作品タイトル不明
海5
昨晩はタイロン一家への対応のため、落ち着いて寝ることができなかった。まだ外は暗いのだが、完全に目が覚めてしまった。それは俺だけではなかったようで……。
「……タイロンさんは大丈夫だったのでしょうか」
ルナは俺が目を覚ましたことに気づき、話しかけてきた。
「何の連絡もなかったんだから、大丈夫だったんじゃないかな」
「そうでしょうけど……」
「まあ、心配だよな。少し早いけど行ってみる?」
体感では、今の時刻は朝5時くらい。タイロンは漁に行くと言っていたから、早ければもう漁から帰ってきているんじゃないかと思う。クレアたちを起こして準備をすれば、ちょうどいい時間になるんじゃないだろうか。
「そうですね……。行きたいです」
「了解。じゃ、クレアたちを起こそうか」
クレアたちの眠りも浅かったようで、スマホで呼んだらすぐに俺たちの部屋に来た。軽く打ち合わせをして、すぐに出発する。
気配察知の反応を探ると、タイロンは港にいることがわかった。予告通り、夜中のうちに漁に出ていたのだろうか。とりあえず港に移動する。
港は、宿から走って数分の場所にあった。俺たちが港に接近すると、タイロンはすぐに俺たちに気づいて話しかけてきた。
「ん? コーさんじゃないか。ずいぶん早いなあ」
タイロンはそう言って笑顔を向ける。タイロンの傍らには、大小様々な魚の山がそびえ立っている。かなり頑張ったらしい。
「気になったから、早めに来たんだ。体は大丈夫だったか?」
「ああ、昨日も言っただろう? いつもより調子がいいくらいだぜ。おかげで、今日はかなり遠くまで行くことができたよ」
タイロンは、そう言って親指を立てた。もうすっかり元気になっているようだ。後遺症も見当たらない。この様子ならもう心配ないだろう。しかし、病み上がりであることはな違いない。その状態で、あまり遠くまでは行ってほしくなかったなあ。
「無理するなよ……」
「無理じゃないさ。むしろ絶好調なんだ。今日頑張らないで、いつ頑張るって言うんだ!」
タイロンは力強い口調で言う。俺が心配しすぎただけみたいだな。ワイバーンの角を使った万能薬は、俺が思っているよりも効き目が強いらしい。
「まあ、それならいいけど」
「それはそうと、今日は珍しい魚が大量に捕れた。好きなだけ持っていってくれ」
好きなだけ、と言われてもなあ……。タイロンはこの魚を売って生計を立てている。金になる魚を持っていくのは少し気が引ける。
「市場には行ったのか? 俺は市場に売った残りでいい」
「いや、今日は市場に行かないつもりだ。全部持っていってくれても構わないよ」
タイロンはそう言って首を横に振った。全部渡すと言われても、とても食べ切れるような量じゃないだろ。
「いや、数匹で十分だよ。適当に選ばせて貰ってもいいか?」
「もちろんだ。じっくり見てくれ」
タイロンにそう言われて、魚の山に目を向けた。
珍しいと言いながらも、なんとなく見覚えのある魚ばかりだ。サンマ、ホッケ、タラ、ヒラメ……定番の魚のオンパレードだな。中でもひときわ目を引く魚がある。
とにかくデカイ。俺の身長よりも大きいんじゃないかな……。頭の先に長い槍のような突起があり、胴体よりも大きな背びれが付いている。カジキマグロだ。
「これは……」
「くっくっくっ、目の付け所がいいなあ。さすがだ。今の時期はよく捕れるんだよ」
タイロンが愉快そうに言った。『カジキマグロは本マグロと比べると味が劣る』なんて耳にしたことがあるが、とんでもない。旬のカジキは下手な本マグロより美味い。焼いても刺し身にしても、とても美味しい魚だ。
レイモンドが言っていた「大きい魚」とは、おそらくこれのことだろう。魔物的な何かを想像していたが、意外と普通の魚だったな。
「時期は知らないけど、捕るのが難しい魚だとは聞いたことがある。凄いじゃないか」
「気に入ったようだな。じゃあ、これは持っていってくれ」
ぜひ欲しいところだが、たぶん売値は高いだろう。貰ってしまっていいのだろうか。
「いいのか? 高いんだろ?」
「構わんよ。言ったじゃないか、全部持っていっていい」
