作品タイトル不明
02
舞踏会当日。
王城の大ホールは大変な賑わいだった。
着飾った若い男女がこれでもかと集まっており、すでに何組かの男女が二人の世界を作りはじめていた。
「すごいわねぇ」
関心半分呆れ半分でしみじみと呟くビアンカとは対照的に、隣に立っていたリリアナは「すごいすごい」と楽しげな声を上げている。
「ね、来てよかったでしょう? 今日のビアンカはとってもきれいだから、きっとたくさんのお誘いがあるわよ」
ビアンカは試着室で身につけた薄紫色のドレスを着ていた。
長い髪は緩く結い上げて大人びた雰囲気になるように化粧をしてもらっている。
普段とのあまりの変わりぶりに家族も驚いていたが、それだけだ。
その証拠に会場入りしたというのに誰も声をかけてこようとしない。
「そうかしら。私よりもリリアナのほうがずっと可愛いわ」
謙遜ではなく心からそう思えるほどに、今日のリリアナは可愛らしい。
明るい栗毛をひきたてる黄色のドレスがとてもよく似合っていて、まるで可憐なお姫様だ。
その証拠に周囲の男性たちはあきらかにリリアナを気にしてそわそわしている。
今にも話しかけてきそうに鼻息を荒くしている紳士もいて、ビアンカはさりげなくリリアナを自分の影に隠した。
「まわりの殿方はあなたに夢中ね。でも決して一人では相手をしないで。なにをされるかわからないから」
注意するのよと声をかければ、なぜかリリアナは呆れたように目を細める。
「あのねえビアンカ、あれは……あ」
何か言いかけたリリアナが、急に口を「あ」の形にして固まってしまった。
何かあったのかとその視線の先を追えば、ちょうど会場の中央に人が集まっているのが見えた。
人の輪の中心に立つ人物に誰もが注目しているのがわかる。
(わ……)
その人を見た瞬間、心臓がどくんと大きく跳ね上がった。
艶ややな漆黒の髪と切れ長の目元に黒曜石のような瞳。精悍な顔立ちは男らしいのに、息を呑むほどに美しい。まわりの男性よりも頭ひとつほど背が高いこともあり、とても目立つ風貌だ。
髪色と同じ黒い正装をしているのがなおのこと目を引く。
まわりの女性たちがそわそわと熱っぽい視線を向けているのがわかった。
ビアンカも彼から目が離せない。
それは、その見た目に引かれたからではない。
(どうして)
どくどくと脈打つ心臓の音がうるさくてまわりの音が一切聞こえない。
(どうして、彼がここにいるの)
あれは前世の夫だと本能が叫んでいた。
髪色も肌の色も違うが、その顔立ちはかつての彼そのものだ。
立ち姿や歩く姿、何より人に話しかけられた時にわずかに顔を右に傾ける癖。
存在から放たれる波動が、彼は夫だと告げている。
(どうして。彼も生まれ変わっていたの?)
信じられない。ありえない。勘違いに決まっている。
もしそうだとしてもこの小さな国でこれまで出会わなかったのも不自然すぎる。
疲れすぎて幻を見ているのかもしれないと考えるが、何度瞬きしても彼はそこに立っていた。
あらゆる否定の言葉が頭をかけめぐるが、心臓は一向におさまらない。
理性ではなく本能が、真実を告げていた。
「どうしたのビアンカ?」
「は……!」
動けなくなっていることを心配したのか、リリアナが肩を叩いて声をかけてくれたおかけで、ようやく我に返ることができた。
まだ心臓がどきどきしている。
そんなビビアンの様子にリリアナが驚いたように目を丸くしていた。
「あの方が気になるの?」
口ぶりから、どうやらリリアナは彼の正体を知っているらしい。
「あの方って、黒髪の?」
「そう。もしかして知らないの? あの方が隣国の第二王子、ネロ・オランジュ様よ」
ならば今日まで出会わなかったのも納得だ。
逆を返せば、この場さえ乗り切ればもう二度と会うこともない。
(声をかけられる前に逃げなきゃ)
この場の意義を考えれば、おそらくは参加している貴族令嬢全員にネロとの挨拶の機会が設けられることだろう。
この距離でもこの状態なのだから、彼を目の前にしたら冷静な態度を取れる気がしなかった。
(私に気づくとは思えないけど、危険は避けたいわ)
ビアンカは前世の面影を欠片も引き継いでいない。
ネロが本当に前世の夫だったとしても、見ただけでは気がつかないだろうし、そもそもビアンカとは違い前世の記憶を持っているとも限らない。
だが警戒するに越したことはない。
(もう関わり合いになるのはごめんよ)
再会した途端に再び殺される可能性だってある。
今世では穏やかな人生を送りたいと願っているのだから、絶対に目を合わせてはいけない。
「リリアナ、悪いのだけれど少し具合が悪いから帰らせてもらうわ」
「えっ、今来たばかりじゃない!」
「ごめんね、埋め合わせは今度するから……」
今すぐにでもこの場を離れたい。
かなり距離があるため、ネロがこちらに目を向けることはないだろう。
焦りながらも最後にもう一度だけとビアンカは視線を動かした。
その瞬間――
「あ」
ばちりと視線と視線がぶつかる。
まっすぐにビアンカを見つめたネロの目が、限界まで見開かれる。
心臓が早鐘のように鳴り響く。
逃げなければと思うのに、なぜか身体が動かない。
「ビアンカ?」
心配そうなリリアナの声がどこか遠くに聞こえた。
見つめ合ったネロの顔にかつての夫の顔が重なる。
『旦那様』
前世の自分が心の中で微笑む。
命令で結婚が決まった時、ようやく城を出られると喜び、夫となる彼を妻として支えようとした健気な女の子の記憶だ。
魂に刻まれた想いが身体を勝手に動かしていた。
口角がふわりとあがり、気がつけばビアンカはネロに微笑みを向けていた。
「――っ」
周囲から息を呑む音が聞こえ、ビアンカは我に返る。