作品タイトル不明
17話
満景は、一人暮らしを始めて、いままでとは違った生活を送っていた。
朝起きると、師匠の一人がくれた服の中にあったランニングウェアに着替え、また別の師匠がくれた靴の中にあったランニングシューズを履いて、自宅マンションの近くをランニング。
程よく汗をかいたところで、水垢離代わりの冷水シャワーで全身を清める。
そうして身綺麗にしたところで、真新しい服を着て部屋の一部に作った神棚にお供え物と祝詞を上げる。
自動炊飯器で炊いた米と、手軽に作った豆腐の味噌汁に、スーパーで買った漬物を添えて、朝食に。
朝食で使った調理道具と食器を洗ったら、外着に着替えて外出。スマホに表示した地図を片手に、自宅マンション付近に何があるかの把握に繰り出す。
住宅街の中にある開店前の店舗や、会社員が出入りするコンビニや、町医者の医院などの位置を、今後世話になるかもしれないからと覚えながら、うろうろする。
進行方向に神社や仏閣があれば立ち寄ってお参りし、家屋の間に隠れるように存在する小さな社にも手を合わせる。
歩き疲れたら、道端の自動販売機で飲み物を買って、ガードレールに腰をかけての小休憩。
そうした散策に時間をかければかけるほど、街に住む人達の活動は活発になっていく。
一軒家の庭で少し歳を召した夫人が花壇の世話をしだしたり、道を赤ちゃんをベビーカーに乗せた夫婦が歩いていたり、配達員が荷物を積んだ台車と共に走っていたり。
他にも、店舗が開店時間になって客が出入りするようになり、エコバッグを手にした買い物客の姿をよく見るようになってきた。
こうした人の営みが活気づく様子を、満景は良い事だと感じていた。
(人の活気――陰陽道的に言うのなら陽の気が増えると、それだけで霊障は起きにくくなるからね)
霊障――幽霊が行う悪さは、悪さをする幽霊が居なければ成り立たない。
そして陽の気が多い場所は、悪さをするような幽霊にとって居心地悪く感じる空間だ。
だから世の中に陽の気が多くなれば、それだけ霊障が少なくなるという図式が成り立つ。
(まあ、一日中陽の気が強い場所は、根本的には少ないから、程度の問題だけど)
例えば、学校。
日中は、思春期の生徒という、生気溢れる人間たちが多くいることで、自然と陽の気が多くなる。
しかし放課後ともなると、生徒たちが帰宅するため陽の気が薄まって、陰の気が顔を出し始める。
そうした陰の気が出てくることで、夜の学校は恐ろしく感じるようになるし、七不思議や肝試しなどの舞台にもなってしまうというのが、陰陽道的な見解である。
あと陰陽は一体であるため、陽の気の側には必ず陰の気があるもの。
華々しい舞台に華々しい喝采が集まれば集まるほど、舞台裏では陰湿な行状がはびこることに繋がるのも、陰陽道的には道理だったりする。
(本来呪術は、陽の繁栄を支えるため、陰の退廃を集約させて隔離するものだって聞くけど)
例えば、生贄の儀式。
人の命を捧げることが注目されがちだが、その主目的は加護や恵みを呼び戻すことだ。
これを呪術的な考え方で表すと、加護や恵みという陽の気を集めるために、一人の死と共に陰の気を冥府へと追いやってしまう儀式となる。
しかし時代を経るに従って、こうした儀式の役割は人を害する方を主目的にするようになり、それが人を呪う呪術の祖となった。
(呪術師の家に生まれてなんだけど。人の不幸を願ったところで、自分が幸せになるわけじゃないのに。どうして人は人を呪うことを辞められないのだろう)
人の不幸は蜜の味、なんて言葉はあるが、満景にとって人の不幸は他人事にしか感じられない。
不孝な人を見かけたら、その人に施しを与えることが人の道であると、ソコノ住職から教わったし満景も一理あると納得しているからだ。
そんな事を考えながら散策をしていると、スーパーマーケットからほど近い場所で、一人の老婆が難儀していた。
見れば、老婆は手押しカートを所持しているのだが、力不足で道路にある段差をカードが登れないようだった。
満景は祖っと老婆に近寄ると、声をかけてから、カートを段差の上へと押してあげた。
「坊ちゃん、ありがとうね」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですから」
互いに一礼して別れ、それぞれの方向へと歩き出していった。