作品タイトル不明
第126話 ジークリンデ、目を細める
昼食を終え、リビングにもようやく束の間の平穏が訪れた。しかし早起き、掃除、そして勉強を終えた俺とリリィは魂が抜けかけていた。あまりにも初日からハード過ぎる。時計を気にして過ごしたのなんて何年ぶりか分からなかった。
「……なあ、リリィ。生きてるか……?」
「……りりー、いきてる……けど、ちからは……ない……」
「奇遇だな。俺も腕が上がらねぇ……」
二人してソファに沈み込み、そのまま背中を預けてしばらく動けなかった。こう毎度毎度ソファのお世話になってると、ここだけが本当の家のような気さえしてくる。目を閉じたら今にも寝てしまいそうだ。
リリィはぽよぽよを抱えたまま、目の焦点がふわふわしている。夏休みの間うちで預かることになったぽよぽよは、くまたんと違って特に世話が要らず今も気ままにぷるぷるしていた。
因みに初日に時間をかけて決めた寝床は初日から守っていなかった。スライムに対して何かを教え込む、というのは諦めた方がいいのかもしれない。こればっかりはジークリンデにも無理だろうな。
「……というわけで、だ」
俺はソファに寝転びながら、天井に向かって宣言した。
「後は自由時間、ってことでいいよな?」
「ダメだ。この後は『お手伝い』の時間だ」
ジークリンデは相変わらず背筋が伸びている。常に軍の査察みたいな空気を纏っているのはもはや才能だろう。
「おてつだい……?」
「そうだ。家の中の仕事を皆で分担することをお手伝いという」
「りりー、おてつだいしてるよ!」
自分が今までやってきたことが、何か立派なことだと気が付いたリリィが自慢げに胸を張る。
「リリィはお皿を片付けるの得意だもんな!」
「うん! じーくりんでおねーちゃん、みてて!」
リリィはまだ昼食の食器がそのままになっているテーブルに走っていくと、椅子によじ登った。そーっと皿をテーブルの端に寄せて、今度は椅子から降りる。そうするともうリリィの目線はテーブルの下になってしまう訳だが、ここでさっきの行動が活きてくる。
リリィは僅かに見えている皿の端っこを頭上で慎重に引き寄せると、しっかりと両手で掴む。そのまま、よたよたしながらキッチンへ。背伸びをして調理台に皿を置くと、ぱっと振り返った。
「じゃーん! おてつだいできた!」
「すげえぞリリィ! 完璧だ!」
ジークリンデは少しだけ目を見開き、ゆるやかに頬を緩めた。
「よく出来たな。皿の扱いも丁寧でよろしい」
「えへへぇ」
リリィは嬉しそうにくるくる回りながら、ぽよぽよを抱き上げてみせる。
「ぽよぽよもいっしょにおてつだいしたよ!」
「ぽよん」
ぽよぽよがリリィの腕の中で誇らしげに震えた。
いや、俺の目にはただリリィの足元にいただけに見えたが……本人が満足なら何も言うまい。
ジークリンデは自分の食器を手に取り、ふとため息を漏らした。
「……本当は、実家でもこうしたいんだがな」
「出来ないのか?」
「私がやると、メイドたちが怒られる。『お嬢様に皿を持たせるなど言語道断』だそうだ」
「……あー」
なるほど、貴族あるあるか。万が一怪我でもさせたら大問題だもんな。
「だから、こうやって自分で片付けるというのは新鮮な気分だ」
ジークリンデは皿をキッチンに運ぶと、そのまま洗い始めた。泡の感触に目を細めるジークリンデは、まるで初めて触る遊具に喜ぶ子供みたいだった。
「……いいものだな、こういう生活も」
「そうか? 俺からすりゃ家事やらなくていい生活のほうが夢だけどな」
「恵まれているのは分かっている。だが、それに胡坐をかくのは……少し、嫌なんだ」
その言葉が妙に胸に残った。
「お前は昔から真面目すぎんだよ。いい所でもあるけどな」
「お前だけだ、そんな風に言ってくれるのは」
ジークリンデがふっと笑う。その横顔を見て、俺はいつの間にか動いていた。
「なら、お前を手伝うのは俺の役目だな」
「……え?」
「俺も洗うよ。二人の方が早いだろ」
キッチンに並んで立つと、ジークリンデが珍しく目を丸くした。
「……やはり、悪くない。こういう生活も」
「だから今だけだっつってんだろ。冬は本当に地獄なんだからな」
「ふふ……楽しみにしておこう」
誰かと肩を並べて皿を洗うなんて、昔の俺には想像出来なかった。だが、泡のはじける音と、隣で小さく息をつくジークリンデの気配が、妙に心地よかった。