作品タイトル不明
白い馬車のご令嬢
第44話 白い馬車のご令嬢
ヤマタニの事務所の前に、一台の白い馬車が静かに止まった。
無駄な装飾はないが、上質な白塗りの車体。
御者台に座る者の姿勢、周囲を固める騎士の配置。
ただの貴族ではないと、一目で分かる。
扉が開かれる。
中から現れたのは、白を基調としたドレスに身を包んだ若いご令嬢だった。
陽光を受けて輝く金の髪。
透き通るような白い肌。
そして――場違いなほど真っ直ぐな瞳。
護衛の騎士たちは、周囲を睨むように警戒している。
明らかに「守られる存在」だ。
そのご令嬢は、ためらいもなく事務所の扉へと歩いていく。
そして――
扉が内側から開いた。
「だからさ、そういうズレはやめて欲しい。」
中から出てきたヤマタニが、振り返りながら作業員に言った。
そのまま外へ出ようとして――
「あっ」
「あ、」
真正面で鉢合わせた。
一瞬、時間が止まる。
「ヤマタニ社長?どうかしましたか?」
中の作業員が声をかける。
「これは失礼。」
ヤマタニは一歩下がり、軽く頭を下げた。
(どこかの貴族の工場見学か?)
そう判断し、いつもの営業対応に切り替える。
「こちらは事務所でして、見学でしたら――。」
言いかけた言葉が止まる。
ご令嬢が、じっとヤマタニを見つめていた。
頬をわずかに染め、嬉しそうに。
「あの……ヤマタニ子爵様でしょうか?」
「はい。そうですが……。」
(なんだこの反応。)
警戒が一段上がる。
「何方のご家中の姫様でしたかな?」
次の瞬間。
ご令嬢は一歩踏み込み――
ヤマタニに抱きついた。
「なっ――。」
「私の旦那様。」
「えっ?」
思考が止まる。
完全に止まる。
「ちょっと、どういう事ですか?」
ヤマタニの声は素直な混乱だった。
そこへ――
「社長、」
書類を抱えたケイトが現れる。
そして。
パサリ。
書類が床に散らばった。
無言。
次の瞬間。
凄まじい勢いで歩み寄る。
「妻の私がありながら――あなた、一体どういう事?」
「いやいやいや、こっちが聞きたい!」
「浮気して、こんな可愛い娘まで!」
「違う違う違う!」
完全に修羅場である。
「違います。」
ご令嬢が、はっきりと言い切った。
「ヤマタニ様は、私の旦那様です。」
断言。
一切の迷いなし。
その場の空気が、さらに混乱した。
◆
応接室。
ヤマタニ、ケイト。
ご令嬢と、その護衛騎士、そしてメイドたち。
静かだが、明らかに張り詰めている。
「私は、辺境伯ランドルフの娘――ユリアーナと申します。」
「……やはり。」
ヤマタニは小さく息を吐いた。
(重いのが来たな。)
「ということは、辺境伯様のご令嬢でしたか。」
「はい。」
ユリアーナは嬉しそうに頷く。
そして。
「ですので、嫁ぎに参りました。」
さらっと、とんでもない事を言った。
「……。」
ヤマタニは一瞬だけ黙る。
(やっぱり来たか。)
「その話は、使者から聞いています。」
「ですが、俺はお断りしたはずですが……。」
言い切った。
ビジネスとして、曖昧にしない。
その瞬間。
ユリアーナの表情が崩れる。
「そんな……。」
ぽろり、と涙が落ちた。
「無礼な!」
騎士たちの空気が一変する。
今にも剣に手がかかりそうな気配。
メイドたちも、柔らかな表情のまま睨んでいる。
(面倒くさいタイプだな、これ。)
ヤマタニは内心でため息をつく。
「いや、まだ戦果も出してませんし。」
「約束も成立していない段階での婚姻は――。」
言葉を選ぶ。
だが。
ユリアーナは、ぐっと袖で涙を拭いた。
「……そうですよね。申し訳ありません。」
素直に引いた。
その一瞬。
ヤマタニは違和感を覚える。
(引きが早い?)
「しかし、少し気が早いのでは?」
あえて探る。
すると。
「……うっ。」
再び涙ぐむ。
騎士たちの圧が増す。
(いやこれ完全に圧力装置じゃねえか。)
次の瞬間。
ユリアーナは立ち上がり――
また抱きついた。
「私が嫌いなんですか?」
「なっ!」
完全に距離が近い。
物理的にも、政治的にも。
ケイトが止めに入ろうとした瞬間――
「なにをしてるの?」
ヒラリーが入ってきた。
最悪のタイミングである。
ヤマタニは即座にユリアーナを引き剥がした。
「この方は、辺境伯のご令嬢ユリアーナ様だ。」
短く説明。
ヒラリーは一瞬だけ状況を見て――
微笑んだ。
「はじめまして。妻のヒラリーです。」
その笑顔は、完全に“理解した側”のものだった。
「ヤマタニ様は二人も奥様がいるのですね。」
ユリアーナが素直に言う。
「私は三人目になります。」
「まだ婚姻してない。」
ヤマタニは即座に否定する。
しかし。
ユリアーナの表情が曇ると――
騎士たちの視線が突き刺さる。
(やっぱり圧力装置だこれ。)
ヤマタニは確信した。
これは偶然でも天然でもない。
仕組まれている。
急すぎる来訪。
既成事実の押し付け。
感情を利用した圧力。
(ハニートラップか。)
結論は早かった。
だが同時に理解する。
(つまり、それだけ俺を欲してるってことか。)
ならば――使う。
「ユリアーナ嬢。」
ヤマタニは態度を切り替えた。
「俺はこれから、辺境伯領の援軍に向かいます。」
「この話は、その後にしましょう。」
明確な条件提示。
仕事優先。
「はい。」
ユリアーナは即答した。
一切の迷いなく。
「急がねばなりませんね。」
その目は、先ほどの涙とは別の光を宿していた。
それを見て――
ヤマタニは確信する。
(これは“策略”かな。)
だが。
その顔に浮かんだのは――
経営者の笑みだった。