軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

求婚

時は移ろい――

エレネシア世界は潰え、ミリティア世界へと生まれ変わった。

かつての亡霊と姫の想いが届き、霊神人剣が宿命を断ち切ったか、あるいはそれ以上の奇跡が重なったか、その世界には樹理四神を始めとする輪廻の秩序が存在していた。

その秩序と魔法律により、セリス・ヴォルディゴードが目指した< 転生(シリカ) >は、当たり前のように完成を果たしたのだ。

それから、幾星霜を経て――

神話の時代。

魔族の国ディルヘイドに一人の女の子が生まれた。

その時代では転生する魔族は珍しくなかったが、両親は当初彼女が転生者だとわからなかった。

魔力はさほどではなく、普通の赤子にしか見えなかったからだ。

唯一の片鱗は、生まれたときから雨音が嫌いだということ。

雨が降る度に、その子は大きな声で泣いて、どれだけなだめすかしても泣き止むことがない。

けれども、不思議なことに雷が鳴り響くと、きゃっきゃきゃっきゃと声を上げて喜ぶのだ。

両親の愛のもと、女の子は健やかに成長していく。

そして、彼女が言葉を覚え始める頃、ルナという単語を口にすることが多くなった。

最初は誤った発音しているのだと両親は思っていたが、やがてそれが彼女の名を指していることに気がつく。

それが前世の名だとすれば、彼女には転生者の可能性があった。

しかし、ルナは姓を覚えておらず、前世の記憶も朧気だった。

従来の< 転生(シリカ) >ならば、前世の記憶は転生の完了とともに戻るはずだ。

だが、不思議なことに、ルナは成長とともに少しずつ記憶を思い出していった。

六歳になる頃、ようやくはっきりしたのは彼女が遙か昔の世界に生まれたということ。

強大な魔力を持つ魔族は、一〇〇〇年、二〇〇〇年単位で転生することは珍しくないが、彼女の故郷の記憶はディルヘイドのどこにも当てはまらない。

ルナが思い出したラーカファルセイトという国の名は、歴史書にさえ記されていなかった。

記録に残されないほど太古の昔、ルナが当時は不完全な< 転生(シリカ) >にて転生したものと両親は結論づけた。

そうして、日々、新しい記憶を思い出していくことに戸惑っていた彼女に、父と母は転生についての説明を行う。

すると、ルナは涙を流した。

理由を尋ねても、「わからない」と彼女は言う。

悲しいわけではない。

だが、記憶を忘れたルナにはそれがわからず、ただ涙をこぼすことしかできない。

わけもわからず泣き続けるルナを、母と父は優しく抱きしめてくれた。

転生者とその実の両親は、通常の親子とは違い、一線を引いた関係になることも多い。

前世の記憶があるためだ。

だが、親子関係が完全に破綻することはさほどなかった。いつか自分も転生することがあると思えばこそ、転生してきたその子をありのままに受け入れるという文化が育っていたのだ。

