作品タイトル不明
臭いものには蓋
タイロン一家に挨拶を済ませ、エルミンスールに帰ってきた。タイロン一家はしきりに頭を下げてきて、若干居心地が悪かった。ちょっとした小旅行のつもりだったのだが、あまりゆっくりできなかったな。
一度腰を下ろすと動くのが億劫になりそうだから、やるべきことを先に済ませたい。エルフたちに土産を渡さなければならない。
「先にエルフの居住区に行ってくるから、みんなは宮殿の中で待っていてくれ」
「わかりました。お気をつけて」
ルナたちに荷解きを任せ、1人でエルフの居住区に向かった。
軽くひと悶着あったが、無事にすべての魚を押し付けることに成功した。俺はタダで渡すと言ったのに、長老は「金を払う」と言って聞かなかったんだよなあ……。結局、お返しに野菜を貰うということにして、丸く収まった。
宮殿の中に転移して、食堂の扉を開けながら声をかける。
「お待たせ。渡してきたよ」
すると、ルミアがすでにスタンバイしていた。
「おかえりなさい。お土産は買ってきてくださいました?」
顔を合わせるなり、さっそく催促してきた。父親の帰りを待つ子どもみたいだ……。
「急かすなって。買ってきたから、今出すよ」
そう言いながら、マジックバッグの中に手を入れた。その姿を見たクレアが、慌てて口を挟む。
「待って! あの臭いのはどうするの?」
くさやか……どうしよう。一応、俺は冷蔵庫の代わりになる魔道具を持っている。長老が持っていた、氷室という魔道具を改良したものだ。そのに入れておけば、そう簡単には腐らないだろう。
でも、他の食材に臭いが移るかもしれないという心配はある。魔道具と言っても、機能は普通の冷蔵庫と同じだからね……。
「そうだったな。氷室に入れっぱなしにはしたくないから、優先して食べようか」
できればカジキマグロを食べたいのだが、くさやを放置するわけにもいかない。今は予備のマジックバッグに隔離しているけど、その中でも悪臭を撒き散らしているんだ。それは氷室に移しても同じ。氷室が使い物にならなくなる。
ひとまず1匹のくさやを取り出して、皿の上に載せた。食堂の中に生臭い嫌な臭いが広がっていく。
「ああっ! くさや! ちょっと、なんてものを買ってきたの!」
アーヴィンが突然叫んだ。
「知っているのか?」
「日本にいたとき、おばあちゃんの家の近くで作ってた……。懐かしいけど、やっぱり臭い!」
アーヴィンは、転生前は日本人だった。今は生まれも育ちもこの世界だが、生まれる前からの記憶も持っている。そのときの記憶を思い出しているようだ。
「なるほどね。そんなに身近だったんなら、食べられるよな?」
「……好きではないよ。食べられるけどさ」
アーヴィンは心底視嫌そうに言う。懐かしの味なら普通に食べられると思ったんだけど、どうやらそうでもないらしい。でも、そんなことは関係ない。せっかくの土産なんだから、しっかりと味わってもらおう。
そもそも、これはくさやに似た別のものだ。製法や漬け込み液が違うから、味は違うだろう。
「くさやのオススメの食べ方はあるか?」
「全部オススメできないよ。何をどうしても、この臭いは取れないから……」
「なるほど……。じゃあ、軽く炙って食べようか」
定番の食べ方らしいから、それでいいと思う。でも、さすがに宮殿の中では調理したくない。中庭に出て食べよう。
外に出ると、放し飼いにしているダイキチが興味深そうに近づいてきたが、明らかな異臭に負けて逃げていった。くさやは魔物除けとしても使えるらしい。野生動物でも逃げ出すものを食べる人間って、どうなんだろう……。まあいいか。
「じゃあ焼くぞ」
今日は試すだけなので、みんなで1匹のくさやをシェアする。ひとり一口ずつくらいだが、試食としてはちょうどいい。
「楽しみー」
リーズが鼻をつまみながら言う。買おうといい出したのはリーズだが、臭いが平気というわけではないらしい。
「覚悟が必要ね……」
「そうだよ。焼いてる最中が一番臭いから」
経験者であるアーヴィンからのアドバイスだ。今よりも臭くなるのか……。クレアの言う通り、かなりの覚悟が必要だ。