「悪いな……。じゃあ、これを貰っていくよ。ありがとう」
これを1匹食べ切るのに、軽く数日掛かると思う。他にも気になる魚はあるんだけど、貰うのはこれ1匹で十分だな。
「それだけでいいのか? もっと持っていけよ」
そう言ってくれるのはありがたいが、こんなに貰っても腐らせてしまうだけだ。
「無理だ。そんなに食べきれないよ」
「知り合いに配るとか、誰かの土産にするとかすればいいだろ?」
タイロンは、どうしても持っていってほしいらしい。まあ、これ以上断り続けるのも逆に失礼か。お言葉に甘えて、全部貰っていこう。
カジキは俺たちが食べて、残りは全部エルフの村に寄付すればいい。エルフの村では魚が食べられないから、たぶん喜ばれると思う。
「わかった。そこまで言うなら、ありがたく貰っていくよ」
「それじゃあ、オレは船の片付けがあるから。またな。コーさんたちには、本当に感謝しているよ。ありがとう」
タイロンはまだ仕事が残っているらしい。邪魔をするのも悪いか。一つ聞きたいことを聞いて、さっさと移動しよう。
「こちらこそ、たくさんの魚をありがとう。ところで、土産を買いたいんだけど、干物を売っている店を知らないか?」
アーヴィンとルミアに渡す土産だ。と言っても、俺たちも食べるけどね。新鮮な魚はすでに貰ったから、次は加工食品を買っておきたい。
「それだったら、そこの家に行ってみろ。婆さんが干物を作っているよ」
タイロンは、近くのくたびれた家を指さして言う。窓からは薄っすらと明かりが漏れている。まだかなり早い時間だと思うのだが、もう開店しているらしい。
「ありがとう。助かるよ」
「それか、あっちでもいいぜ。婆さんが瓶詰めを作っている」
俺が軽く礼を言うと、タイロンはすかさず言葉をかぶせた。おすすめの店はもう一軒あるようだ。
「なるほど。さっそく行ってみる」
どちらもくたびれた木造家屋。一見すると、普通の民家みたいだ。小規模で手作りしているのだろう。まずは、最初に言われた家に向かって歩く。近づくにつれ、何かが腐ったような臭いが漂ってくる。
臭いの発生源は店の中にあるらしい。少し怖いが、意を決して開けてみる。すると、中から強烈な臭気が飛び出してきた。
「臭っ!」
「……この臭いは何でしょう」
「鼻がもげそう……」
ルナとリーズの言うとおり、悪臭が酷い。下水道に放り込まれたような気分だ。魚が腐っているのだろうか。
「ああ、この臭いはこの街で作られている特産品だな。アジという魚の干物だよ。炙って食べるらしいぞ」
リリィさんはこの臭いの発生源に心当たりがあるようで、軽く解説してくれた。くさや的なもののようだ。確かに、普通に干物にするよりは日持ちすると思うけど……食欲が湧くような臭いじゃないな。
「食べ物……? これは食べ物の臭いじゃないわよ?」
クレアも同意見だったようで、眉間にシワを寄せて苦言を呈する。
臭いのは仕方がないとして、肝心なのは味だ。臭くて不味いんじゃあ、さすがに買えない。
「それで、美味いのか?」
「酒好きにはたまらないという話だが……私も食べたことがないのだ。味の感想を聞かれても困る」
リリィさんも未体験か……。臭いは最悪、味はわからない。1匹で銀貨1枚だ。それほど高くないけど、これを買うのはちょっとした冒険だよなあ。食べられないような味だったらどうしよう……。
「いらっしゃい。冷やかしかい?」
店の奥から、腰が曲がった婆さんがぬっと姿を現した。
「いや、ちょっと迷っている。味がわからないからなあ」
「臭いは個性的じゃが、味は保証するぞぃ。癖になるのは間違いない」
これは決して『個性的』という類の臭いではないぞ。破滅的と言うか、破壊的と言うか……とにかく酷い臭いだ。
「ねー、買ってみようよ。この臭さが逆に気になるよ?」
リーズがなぜか乗り気になっている。好奇心の塊だもんなあ……。かくいう俺も、少し気になっている。試しに買ってみるのもいいかもしれない。
「そうだな。買っていこう」
「まいどあり」