成長とともに少しずつ記憶を思い出していくルナは、ずっとなにか大事なことを忘れているような気がしていた。

誰かを捜さなければならなかったように思うのだが、記憶にはいつももやがかかっている。

代わりに強い衝動があった。

責め立てるような、脅迫するような、そんな渇望に突き動かされ、家を飛び出そうと思ったことは数知れない。

だが、転生が不完全だった子供が一人外へ出て生きていけるほど、その時代は甘くはなかった。

エレネシア世界と同じく、戦乱は長く続いており、力ない魔族は簡単に死んだ。

両親は決して強い魔族ではなかったが、耳が早く、遠くを見通す 魔眼(め) を持っていたため、生き延びることができた。

彼らが暮らしていたのは、 大食王(たいしょくおう) バルマンが納める農耕都市デルアーク。

バルマンはその二つ名に相応しく、桁違いの大食らいであり、デルアークで生産されるすべての食料を一人で食らい尽くす。

肥沃で広大な大地、住民のすべてがなんらかの食物を生産する農民にもかかわらず、デルアークの住人は常に飢えている。

大食王バルマンが税として、生産した食料の殆どを徴収してしまうからだ。

だが、それと引き換えに、デルアークは、神話の時代でも屈指の実力者であるバルマンの庇護下にあった。

食料を差し出してさえいれば、デルアークの民たちは他の凶暴な魔族から守ってもらえる。

満腹のときのバルマンは、温厚で慈悲深かった。

両親の力では、子供を連れながら、戦乱のディルヘイドを生き延びることは難しい。

それゆえ、飢えるのを覚悟で農耕都市デルアークへやってきたのだ。

いつもルナの家の食卓に並んでいたのは、パンが二切れとじゃがいもが一個だけ入ったスープだ。

「ごめんな、ルナ。今日もこんなものしかなくて」

申し訳なさそうに父が言う。

「さあ、冷めない内にお食べ」

笑顔で母が言う。

「おとーさまとおかーさまの分は?」

ルナが尋ねれば、にっこりと二人は笑う。

「いいんだよ、今日はもう食べたから」

「ほら、ルナ。早く食べて。バルマンの兵に嗅ぎつけられたら、大変なことになるわ」

父と母は、隠し通した数少ない食料の殆どを娘のルナに与えていた。

何日も食べず、どれだけ飢餓に襲われても、土を胃に入れて空腹をしのぎ、彼女が成長するのを待った。

歯が折れそうなぐらいに堅いパンと、味気ないスープを、ルナは一生忘れることはないのだろう。

「美味しいわ」

彼女がそう言うと、両親は嬉しそうに笑った。

「よかった。ルナが大きくなったら、この街から一緒に出よう。そうしたら、もっと美味しいご飯を食べさせてあげられるからね」

一人食事を取るルナを、母と父は穏やかに見つめ、繰り返しそう言って聞かせた。

いつも飢えていたはずなのに、そんな姿は微塵も見せず。

それは両親の愛であり、優しさだった。

衝動に従い、いるかどうかもわからない誰かを捜しに行ってはいけないのだと彼女は漠然と思った。

良い子でいなければならない。

母と父が笑顔でいられるような子供でなければならない。

この穏やかな家庭は決して壊してはならないのだと、ルナは自分に言い聞かせる。

そうして、また月日は流れ、彼女がまもなく一五歳になる日のこと――

農耕都市デルアークに、不穏な空気が漂っていた。

「ルナッ、ルナ、いるかっ?」

畑仕事をしていた父が、慌てて自宅へ戻ってきた。

「ルナッ、どこだっ?」

屋根裏で寝ていたルナが、眠たそうに下りてくる。

「ああ、よかった」

「どうしたの、お父様?」

ルナが尋ねると、父は神妙な顔でこう言った。

「しばらく家から出ない方がいい。デルアークは戦場になる」

「……本当に? 大食王様の領地に攻め入ろうとする魔族なんて……?」

「奴らは血に飢えた亡霊だ。死を厭わず、ただ狂気のままに敵を滅ぼす。名前すら持たない化け物たち。どちらが勝つにしても、農耕都市の被害は避けられない」

「名前のない、亡霊……?」

