作品タイトル不明
188:ストリンの婚約事情
「う、ウチ……いや、私は……」
「……」
ストリンさんは目の前の男性の手を取るかどうかで悩んでいる。
対する男性は静かに、目線を逸らす事も、体幹をブラす事もなく、真剣な表情で礼儀正しく待っている。
「キャシーさん。どういう状況でしょうか?」
「では、掻い摘んで」
少なくとも無礼な相手ではなさそうだ。
そこまで理解したところで、ワタシはキャシーさんに詳細を訊ね、キャシーさんはワタシとヘルムス様に小声で今の状況を伝えてくれる。
まず大前提として。
今回の舞踏会にはトレガレー公爵領に属する貴族の家々、その殆どから人がやってきている。
中には外国の人間や、兵士や商人の名士も居るが、基本的には貴族のみだ。
誰がやって来るかは家の事情にもよるところだが、当主夫妻、次期当主夫妻、当主代行と言った人間がやってきている家も多い。
だが中には、当主周りの人間だけでなく、領都にある貴族学校に通う令息令嬢たちも居る。
歳の頃が10代前半から後半程度の人々がそうだ。
彼ら彼女らの目的は、ワタシとヘルムス様のように、公爵家主催の舞踏会に婚約者と共に行く事で婚約のお披露目とするため。
または、婚約がまだ決まっていないと言う事で、この舞踏会で婚約者を探す事もあるようだ。
そこに今の状況が繋がってくる。
つまり、この男性……ロッド・フォン・ストレポール君15歳は、スケルライト次期子爵夫妻に付いて回るストリンさんを見かけ、ストリンさんに婚約者が居ない事を状況などから察し、ダンスのお誘いに来た。と言う事であるらしい。
勿論、キャシーさんがそう言う動きに出ていない事からも分かるように、此処に至るまでに非礼無礼の類は一切なし。
ストリンさんが今困惑しているのは、単純にストリンさんがこの状況を想定しておらず、どう対処すればいいのか分からなかっただけ。
「……」
そこまで分かったところで、ワタシはヘルムス様に視線を向ける。
対するヘルムス様はワタシの視線に気づくと共に、静かに、小さく、頷いてくれる。
うん、ではそうしよう。
「ストリンさん。この広い会場の中で最初に貴方を見出し、声をかけてくれた、素敵なお方と踊って来ればいいと思います。きっと、一生ものの思い出になると思いますので」
「っ、あぅ、はい! そ、それではその、ロッド様……」
「はい。よろしくお願いします。ストリン嬢」
と言うわけで、初々しい雰囲気を漂わせつつ、ストリンさんとロッド君はダンスの範囲へと二人で歩いて行った。
実際、誇張でも何でもなく、ロッド君はこの場において上等な部類だと思うので、ストリン嬢の最初の相手と言う栄誉を授けるにはもってこいだろう。
まあ、事前の予定では、キャシーさんの旦那さんかヘルムス様が舞踏会の終盤頃にでも誘う予定だったのだけれど……こっちの方が流れとしてはよろしいと思うし、ワタシだけでなくヘルムス様もそう判断してくれたからこその頷きだったはず。
なのでヨシッ!
「ありがとうございます、ミーメ嬢。ミーメ嬢の言葉なら、どちらの今後にとっても困る事はないでしょうから」
「ヘルムス様の役に立てたようなら何よりです。それでヘルムス様。ロッド君と言うよりストレポール家と言うのは?」
「そうですね……。私も詳しいわけではありませんが」
それはそれとして、得るべき情報は得ておくべきなので、ワタシはヘルムス様から情報を得る。
ヘルムス様曰く。
ストレポール男爵家は代々領都の治安を守る騎士の一族であるらしい。
不穏な噂の類はなく、コツコツと真面目に己の職分を日々こなしている信頼のおける家の一つ。
ロッド君は現当主の次男で、現在は貴族学校に通っている。との事。
そして、これ以上の情報はヘルムス様でも直ぐには出てこないようだった。
流石に幾つもある騎士の家の一つ、しかもそこの次男で婚約者も無しとなれば、上か下か、どちらかに特別出ているような話でもなければ、情報はないようだ。
「ですがそうですね。ストリン嬢へ真っ先に声をかけた事は評価できるかもしれません。それは即ち、事前の情報収集無しでも気づける視野の広さや鼻の良さに通じますので」
「なるほど。では、ストリン嬢の婚約者ですか?」
「そちらについては悩ましいところですね。ストリン嬢の意思も当然ありますが、それだけでなくメクセル男爵の意思。今後のストリン嬢の評価の上がり方。トレガレー公爵家の思惑。多くのものが関わってきます」