覚悟を決めて、焼き網の上にくさやを載せた。辺りにはドブを腐らせたような酷い臭気が立ち込める。腐った魚と生臭さとドブ臭さを掛け合わせたような臭いに、鼻がもげそうだ。
「ちょっと……これ、本当に食べても平気なの?」
クレアの呟きに、アーヴィンが答える。
「たぶん平気じゃない人のほうが多いんじゃないかな……」
予想以上の悪臭だ。俺も本当に食べられるのか、心配になってきた。くさやから脂がしたたり、薪にあたって煙を上げる。その煙がまた臭い。たぶん、焚き火台にも臭いが付いてしまっている。ヤバいな……もう使えないかもしれない。
いつの間にか、みんなは後ずさりをしていた。くさやを焼く俺の近くには、ルミアしかいない。
「焼けたぞ! こっちに来てくれ!」
そう声を掛けると、みんなは何かを警戒するかのような仕草でにじり寄ってきた。警戒したくなる気持ちはよくわかるけどね。
「どうしても、食べなきゃダメ?」
「そうだな。食べてみたら意外と美味いかもしれないぞ」
立ち上る湯気がものすごく臭い……はずなのだが、もう鼻が麻痺してきたのか、意外と平気だ。
意を決して口の中に放り込む。やはり臭い。だが、食べられなくもない。口の中に入れたら、強烈だった悪臭が幾分マシになった。いや……鼻の機能が麻痺してるだけかな? とにかく、普通の臭い干物の味だ。塩分がかなり強く、ご飯が欲しくなる。
「感想に困る味だけど、みんなはどう?」
「意外とイケるじゃないか。癖になる味だよ」
リリィさんは平気らしいのだが、その横にいたルナが無言で口の中のものを吐き出した。声も出せないくらい必死の形相。完全にアウトだったようだ。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです。ごめんなさい……」
ルナは、そう言って宮殿の中に駆け込んだ。
「うっく……あたしもダメみたい。臭いが酷いよ……」
リーズも食べられないようだ。言い出しっぺとしての責任を感じたのか、どうにか一口を飲み込んだ。しかし、それ以上は手が出せないらしい。
「ちょっと味が濃いですけど、美味しいと思います。もっと欲しいですね」
ルミアは完全に平気。むしろ好きな味だったようだ。……ルミアには嫌いな食べ物が無いのだろうか。
「ゴメン、アタシは食べられないわ。口に入れるのもムリ」
クレアは試食すら拒否だ。生理的に受け付けないのか、くさやから顔を背けて眉間にシワを寄せている。まるでゴキブリでも見ているかのようだ。そんなに嫌わなくてもいいのに……。
「やっぱりそうだよね。万人受けするような食べ物じゃないんだよ」
アーヴィンは呆れたような表情で言った。さすがは経験者と言うか、普通に食べきっていた。
「それで、味はどうだ? 本場のくさやと比べて、どうだった?」
「臭いも味も、日本のほうが上だと思う。食べられなくはないけど、ボクももういらないかな」
どうやら、日本のくさやのほうが美味しいらしい。それはともかく、臭いも日本のほうが上なの? 日本のくさやはどれほど臭いんだよ……。
「試食会はこれで終わりだ。残りは食べられる人だけで食べよう」
リリィさんとルミアは食べられるみたいだから、くさやの消費はあの2人に任せる。とくにルミアだ。かなり気に入っている。全てルミアに押し付けてもいい。
骨や皮などの危険物を地面に埋めて処理したら、さっさと宮殿の中に戻ろう。焚き火台は徹底的に洗わないと使えないので、今日はこのまま放置だ。
宮殿の中に戻ると、ルナが椅子に座ってぐったりとしていた。よく考えたら、川魚ですら苦手なのにくさやが食べられるはずないな。ちょっと悪いことをしたかもしれない。
「無理をさせて悪かったな」
「いえ、大丈夫です……」
ルナは大丈夫じゃないっぽい。今日はこれ以上無理させないほうがいいな。休ませておこう。
「それで、まさかお土産はこれだけじゃないよね?」
アーヴィンが恐る恐る口を開いた。「そのまさかだよ」って言ったら、たぶん怒るだろうなあ。瓶詰めを買っておいてよかった。
「心配するな。まだ買ってあるよ」
瓶詰めのほうは、 臭(くさ) いのが嫌いな婆さんが作ったものだ。中身を確認していないけど、くさやほど酷いことにはならないだろう。