ルナは呟く。

なぜか、その言葉が彼女の胸に強く響いたのだ。

「幻名騎士団」

唐突にそんな言葉が頭を蘇った。

「ああ。知ってたなら話は早い。そういうわけだから、とにかく家から出ないようにっ。すぐに戻る。絶対だぞ!」

父は飛んでいった。

母を呼びに行ったのだろう。

ふいに衝動が彼女を突き動かし、扉に手をかける。

両親の顔が頭をよぎったが、次の瞬間、気がつけばルナは家から飛び出していた。

会いたい。

なにかが強く訴えかける。

会いたかった。

一歩足を踏み出す度に、その気持ちが強くなる。

彼に会わなければならないと思った。

名前も、顔も知らない。

彼が何者かもわからない。

けれども、会えば、きっと思い出すはずだと思った。

心だけは、こんなにも彼を覚えている。

父の言いつけすら破って、走り出すほどに。

街から出たルナは、その亡霊たちを捜した。

だが、影も形も見つからない。

捜索を続ける内に、日は暮れてしまい、完全に闇夜になった。

亡霊たちはどこにもいない。

ルナは一息ついた。

そうして、ようやく落ち着きを取り戻すと、家に引き返した。

父と母が心配しているはずだ。

彼女は< 思念通信(リークス) >を送る。

だが、応答がなかった。

『……お父様? お母様……?』

胸騒ぎがした。

不安を押し殺し、ルナは飛んだ。

嫌な予感が頭から離れない。

急いで、急いで、可能な限り急いでルナは家に戻った。

扉を開き、中へ入る。

真っ先に目に飛び込んできたのは、血だまりの室内――

椅子に座った父と母が、一〇本の聖剣で体を貫かれている。

死の匂いが充満し、目の前がチカチカと明滅した。

「お父様っ! お母様ぁぁっ!!」

ルナが叫ぶ。

だが、その声は空しく虚空へ消えた。

父と母の根源はもうそこにない。

「偽りの家族が死したのが、そんなに悲しいか?」

足音が響く。

闇の向こう側から一人の男が現れた。

不気味な姿だ。

まるで別人の体をつなぎ合わせたかのように、腕や足、体や魔眼に統一感がない。

その男は、まるで死体が動いているような印象を漂わせた。

「……誰……なの……? どうして、お父様とお母様を……っ……!?」

「私は幻名騎士団である」

ルナは呆然とその男の顔を見た。

「……違うわ……!」

根拠はなにもない。

だが、言葉が自然と口を突いていた。

「あなたは幻名騎士団の誰でもないっ! あの人たちは、絶対にこんなことはしないものっ!」

感情のままにルナが言い放つ。

すると、男はまるで部品のように右の手首を外した。

その切断面から、赤い糸が伸びる。

鋭い針と化した<赤糸>が、ルナの胸を貫通した。

「あ……ぅ…………!」

<赤糸>を彼女の根源に絡みつかせると、男は魔法陣を描き、そこから<記憶石>を取り出した。

「あなたの母と父を殺したのは、幻名騎士団。だが、心配することはないのである。あなたは正しき家族を取り戻すのだから」

<赤糸>の反対側が、<記憶石>に絡みつく。

男が魔力を注ぎ込み、その権能を発揮しようとする、まさにその瞬間であった。

空から紫電が走ったかと思えば、家が丸ごと消し飛んだ。

その男の四肢は、一瞬にして、剣で切り刻まれたかのようにバラバラになっていた。

バチバチと紫電が辺りに走っている。

「あ…………」

ルナはその 目(め) を見開いた。

視界に映ったのは、雷を纏い、万雷剣を携えた一人の魔族。

セリス・ヴォルディゴードだった。

「……そちらからやってくるとは、探す手間が省けたのである」

切断された胴体から伸びる<赤糸>が四肢を引きつけ、バラバラになった五体が再び一カ所にまとまる。

むくりと起き上がった男は、魔法人形を彷彿させた。

「いかにこの体を斬ろうとも、この運命の赤い糸は決して切れはしないのである。この数百年間、私から逃げ続けていたのをもう忘れたか?」

男が手を突き出す。