「ふむふむ。つまり、ストリンさんの今後の活躍によっては、男爵家の次男では格が足りないかもしれない。と言う事ですね」
「加えて、彼が嫉妬などで身を崩さないかと言う懸念もあります」
そう言うヘルムス様のロッド君を見つめる目は鋭い。
うーん、この辺りは元々平民であるワタシには理解は出来ても、同調はしづらい部分である。
だが、分からなくもない。
今後のストリンさんの活躍次第では、独自に爵位を得たり、辺境伯家以上の後ろ盾を得る可能性だってある。
と言うか、第二属性に目覚めたりしたら、それだけでストリンさんは宮廷魔術師であり、子爵相当。
確かに、夫としては色々と微妙な気分になるかもしれない流れだ。
「ちなみにヘルムス様は……」
「私がミーメ嬢に嫉妬する事などあり得ません。道も示していただいているのですから、なおの事ですね」
「あ、はい」
聞く必要もなかった質問を何となくでしてしまったら、ヘルムス様の満面の笑みが返って来た。
なんか、ワタシの背後で悲鳴のような女性の声が幾らか聞こえているような気もする。
「話を戻しますが。そもそもとして、彼自身の意思もありますので、外野である我々は出番までは見守る他ありませんよ、ミーメ嬢」
「それもそうでしたね」
ロッド君がストリン嬢に婚約の申し込みをしない可能性か……。
ワタシは二人のダンスを見てみる。
二人の息はそこまでズレていない。ただ、単純にストリン嬢がダンスに不慣れなので、時々ステップを間違えて、それをロッド君がフォローしてくれている形にはなっている。
表情としては……ロッド君の方がやはり余裕がある感じで、ストリン嬢は慌てた様子を隠す事も出来ていない。
あー、ストリン嬢がロッド君の足を踏んだ。ロッド君は顔色一つ変えていないし、フォローを強めて、ストリン嬢を落ち着かせてみせたが。
うん、素晴らしい働きだと思う。
「あのダンスだけでも、ロッド君には後で何か送ってあげたくなりますね」
「分かります。ただ、送るならトレガレー公爵家経由にしましょう。あらぬ噂が立っても面倒ですし、母も何か考えているかもしれませんので」
「そうですね。では後でコルエ様とも相談しつつ考えましょう」
とりあえずロッド君には幸あれ。
ワタシは内心でそう祈っておく。
「それで問題が起きるとしたらこの後ですか?」
「そうですね。私は立場上、相手を変えつつ何度か踊るべきですし、次期スケルライト子爵も職務がありますので離れる事になります。つまり、ストリン嬢の周囲に確実に居るのはミーメ嬢とキャシーの二人だけになるわけですが……」
「何人か居ますよね?」
「ええ、居ます。まったく、学生なのでしょうが、我が家主催の舞踏会で何をする気なのやら……」
ワタシとヘルムス様はストリンさんに視線を向ける何人かの若い貴族に目をやる。
ただコソコソと話をしているだけなら、何も言う事など無いのだが、中には悪意と言うか、獲物を見るような目と言うか、良くない雰囲気の人間も居る。
ちなみに男女は問わない。
「ミーメ嬢。血が流れない、後遺症が残らない。これだけ守ってくれれば大丈夫ですので、もしもの時はお願いします」
「心配しなくても、そんな暴力的な真似はしません。精々、闇人間を割り込ませたり、闇人間に羽交い絞めにさせて眠らせるだけです」
まあ、目の前で何かをやられる分にはどうとでもなる。
貴族学校に通っているという事は最低でも12歳なので、その歳になっても色々と理解していない子供なら、お灸の一つぐらいは据えていいだろう。
「そうですか。では、曲も終わりましたので、私は行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ。ヘルムス様」
「……。……! ええ、頑張ってきます」
なんかヘルムス様が表情と声だけ、やけに張り切った状態で出て行った。
良い事でもあったのだろうか?
なお、ここからヘルムス様が踊る相手は、余計な疑いを持たれないためにも、既に結婚されている方々だけとの事。なので、ワタシが心配する事もない。
「あ、ありがとうございました。ロッド様」
「いえ、こちらこそ素敵な一時をありがとうございます。ストリン嬢」
そして入れ替わりに、ロッド君に連れられたストリン嬢が帰って来た。
さて、何事も無ければ歓談と料理を味わえるのだが……どうなるだろうか?