作品タイトル不明
海4
タイロン一家の状況は良くない。できるだけ早く対処しなければならないが、今いる人員では手が足りない。本格的に治療を開始するのは、クレアたちが到着してからだ。それまでの間に、タイロンたちをベッドに寝かせてきれいな水を準備した。
一通りの準備が終わる頃、家の外からクレアたちの気配が感じられた。クレアたちが到着したようだ。ルナを寝室に残してリビングに戻ると、玄関の扉がゆっくりと開く。
「こんにちは。お邪魔するわよ」
まず入ってきたのはクレアだ。心配そうに入ってくる。すると、リビングに立っていたレイモンドが即座に返事をした。
「早かったじゃないか。よくここが分かったな」
レイモンドはマップや気配察知の存在を知らないから、ルナたちがここにすんなりと到着できたことが不思議だったようだ。まあ、今は説明している時間はない。そのまま不思議に思っておいてくれ。
「とりあえず、みんなも中に来てくれ。急がないと拙い」
そう言って、リーズとリリィさんも招き入れた。
「え? そんなに酷いの?」
リーズがそう呟きながら家の中に足を踏み入れる。
「ああ、かなり厳しいな。一家全員が同じ症状、特に子どもが酷い」
「病気?」
「いや、魚の毒だ。まずは症状を見て欲しい。寝室に寝かしているから、みんなも来てくれ」
みんなを連れて、寝室に移動した。8畳程度の小さな部屋に3人を寝かせ、さらに6人が並ぶ。狭い……。レイモンドの図体が大きすぎるんだよ。
9人が入れる部屋じゃないんだけど、一度で全員に治療プランを伝えるには我慢するしかない。
「あ……みなさん揃いましたね」
ルナが子どもの手を握りながら言う。子どもの呼吸は浅く、症状はかなり進行しているように見える。
「見ての通りだが、主な症状は全身の痺れだ。このまま放っておくと呼吸が止まる。みんなも治療に協力してくれ」
ざっとした説明を終えると、1人比較的症状が軽いタイロンが、むくりと起き上がった。
「オレも手伝おう」
タイロンの症状は頑張れば自力で歩ける程度で、会話も滞りなくおこなえる。だからといって、タイロンに動かせるようなことをするつもりはない。
「いらない。いつ悪化してもおかしくないんだから、おとなしく寝ていろ」
「……そうか」
タイロンは、バツの悪い表情を浮かべて再び横になった。
「じゃあ、さっそく治療に取り掛かりたい。効かないかもしれないけど、治癒魔法を試そうと思っている」
病人は3人、俺たちの中で治癒魔法が使えるのも3人。ギリギリだが、なんとか足りる。足りない魔力をポーションで補えば、一日中治癒魔法を掛け続けるのは不可能ではない。
リーズとクレアにはポーションと水を準備してもらい、レイモンドにはその他の雑用と来客への対応を頼むつもりだ。
プランを練っていると、突然クレアが口を挟んだ。
「ねぇ……万能薬なら効くんじゃない?」
「万能薬?」
タイロンが胡乱げな目でクレアを覗き込んだ。ちょっと説明しておこう。
「ワイバーンの角を使った万能薬だ。確かに、それなら効くかもしれない」
「そんなの迷信だろ? 実在するわけねえ」
その反応は、ある意味正しいと思う。タイロンは元冒険者だから、万能薬の噂くらいは知っているはず。当然、それが実在しないことも……。彼の常識に当てはめたら、どう考えても怪しい薬だと思うだろう。
「それが、作れちゃったんだよ。ここに居るクレアが作った」
「クレアが!? すげえじゃねえか! いつの間に、そんなものが作れるようになったんだ!?」
レイモンドが大声をあげる。クレアのことを微塵も疑っていないようだ。クレアが信用されていると言えばいいのか、レイモンドがバカ正直なだけと言えばいいのか……。でも、これは自他ともに認める怪しい薬なんだ。レイモンドも少しは疑った方がいいと思うよ。
「たまたま材料が揃ったの。害があるような薬じゃないのは分かってるんだけど、効くかどうかは分からなくて……」
この薬に害がないことは、リーズが身を持って証明した。しかし、効果があるかは別問題だ。効く可能性は高いと思うが、試してみないことにはわからない。だからこそ『怪しい薬』である。自信を持って薦められるものではない。
