作品タイトル不明
第124話 一粒のやさしさ
午前の掃除地獄がようやく終わる頃には、俺もリリィも完全に燃え尽きていた。
床に座り込む気力すらなく、二人並んでソファへとずるずる沈み込む。
「……もう動けねぇ……」
「おかしたべたい……」
リリィはソファに倒れ込んだ瞬間、「ぐでぇ……」と小動物みたいな声を漏らし、そのまま動かなくなった。腕も足も力が抜けきっていて、完全に電池切れだ。
これだけ動き回ったんだ。無理もない。
「リリィ、よく頑張ったな……俺がお菓子くらい取ってきて──」
そう言いながら重たい腰を上げかけた、その時だった。
「ヴァイス」
嫌な予感が走る。
振り返ると、ジークリンデが手帳を片手に立っていた。
「掃除が終わった直後だからな。振り返りをしよう」
「振り返りだと?」
「今日やったことを軽く整理するだけだ。出来た箇所と、直したい箇所をな」
どうやら怒られる訳ではないらしい。俺は大人しくソファに座りなおした。
「リリィちゃんの作業は、全体としてはよく出来ていた。最後まで投げ出さなかったし、指示もちゃんと聞いていた」
「ほんと!?」
リリィがぱっと顔を上げる。
「ああ。ただ──」
そこでジークリンデは言葉を切る。
「集中が切れるのが早い。途中で別のことに気を取られやすいな」
「がーん……」
リリィが下を向く。
「子供なんだから当たり前だろ。俺なんて子供の頃、掃除した記憶すらねえぞ」
「威張って言うことではない」
即座に返されるが、声に刺はない。
「だが、一理ある。リリィちゃんの年齢を考えれば仕方ない部分もある。だからこそ、少しずつ慣らしていけばいい」
その言い方に俺は内心で少し驚いた。完璧を求めるタイプだと思っていたが、ちゃんと段階を見ているらしい。
「じゃあ、休憩でいいか? 甘い物でも食わせてやりたいんだが」
ジークリンデはすぐには答えず、ソファでぐったりしているリリィへ視線を向けた。
「おやつは時間を決めるべきだ」
やっぱり来たか。俺はポケットの中に隠していたチョコレートを握りしめた──その瞬間。
「だが……今日は初日だ」
視線が俺に戻る。
「ここまで動いた後に何も与えないのも逆効果だろう」
「……!」
リリィの目がきらきら輝く。
「た、食べていいのか!?」
「少しだけだぞ」
「よっしゃ……!」
俺は内心でガッツポーズを決めながら、堂々とチョコを取り出してリリィに渡した。
リリィはチョコを両手で受け取ると、まるで宝物か何かを扱うみたいに慎重に包み紙を剥がす。
ぱくっ。
次の瞬間、リリィの表情がふわっと緩んだ。
目を細め、頬をもぐもぐと動かしながら、全身でチョコを噛みしめているのが分かる。
「……あまい……」
ぽつりと零れたその一言は、どんな感想よりも説得力があった。幸せそうに目を細めるその様子を見て、ジークリンデは小さく息を吐く。
「……今回だけだからな」
「聞いたかリリィ、特別だぞ特別」
「とくべつー!」
ハイタッチすると、ジークリンデが思わず吹き出した。
「まさかチョコレート一つでここまで喜ぶとはな」
「普段どれだけ自由だったと思ってる」
俺がチョコを差し出すと、ジークリンデは一瞬だけ迷い、控えめな手つきで口へ運ぶ。
「……甘いな」
「だろ? これを好きな時に食べれないとか、やっぱ無理があるんだって」
「分かっている」
否定はしなかった。
「だが境界線は必要だ。そこを曖昧にすると、将来的に困るのはリリィちゃんだ」
「……まあな」
俺一人だったら、きっとここまで考えなかった。適当でいいだろってどうしても思ってしまう。しかし、ジークリンデはこういうことを絶対に誤魔化さない奴だった。
隣にいるのがジークリンデで良かったよな。あの学校で得られた最高のものはコイツとの繋がりなんじゃないかと今になって思う。こんなことを考えるようになるなんて夢にも思わなかったけどな。