない。