軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第122話 リリィ、ひどすぎる成績

夕方のリビングに、妙な静けさが漂っていた。外ではこのまま死ぬんじゃないかって勢いで蝉が鳴いているのに、この部屋だけは真冬のように寒い。

テーブルの前で、リリィが正座していた。

短い足をきゅっと揃えて、膝を小刻みに震わせながら、胸の前で成績表をぎゅうっと握りしめている。紙がくしゃくしゃになるぞ、と声を出すことすら出来ない空気が流れていた。

その前に立つのは、仁王立ちのジークリンデ。眉間に皺を寄せて、一切の悪行を見逃さない監査官のような顔をしていた。職場ではこんな感じなんだろうなと思わせる、堂に入った態度だった。

「────これは、どういうことだ」

声が低い。怒鳴ってるわけじゃないのに、妙に怖い。

リリィは「え、えっと……」と消え入りそうな声で答えるが、もちろん通用するはずもない。

「えっと、じゃない。見せろ」

リリィはびくんと震え、ぷるぷると震える手で紙を差し出した。

ジークリンデはそれを受け取り、すっと視線を落とす。

……そして、数秒。

紙面を追うその目つきが、じわじわと険しさを増していくのが分かった。

「……実技は満点。ふむ」

「は、はいっ!」

そこだけ聞くと完璧だ。その部分だけ切り取って帝都中に貼り出してやりたいくらいだ。

「だが筆記は赤点寸前、生活態度には『大変落ち着きがなく、私語が多く、忘れ物も多い』とある」

バサリ、と成績表がテーブルに置かれた瞬間、俺の背筋まで冷たいものが走った。

いや、震えてるのは俺じゃなくリリィのはずなんだが……どうしてだろうな、こういう時だけ自分まで悪いことをしたような気分になるのは。

心当たりが、まあ、山ほどあるからかもしれない。

「リリィちゃん、説明して貰おうか」

「う、うぅ……ま、まほー、がんばった……」

涙声で絞り出した言葉は、たったそれだけだった。

全力で頑張ったところを必死にアピールしているのは分かる。実際、実技の成績が物語っている通り魔法は本当に頑張ったんだろう。

「それは分かっている」

必死の抵抗もばっさりと切り捨てられてしまった。

リリィは耳まで赤くなり、目尻がじわっと潤んでいく。

ああ、泣くぞこれ。完全に泣くパターンだ。

俺はたまらず口を挟んだ。

「ま、まあまあ。いいじゃねぇか、実技満点なんだし。魔法学校だぞ? 魔法が出来りゃ──」

「ヴァイス」

「…………はい」

その一言だけで空気が変わった。

ジークリンデの視線がゆっくりと俺に移る。その目つきは冷徹というより、最早、処刑前の最後通牒みたいな落ち着きすらあった。こういう時のジークリンデには何を言ってもムダだと、長年の付き合いで骨身に染みている。

「まさかとは思うが、この成績を『まあいいだろう』で済ませるつもりだったんじゃないだろうな」

図星すぎて、喉の奥に引っかかった言葉が一つも出てこない。

リリィが楽しそうならそれでいい、というのは俺の本音だったし、宿題もここ最近は「やったのか?」と聞くだけで実物を確認していなかった。完全にダメな大人である。

「……多少、甘やかしたかもしれねぇ」

「多少では済まん」

ジークリンデは深く、長く溜息を吐いた。諦め半分、呆れ半分って溜息だ。

「リリィちゃんの筆記が崩壊しているのは、お前の教育のせいだ」

反論したい。したいが、反論材料が何一つ浮かんでこない。

隣ではリリィが「パパごめん……」みたいな顔でしゅんと俯いている。

泣くな、リリィ。悪いのは俺だ。俺のせいでリリィがハイエルフにあってはならない成績を取ってしまった。

立っているのも辛くなり、リリィの隣に正座する。板の床が地味に痛い。

「……仕方ない。この夏休みで生活習慣の改善を図る。勿論、ヴァイスもだ」

「ちょ、ちょっと待て。俺もか!?」

「親が乱れていれば、子も乱れる。まずはお前から叩き直す」

「なっ……!」

どこからどう見ても本気の顔だった。この女、本当にやる気だ。

「朝六時に起床。掃除、食事の用意、身支度、そして勉強。リリィちゃんには『手本』が必要だ」

俺が抗議の言葉を準備するより速く、ジークリンデの視線がリリィへと戻る。

この切り替えの速さ、仕事でもこんな感じなんだろうな。部下は大変だ。

「リリィちゃん」

「ひゃいっ!」

「明日から私と一緒に『ちゃんとした生活』を学ぶ。分かったな」

「わ、わかった……」

その返事の語尾が泣きそうで、見てるこっちが辛くなる。

──そして、その横で俺も同じ目に遭うのだと思うと、もっと辛くなった。

「……なあ、ジークリンデ。もう少しこう、段階を踏んでだな。まずは宿題の確認から軽く──」

「黙れ。まずは現実を見ろ。──明日から地獄だ、覚悟しておけ」

その言葉に、俺とリリィは同時に背筋を伸ばした。視線だけそっと横にずらすと、リリィと目が合う。「たすけてぱぱ……」と顔に書いてあるような顔をしていたが、多分俺も同じ顔をしていた。

楽しいはずの夏休みがまさかこんなことになるなんて──窓の外では相変わらず蝉がジジジと鳴き続けていて、さっきまで気にも留めていなかったその声が、今はやけにうるさく、やけに遠く聞こえた。