婆さんに金を渡し、10匹の干物を受け取った。買いすぎな気がしないでもないが、もし不味かったらエルフの村に寄付する。嫌がらせじゃないよ。1人くらいは好きな人がいそうだからだよ。
買い終えて店を出た。しかし、お土産がくさやだけ、というのはちょっとキツいよな。
「じゃ、もう一軒も行ってみようか」
ここの保存食はそんなに高いものじゃないようだから、多少余分に買っても大丈夫だ。余ったら全部エルフの村に押し付ける。
干物店から離れるにつれて、臭いが薄くなっていく。あたりは海の匂いに包まれた、普通の港町だ。次の店も臭かったらどうしよう……なんて考えていたけど、取り越し苦労だったようで助かった。
店の扉を開けると、すぐにしゃがれた声が聞こえてきた。
「いらっしゃい」
声の主に目を移すと、くさやの婆さんにそっくりな婆さんがいた。
「あれ?」
「どうした? 儂の顔に何か付いておるか?」
婆さんは怪訝そうに言うが、怪訝に思っているのは俺のほうだよ。
「いや、さっき会った婆さんにそっくりだったから……」
「ふむ、あの臭い干物店に行ったのか。アレは儂の姉じゃよ。あの家は臭すぎるから、しばらく会っておらんがのう」
姉妹だったらしい。それにしても似すぎているから、双子なのかもしれない。顔は似ているが中身は全然似ていないな。この婆さんは、くさやを『臭い』と認識している。この人の嗅覚は正常らしい。それなら、ここの商品は期待できそうだ。
「そっか、姉妹だったか。納得したよ。ところで、瓶詰めを売っていると聞いたんだけど、何を売っているんだ?」
「見ればわかるじゃろ」
婆さんは、そう言って壁際に置かれた棚を顎で指した。底には、大小様々な瓶が並んでいる。瓶だけではなく、ツボもある。しかし、見ただけでは中身がわからない。ツボの中身がわからないのは当然だが、瓶も灰色のドロッとした何かが入っているだけだ。
「見ただけじゃわからないぞ。中身は何なんだ?」
「なんじゃ、お主らは素人か……。てっきり商人かと思ったぞ」
婆さんは少しうんざりした様子で言う。俺たちを商人の一行だと思ったようだ。プロの商人なら、中身を言い当てることができるらしい。……ムリじゃね? エスパーかよ。
「悪いな。俺たちは普通の冒険者なんだ。中身を教えてくれ」
「ツボはカニの漬物、瓶はニシンの漬物とイカの漬物じゃよ。どちらも、塩とガルムで漬けてある」
中身は普通の食材みたいだけど、聞き慣れない単語が出てきた。なんだろう……。
「ガルム?」
「これじゃよ」
俺が質問すると、婆さんは近くにあったツボを手に取って開けた。中から少し生臭い臭気が漏れる。魚醤っぽい。魚醤はもっと臭いものをイメージしていたけど、これはそんなに臭くないみたいだ。
こんな調味料があるのなら、ぜひ買っておきたい。現在、俺たちが持っている調味料は塩と僅かな砂糖だけ。これがあれば料理のバリエーションがぐっと広がる。それに、カジキマグロにもよく合うはずだ。
「へぇ、この調味料は売ってないのか?」
「ほう、これに興味があるか。実は、これも儂が作っておるのじゃ。棚の隅に並べてあるぞ」
婆さんは、棚に視線を移して言う。その視線の先にあるのは、バレーボール大くらいのツボだ。その中に魚醤が入っているらしい。結構な量だと思うけど、毎日使っていたら1か月で使い切ってしまうだろう。
「えっと……これは何ですか?」
ルナは実物を見てもピンと来なかったようで、首を傾げながら聞いてきた。
「塩と魚から作る調味料だよ。魚料理に最適だから、買っておいたほうがいい」
「なるほど……」
適当な説明だったけど、ルナはすぐに納得してくれた。購入決定だ。
「じゃあ、一通り買っていこうか」
他の瓶詰めは中を確認できなかったけど、この魚醤で漬けたのであれば、くさやみたいなことにはならないよな。この婆さんは臭いのが苦手みたいだし。
瓶詰めは銀貨5枚とやや割高だったけど、入れ物が高いから仕方がない。目に付いた瓶詰めとツボを10個受け取り、店を後にした。
捕れたての魚だから、貰った魚は今日中にエルフの村に届けておきたい。今日の午後には帰った方がいいかな……。タイロンとレイモンドに挨拶をして、エルミンスールに帰ろう。