しかし、試せるものなら何でも試した方がいいだろう。治癒魔法だってダメ元なんだから、より可能性が高い方法を選ぶ。効果が芳しくないようなら治癒魔法も併用すればいいだけだ。
「治癒魔法でゴリ押すよりはマシだな。まだ治る見込みがあるよ」
「……わかった。頼むよ。金はいくらでも払う」
タイロンは金を払う気でいるみたいだけど、今回は請求しないつもりだ。効果が不確定な薬を使わせてもらうんだから、こっちが金を払いたいくらい。治験バイトみたいなものだからね。
「まあ、金の話は薬が効いてからだ。とりあえず、おとなしく薬を飲め」
金の話をしている間にも、症状はどんどん悪化していく。余計な話をする前に、さっさと薬を飲ませる。用量についてはクレアが研究をしているはずだ。俺が適当に飲ませるより、クレアに任せるべきだろう。
「じゃあ、クレア。頼むよ」
「わかったわ」
クレアが静かに頷き、マジックバッグから万能薬を取り出した。
クレアが万能薬を飲ませると、タイロンたちはすぐに眠りに落ちた。大事なのはこれからだ。万が一万能薬に効果がなかった場合、すぐに治癒魔法に切り替える。そのために、絶えずタイロンたちを観察し続けなければならない。
「みんなで見ていてもしょうがないな。朝食がまだだから、交代で休憩しよう」
「そうね。じゃ、最初はアタシが見てるわ。みんなは先に休憩して」
「いや、2人いたほうがいいだろ。俺もここに残るよ」
俺たちは医者じゃないし、高性能な医療機があるわけでもない。目視と気配察知で症状を確認する。気配察知は魔力の強弱を感じる技術なので、状態の変化はある程度わかる。
「すみません……では、私たちは先に休憩を取らせていただきますね」
ルナは、そう言って寝室を後にした。リーズとリリィさんがその後に続く。最後にレイモンドが出ていくが、部屋の入口で振り向いて俺に声をかけてきた。
「悪いな。オレも先に休ませてもらう」
「いや、レイモンドは朝食を食べただろ? 雑用を頼むよ」
レイモンドは気配察知が使えないので、寝室にいても意味がない。リビングで雑用を任せる。
「……あんなもの、食ったうちに入らないのだが……まあいいだろう。了解した」
レイモンドは、苦笑いを浮かべて言う。確かに食べている途中だったけど、1人前くらいは食べ終えていたはずだ。腹が減って動けないなんてことはないだろう。
俺たちは、交代をしながらタイロンたちの様子を見続けた。数時間ほど経過しただろうか。早ければもう毒が抜けている頃だ。交代の休憩は二順して、また俺とクレアの2人が寝室に戻ってきていた。
「様子はどうだ?」
「呼吸は安定してる。薬が効いてるみたいね」
「そっか……」
フグ毒の治療で最も重要なのは、呼吸を安定させることだ。安心できるとまでは言えないが、それほど問題なさそうだ。
「コーはこの毒に詳しいのよね?」
「いや、聞き齧った程度だ。詳しくはない」
テレビで見た程度の浅い知識だから、詳しいことは知らない。種類によって有毒部位が違うとか、卵巣と肝臓は絶対に食べられないとか、知っているのはその程度だ。確か、食べられる部位が全く無い種類もいたはず。まあ、俺には見分けがつかないけどね。
「知ってる範囲で教えてくれない?」
「かなり強い毒だが、消えるのは早いんだ。だいたい半日から1日くらいだったか……」
致死率が高いのに毒が早く消えるということは、発症してから死ぬまでの時間も短いということだ。中毒症状が出たら時間の猶予がない、という点もフグ毒の特徴だろう。
「そんなに早いの?」
「そうらしい。俺は専門家じゃないから、確かなことは言えないけどな」
クレアと話をしているうちに、ベッドで動きがあった。
「うっ……」
タイロンが苦い顔で声を漏らし、目を開ける。
「目を覚ましたか。具合はどうだ?」
「妻と子どもは!?」
タイロンは、そう叫びながらガバっと起き上がった。
「まだ寝ているよ。ずっと様子を見ていたが、今のところ問題ない。タイロンの具合はどうだ?」
