作品タイトル不明
休む間もない社長、任せる決断
第30話 休む間もない社長、任せる決断
「社長。何でも一人でやらないでください。」
妻であり経理部長でもあるケイトが、帳簿を閉じてヤマタニを見た。
その視線には、優しさと――はっきりとした危機感が混ざっている。
「このままでは、また倒れますよ。」
「すまない。しかし……何でも人任せにはできないんだ。」
ヤマタニは苦笑し、頭をかいた。
その指先は無意識にこめかみを押さえている。
――一度、全てを失った。
工場の炎、赤に染まった帳簿、裏切りに震えた夜――
倒産。崩壊。裏切り。
あの絶望を知る限り、“任せる”という行為は恐怖でしかなかった。
「協会から管理人員を募集すれば済みます。
社長が全部見る必要はありません。」
きっぱりと言い切るケイト。
その言葉の中には、信頼と覚悟が混ざっていた。
ヤマタニは腕を組み、目を閉じる。
今のヤマタニ商会は、もはや個人商店ではない。
工場、発電所、流通――すべてを一人で把握するには、限界を超えている。
(……このままでは、本当に潰れるのは“俺”の方だな。)
胸の奥に重く沈んでいた石が、少しずつ揺れる。
ゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。
「……分かった。管理職を置こう。」
その一言は、ただの決定ではなかった。
過去の恐怖と決別する、重い一歩。
長く閉ざしていた胸の奥の重石が、少しだけ浮いた気がした。
こうしてヤマタニ商会は、初めて本格的な管理体制を整えることになる。
子供たちでは務まらないため、協会から経験者を雇った。
――各部門の責任者だ。
オルゴール工場:オルラン工場長
ロウソク工場:ローデン工場長
ピンホールカメラ工場:キャメロン工場長
蒸気トラック工場:ジーニアス工場長
蒸気発電所:バリック所長
電球・バッテリー工場:ボルク工場長
現場は現場に任せる。
だが――ヤマタニはもう一つの部署を新設した。
「監査部だ。」
静かに告げる。
社長直轄。例外なき監視機関。
以前、販売課長が不正に手を染めかけた事件――
あの時の違和感と怒りは、今でも鮮明に残っている。
「会社が大きくなるほど、不正も増える。」
ヤマタニは設立書類にペンを走らせた。
「だからこそ――見る側も必要なんだ。」
信じるだけでは守れない。
疑うだけでも、続かない。
だから仕組みで守る。
ケイトの目が、少しだけ安心に変わる。
だが、ヤマタニの胸にはまだ、嵐の予感が残っていた。
こうしてヤマタニ商会は――
ただの商会から、
“組織”へと変わり始めた。
だが、この船は――
嵐にまだ一度も試されていないのだ。
。