作品タイトル不明
孤児狩りの恐怖
閑話:孤児狩りの恐怖
「マルペンに行けば、何か食べられるかもしれないぞ。」
兄は弟に言った。
「わかった、兄ちゃん。」
腹を空かせた二人の孤児は、今日もゴミ箱を漁る代わりに、マルペンの炊き出しに期待をかけた。
炊き出しは救いの綱だ。
一杯の温かいスープは、それだけで一日を生き延びる理由になる。
だが同時に――こんな噂もあった。
――炊き出しの日には、誰かが必ずいなくなる。
最初に聞いた時、兄は鼻で笑った。
そんな話、信じていたら生きていけない。
だが。
「……なあ兄ちゃん、本当に大丈夫かな。」
弟が小さな声で言う。
「大丈夫だって。そんなの嘘だ。」
言いながら、兄は周囲を見回した。
並んでいるのは、自分たちと同じような浮浪の子供たち。
やせ細った顔、汚れた手、落ち着きのない視線。
――そして。
その外側に、妙に“整った格好”の大人が数人、立っているのが見えた。
炊き出しの手伝いにしては、目つきが違う。
配るでもなく、ただ子供たちを眺めている。
「……。」
兄は視線を逸らした。
考えるな。
飯を食う。それだけだ。
「でも、飯を逃すわけにはいかない。」
弟の手を引き、列の最後尾に並ぶ。
列は長い。
進みは遅い。
やがて兄の番が来た。
木の器に注がれる、湯気の立つスープ。
思わず喉が鳴る。
兄は受け取ると、振り返った。
「ほら、早く来――。」
だが、弟はまだ後ろにいた。
人の隙間に埋もれ、なかなか前に進めない。
「ちょっと、何もたもたしてんだよ!」
苛立ちを押し殺し、兄は自分の分を抱えたまま待った。
弟の分ももらわなければならない。
再び列に入り込み、もう一杯受け取る。
手に持ったスープは、重く、温かい。
兄はその場で一気に自分の分を飲み干した。
空腹が少しだけ満たされる。
だが――胸の奥に、嫌なざわつきが残る。
(遅い……。)
兄は人混みの向こうを見た。
弟の姿を探す。
頭一つ分低い、あの小さな影を。
だが。
いない。
「……おい。」
もう一度、目を凝らす。
子供たちの群れ。
押し合う背中。
怒鳴り声。
笑い声。
そのどこにも、弟はいなかった。
「おい……っ!」
兄は器を落としそうになりながら、人混みをかき分けた。
足を踏まれ、肩をぶつけられながら、それでも探す。
「どけよ! 弟が――。」
その時。
視界の端に、見覚えのあるものが映った。
――遠く。
地面に転がる、小さな靴。
穴の空いた、ボロボロの靴。
間違いない。弟のものだ。
「……え?」
足が止まる。
その靴の周囲だけ、妙に人の流れが途切れている。
そして、その向こう。
さっき見た“整った服の大人”の背中が、一瞬だけ見えた。
何かを抱えているようにも見えた。
だが、すぐに人混みに紛れて消える。
「……待てよ。」
声が出ない。
喉が凍りついたように動かない。
心臓だけが、異様な速さで打ち続ける。
「……おい……どこだよ……。」
兄は靴に近づき、震える手で拾い上げた。
軽い。
あまりにも軽い。
まるで――最初から中身などなかったかのように。
「……。」
周囲では、何事もなかったかのように炊き出しが続いている。
笑う者。
争う者。
必死に食べる者。
誰も、気にしていない。
誰も、見ていない。
――炊き出しの日には、誰かが必ずいなくなる。
その言葉が、頭の中でゆっくりと形を持つ。
「……返せよ。」
小さく呟く。
「……返せよ……っ!!」
だが、その声は喧騒にかき消され、誰にも届かなかった。
兄の手の中には、ただ一つ。
弟の靴だけが残されていた。