「そうか……いや、オレはもう何ともないよ。手足も動くし、口も動く」
「そのようだな」
俺がそう答えると、タイロンの横から「うぅ……」という呻き声が聞こえてきた。タイロンの大声が聞こえていたのか、奥さんと子どもも目を覚ましたようだ。奥さんに声をかけようとしたが、その前にタイロンが大声を上げる。
「大丈夫か!?」
「はい……」
奥さんは力なく頷いた。子どもは何のことか理解していないようで、キョトンとしている。俺たちがここに来たときには意識がなかったみたいだから、状況が理解できなくても仕方がないな。
「ひとまずは安心だな。今日はこのまま寝ていたほうがいい」
「ありがとうございます……助かりました」
奥さんは、ベッドの上に寝たまま深くお辞儀をした。声も言葉遣いも正常だ。特に後遺症もなく無事に治療できたっぽい。
今日のところはもう心配ないだろうけど、一言注意しておこう。
「本来、あの魚の毒は薬でどうにかなるようなものじゃない。死にたくなかったら、もう食うなよ」
フグを普通に食べる日本だって、今の免許制が整備される前は食用が禁止されていたんだ。この国では研究が進んでいるとは思えないから、食べないに越したことはない。
「……すまない。肝に銘じておくよ」
「まあ何にせよ、薬が効いて良かったよ。効果が検証できて助かった」
とりあえず、かなり危険な毒にも効果があるということが立証された。それだけでも儲けものだ。
「それで、いくら払えばいい? そんなに金を持っているわけではないが……言い値で払おう」
「そのことなんだけど、俺は最初から貰う気が無かったんだよ。クレア次第だけど、どう思う?」
「……アタシは材料費くらいは欲しいけど、コーには何か考えがあるのよね?」
材料費だけと言っても、最も高価なワイバーンの角は極微量しか含まれていない。金を貰ったとしても激安だろう。端金を貰うくらいなら、恩を売っておいた方がいい。やっぱりタダでいいや。
「まあ、そうだな。無料にする代わりに、この薬のことは誰にも言わないでくれ」
「それは当然だ! こんな薬の存在が世に知れたら……大騒ぎになる。言われなくても誰にも言わない!」
大騒ぎになるかはわからないけど、面倒なことになるのは間違いない。この薬の効果はまだ完全に理解できたわけじゃないから、服用後に何らかの問題が発生する可能性がある。
そんな不確定な薬だから、もし「売れ」と言われても売ることはできない。もし適当に売って問題が発生したら、たとえ用法を間違えていても俺たちが非難されるだろう。マジで面倒だから、いろいろな検証が終わるまでは公表しない。
「俺たちの要求はそれだけだ。金はいらないよ」
「しかし、それではオレの気がすまない。せめて魚だけでも貰ってくれないか?」
魚の毒にあたったばかりだと言うのに、魚を提案するか……。でも悪くないな。もともと魚を買う予定だったし。
「ありがとう。貰っていくよ」
「今日の魚はもう鮮度が落ちてしまったから、改めて明日渡す。今日と同じ時間に、港に来てくれないか?」
「ん? もう動いて平気なのか?」
タイロンはすぐに漁を再開するつもりらしい。
この国には冷蔵庫がないから、魚の鮮度は落ちやすい。しかし、今朝獲ったばかりの魚だ。まだそれほど鮮度は落ちていないだろう。タダで貰うんだから、今日の魚でも十分だ。
「妙に体の調子がいいんだ。むしろ以前よりも元気になった気がする」
タイロンは、そう言って拳を握ってみせた。以前よりも元気になったのは、気のせいだと思うんだけど……。
「まあ、無理はするなよ」
「わかっている。今日は本当にありがとう」
タイロンはそう言って深々と頭を下げた。
もう心配ないと判断したのか、レイモンドが自信満々に口を開く。
「コーたちはもう帰ってもいいぞ。後のことはオレに任せろ」
念のため、今日はレイモンドがこの家に泊まるようだ。
「ああ、助かる。一度帰らせてもらうよ」
本当は一晩くらいは様子を見たほうがいいんだろうけど、この狭い部屋では6人が寝るのは難しい。俺たちが泊まっている宿は近いから、ここを離れても大丈夫だろう。お言葉に甘えて帰らせてもらう。