買ってある瓶詰めは2種類。小さいほうの瓶を取り出し、その蓋を開けた。すると、薄っすらと磯の香りが漂う。
イカの漬物だって言ってたけど、これは塩辛だな。ピンクがかった灰色のドロッとした液体の中に、ぶつ切りにされたイカが漬けこまれている。
俺は好物だが、若干の生臭さがあるから好き嫌いが分かれるところだ。ルナは食べられないと思うから、それ以外で試食しよう。
「これもルナにはキツいかも。食べなくていいぞ」
「ありがとうございます。これも臭いが無理です……」
ルナはしょうがないとして、残りのみんなで試食する。
くさやは口に入れることすら拒否したクレアだが、塩辛は何のためらいもなく口に運んでいる。
「これは美味しいじゃない。臭いもそれほど感じないわ」
そりゃそうだろ。くさやの強烈な悪臭の後だから、塩辛の生臭さなんてどうってことない。鼻の機能はさっきから活動を放棄している。
「これなら美味しいね」
「うむ。これは美味いな」
「私はさっきの魚のほうが……これも美味しいですけどね」
1人おかしな感覚を持った人がいるけど、概ね好評だ。これは正解だったな。もっと買っても良かったくらいだ。
この調子で、もう1本の瓶も開封してみる。こっちは魚の漬物だ。ニシンって言っていたかな……。きっと酒盗みたいなものだろう。
油断していた。もっと警戒するべきだった。瓶を開けた瞬間、プシュッという音とともに内容物が吹き出した。その液体がとんでもない悪臭を放出している。一瞬意識が遠のき、目の前に宇宙空間が見えた気がした。
とても言葉で表せないような、これまで経験したことがないような複雑な悪臭だ。世の中の臭いものをすべて混ぜて煮詰めたとしても、この臭いには勝てないだろう。
「ダメだ! これは腐っている!」
臭いがくさやの比じゃない。活動を休止している鼻の機能が復活し、脳に強烈な危険信号を発している。
ルナは無言のまま大きくのけぞり、そのまま床に倒れて気を失ったようだ。それほどまでに強い悪臭……。
「早く蓋を閉めて!」
「ムリー! 近づけない!」
クレアが叫び、リーズが逃げた。まさに阿鼻叫喚だ。
「そうだ! 布! 布をかぶせればマシになるんじゃないか!?」
リリィさん、名案! 捨ててもいい布を探す……。ちょっと目を離したスキに、ルミアが瓶の中に指を突っ込んで中の魚を口の中に入れた。
「みなさん、どうされたんです? 美味しいですよ?」
ウソだろ……? あれを食べるの? ルミアは食い意地が張っていると思っていたけど、俺の理解の範疇を超えるほどの食い意地だったようだ。
「腐っているんじゃないのか?」
「何をおっしゃっているんです? さっきの魚と同じ匂いだったじゃないですか」
「いやいや、同じじゃないだろ。どう考えても臭い」
「いえ、さっきの魚よりは匂いが強いですけど、同じ匂いですよ?」
同じ種類の臭いだと言いたいのだろうか。だとしたら、これは発酵臭だ。腐っているわけではない。
あの婆さん、臭いのが嫌いなんじゃないのかよ。くさやよりも臭いじゃないか。
「そうか……。じゃあ、俺も食べてみるよ」
正直、恐怖しかない。本当に食べ物であるかも疑わしいんだ。むしろ兵器と言ってもいいくらいの悪臭だ。
ルミアに騙されたと思って、小さな一切れを口の中に入れた。グニュっとした食感、噛めば噛むほど出てくる悪臭、そして強い塩気……。控えめに言ってクソ不味い。
「悪い、これは俺でも無理だ。美味しいとは思えない」
これしか無いという状況であれば食べるけど、好んで食べたいものじゃない。
「そうですか……私は美味しいと感じましたけど……」
「ルミアに全部あげるから、1人で食べてくれ」
謎の瓶詰めはルミアに押し付ける。悪臭攻撃が効かないルミアに蓋を閉めてもらい、ブロアの魔道具で強制的に換気した。
最後にカジキマグロで口直しをしたが、もうすでに手遅れ。口の中は臭いままだし、食堂にしている部屋にも臭いが残って消えそうにない。しばらくは我慢が必要だな。
発酵食品は危険物だ。そう思わせるに十分な1日だった。次からは、ちゃんと中身を確認してから買おう……。