作品タイトル不明
貸家での生活基準と学習
第6話 貸家での生活準備と学習
ヤマタニの貸家は、決して広くはない。
入口を入ればすぐに、粗末なテーブルと椅子。 左手には暖炉があり、奥には簡素なベッドが置かれている。
壁には食器や木のコップが掛けられているが、どれも使い古され、縁は欠け、汚れが染み付いていた。
「……これは、さすがに使えないな。」
指で触れ、すぐに離す。
ざらついた感触が、嫌でも指に残る。
清潔とは言い難い。
シーツ、布団、枕、食器――生活に必要なものは揃っていない。
「買い直すしかないか。」
短く結論を出す。
金は多くない。だが、ここで妥協すれば体を壊す。
――それだけは避けたかった。
まずは食事だ。
露天で買ったランプを取り出し、油を注ぐ。 ライターで火を灯すと、小さな炎が揺れた。
ぼんやりとした光が、部屋の輪郭を浮かび上がらせる。
暗いが――悪くない。
「……こういうのも、嫌いじゃないな。」
ぽつりと呟く。
静かだ。余計な音は何もない。
次に暖炉へ向かう。
灰をかき出し、薪を手に取る。 ナタで叩き、細く割る。
だが――
「……つかないな。」
火が、うまく回らない。
煙だけが上がり、薪は黒く焦げるだけで燃え広がらない。
目にしみる煙に、思わず顔をしかめる。
何度もやり直す。
火を近づける。位置を変える。空気を送る。
指先は煤で黒く汚れ、手のひらがじんわりと熱を持つ。
それでも、うまくいかない。
「……面倒だな。」
小さく舌打ちが漏れる。
現代では、スイッチ一つで火はついた。
だがここでは違う。
手順を間違えれば、火一つすら扱えない。
「……慣れるしかないか。」
諦めではなく、受け入れるように呟く。
何度目かの試行のあと――
ぱち、と乾いた音が鳴る。
小さな炎が、薪へと移る。
じわり、じわりと広がっていく。
「……よし。」
それだけで、少し気が緩んだ。
鍋に水を入れ、火にかける。
持ってきた食材を取り出す。
鶏肉。ジャガイモ。タマネギ。ニンジンに似た野菜。
切り方は雑だ。だが気にしない。
鍋に放り込む。
ぐつぐつと煮え始める音が、静かな部屋に広がる。
「スープって、どう作るんだ……?」
ふと手が止まる。
知識はある。だが、実際にやったことはない。
調味料は塩だけ。
味の想像もつかない。
「……まぁ、食えればいいか。」
考えても仕方がない。
塩を適当に振り入れ、再び火にかける。
やがて、なんとなくそれらしい匂いが立ち上る。
黒パンと茶を用意し、簡単な食事を整える。
一口、スープを飲む。
「こんちくしょう!」
「……うめーぇーじゃないか!」
正直な感想が漏れる。
アッサリした塩味。塩加減が絶妙だ。
温かいし美味い。
胃に落ちていくその熱に、わずかに肩の力が抜ける。
「……まぁこれだけ美味ければ、これで生き延びられるか。」
ぽつりと呟く。
それは味の評価ではなく、生存の確認だった。
それだけで、十分だった。
食事を終え、ヤマタニは荷物を広げた。
インク、羽根ペン、そして木の板。
椅子に座り、ゆっくりとペンを取る。
「……まずは、これだな。」
言葉が通じない。
それは、この世界で生きる上で致命的だった。
だから――書く。
見た文字を思い出しながら、形をなぞる。
一つ、また一つ。
歪でもいい。読めなくてもいい。
とにかく、形にする。
木の板に書き、並べる。
簡単な単語。物の名前。使えそうな言葉。
「これがあれば……なんとかなるか。」
誰とも話せなくても、最低限の意思疎通はできるはずだ。
さらに、拾ってきたボロい本を開く。
紙は傷み、文字もかすれている。
それでも――。
「読めるようになれば、全部変わる。」
静かに呟く。
読み書き。会話。
それができれば、仕事の幅は一気に広がる。
今は、ただの異物だ。
だが――。
ここに留まるつもりはない。
「……次は、仕事だな。」
ペンを置き、天井を見上げる。
考える。
何を売るか。何で稼ぐか。
仕入れが安く、腐らず、需要があるもの。
頭の中で、条件を並べていく。
「薪……石鹸……ロウソク……。」
いくつか候補が浮かぶ。
どれも悪くない。
だが――。
ただ売るだけでは、意味がない。
「自分で作れれば、強いな。」
その考えに至った瞬間、記憶がよみがえる。
かつての仕事。
便利なものを作り、売る。
それが、自分のやり方だった。
「石鹸……作れたはずだ。」
油と灰。
確か、それで作れる。
だが――曖昧だ。
「……本当にできるのか?」
小さく呟く。
知識は断片的。実験したこともない。
失敗すれば、材料も時間も無駄になる。
――失敗すれば、終わる。
静かに息を吐く。
それでも――。
「やるしかないか。」
選択肢は多くない。
外で働くにも、言葉が壁になる。
なら、自分で作るしかない。
ロウソクも同じだ。
糸と油。単純な構造。
だが、それだけに工夫の余地がある。
「……試してみるか。」
完全な確信はない。
むしろ、不安の方が大きい。
それでも――。
何もしなければ、何も変わらない。
ヤマタニは立ち上がった。
小さく息を吐く。
この世界で生きていくために。
できることを、一つずつ積み上げる。
「……やるぞ。」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
その声は小さい。
だが確かに、覚悟を帯びていた。
異世界での生活は、まだ始まったばかりだ。