一〇本の指から伸びた<赤糸>が、セリスに向かって襲いかかった。

「< 波身蓋然顕現(ヴェネジアラ) >」

セリスは万雷剣を球体魔法陣に突き刺す。

同時に、九つの可能性の刃が、九つの可能性の球体魔法陣を貫いた。

耳を劈く雷鳴と、その場を覆いつくすほどの紫電が溢れる。

天は轟き、地は震撼し、ありとあらゆるものが魔力の解放だけで消し飛んでいく。

ただ唯一、彼の真後ろにいたルナだけが、なんの影響も受けなかった。

セリスが万雷剣を天にかざせば、合計一〇本の剣身から糸のように細い紫電が上空へ走った。

それは、<赤糸>を斬るために編み出された魔法。

ただ一つの運命を結ぶ<赤糸>に対して、無限の可能性を切り開く滅びの刃だ。

「< 滅尽十紫電界雷剣(ラヴィア・ネオルド・ガルヴァリィズェン) >」

大空から、一〇本の剣めがけ、滅びの紫電が落ちてきた。

天と地をつなぐ柱の如く、それは一振りの刃と化す。

セリスが踏み込み、万雷剣が振り下ろされる。

空を引き裂くような音が遠くどこまでも響き渡り、滅びがそこに落雷した。

「なっ――――!?」

男が紫に染められ、一〇本の<赤糸>が消し飛んでいた。

「ごっ……があぁぁっ………がああああああああああああああぁぁぁぁぁ………!!! これ、しきぃぃでぇぇぇっ……」

農耕都市デルアークが紫電に照らされる。

魔法人形の男はそれに対抗するべく、恐るべき魔力にて反魔法を展開した。

一瞬盛り返したかに見えたのも束の間、男の体がボロボロと崩壊を始めた。

自身の魔力に、体がついていかないのだ。

あっという間に五体が崩れ去り、体をつなぎ止める赤い糸が剥き出しになる。

体が耐えきれず、反魔法が消え去った瞬間、紫電の刃が<赤糸>を悉く焼き切った。

四肢は瞬く間に消滅し、男の首だけがそこに残る。

「……お、のれぇぇ……おのれぇ、おのれぇ、おのれぇぇぇっ! 所詮は泡沫世界の住人の体かっ……! 人形よりも脆いとはっ……!」

セリスは男の首の前に立ち、万雷剣を振り上げた。

「貴、様…………貴様ぁぁ……! セリス・ヴォルディゴードォォォォッ!! これで勝ったと思うなよ。<偶人>ならば、本気を出せれば貴様如き、ものの数ではな――がっ……」

容赦なく万雷剣が振り下ろされ、紫電とともに首は消滅した。

魔眼を向け、敵の無力化を確認すると、セリスは魔法陣の中に万雷剣を納める。

ゆるりとルナを振り向くと、彼は歩き出す。

そうして、黙って彼女とすれ違った。

その瞬間、はっとルナの頭に前世の記憶がよぎった。

思い出したのは、なにも言えない彼の宿命。

亡霊は語らず。

< 転生(シリカ) >は成功した。

だが、彼の過酷な戦いは、まだ終わっていないのだ。

「ありがとう」

セリスは足を止める。

「勘違いするな、女」

ルナの父と母を見殺しにした。

そう言いたいのだろう、とルナは思った。

「二人にはきっと、またいつか会えるわ。あなたがこの世界にくれた< 転生(シリカ) >の魔法があるんだもの」

ルナを一瞥すると、セリスは再び歩き出す。

振り向きもしない。

足を止めもしない。

言葉もくれない。

それでも、遠い昔、彼女は確かに誓ったのだ。

この人が自分の運命で、彼に勝手についていくのだと。

ルナはなにも言わず、当たり前のようにセリスの横に並んだ。

「強い母体が必要だ」

ルナの顔を見ることもなく、彼は言う。

「俺の子を産め」

産んではならない事情があったような気がした。

その記憶は、今ももやがかかっている。

だけど、構わない。

きっとそれが彼の求婚なのだと思ったから。

暖かい家庭を求めていたルナに、たった今、家族を失ったばかりのルナに、可能性をくれようとしているのだ。

なにも言ってはくれないけど、きっと――

「うん」

感謝をいっぱいに示しながら、彼女は亡霊に笑いかける。

笑い返すことのできない彼の分まで、笑ってあげようと思ったのだ。