作品タイトル不明
事故調査ファイル_地獄の窯③
「見つけました。ヴェネンティカ王国災害時特例法・第七条一項。『大規模災害時における強制退去勧告』の規定です。
未避難による致死的な損害が予見される場合に限り、王家の認可を条件として、現地指揮官は住民への強制代執行権を行使できると明記されています。
直ちにナサニエル王子に魔石電報にて現状を報告し、『王家緊急執行権』の即時付与を仰ぐのが、現時刻における最短、かつ唯一の解決策かと」
分厚い法典を抱えたゼノンが顔をあげると早口で報告する。
清貴の頷きを確認するやいなや、ゼノンは手際よく記憶魔石をセットした。
魔石が淡い光を放ち、情報の書き込みを開始する。
「分かってます。事務手続きは私の領域です。至急、電文を構築しますので、王子の説得は文面に含めた貴方の名で行わせていただきます」
「感謝する、ゼノン。本当に、……お前をこんな過酷な現場にばかり連れ回して、申し訳ないと思っているんだ」
珍しく殊勝な言葉を漏らす清貴に、ゼノンの指先が一瞬だけ止まった。
「……清貴様。私は、上には逆らえないしがない中間管理職の役人です。正直、この仕事は本当に、死ぬほどしんどい事ばかりです。
ですが、やめようと思った事は一度もありません。
かつての私にとって、事務手続き上の死者は単なる『記号』であり『数字』でした。そこに被害者の顔は見えてこない。ただの数字として冷徹に割り切ろうとする自分を、私はどこかで疎ましく思っていました」
ゼノンは眼鏡のブリッジを押し上げ、微かに、自嘲気味な笑みを浮かべる。
「ですが、今は違います。私のペン先にある数字の向こうには、一人一人の顔が見える。救うべき人生がある。
己の仕事に矜持を持てることは、仕事人間を自称する私にとって、何物にも代えがたい報酬です。
――本当に、死ぬほどしんどい事ばかりですがね」
「……二度言ったな」
「言いますよ。聞きたければあと百回でも、条文のように復唱して差し上げます」
「いや、二度で十分だ。王子に特別手当に関しての交渉をしてみるよ」
「それは有難いですが、申請用紙の記載は私にやらせるおつもりじゃないでしょうね」
眼鏡越しに睨んでくるゼノンに清貴は笑う。
切迫した状況において、軽口を叩ける同僚がいるのは素晴らしいことだった。
「清貴様は先に休んでいて下さい。どうせまた明日以降もいつ眠れるか分からなくなるでしょうから」
言われて、すでに深夜を回っている事に気が付いた。
「分かった。少し仮眠をとらせてもらう。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「ええ、分かりました。ああ、良かったらセルジュも連れていって下さい。落ち着かないようなので、誰か一緒の方が眠れるでしょう」
「ああ、分かった。……セルジュ、……ん?」
声をかけると、いつの間に仲良くなったのかセルジュとヒューゴは寄り添い合うように床の上に伏せていた。
アンドレアナも仮眠を挟みながら街中を飛び回っており、今は不在であったのだ。
清貴の声に二匹が同時に身を起こす。
……結果として清貴は、二匹の大型犬に挟まれて、半ば押しつぶされながら眠る事になったのだった。
翌朝。
かろうじて空が白み始めたころ、清貴はアレスに揺り起こされた。
「どうした。異常事態か?」
「はい、アンドレアナ殿が尋ねてきていらっしゃいます」
「すぐに行く」
起き上がってみて思ったよりも疲れがとれていることに驚いた。もともとどんな場所でも眠れるタイプではあったが、それにしてもよほど深い眠りに落ちていたようだった。
はじめのうちは息苦しいと感じた犬達の、その人より高い体温と確かな心音が安堵をもたらしたのかもしれない。
その片割れのヒューゴはアンドレアナの気配に気付いたのか、ふごふごと鼻を鳴らしながら会議室へ早足で向かっていく。
清貴もその後を追いかけていけば、今日もまた折り目正しく制服を着込んだアンドレアナが待っていた。
「何があった?」
「直接ご覧になった方が早いかと思います」
アンドレアナがテラスに向かうドアを開くと、途端にヒューゴの動きが止まった。ドアから遠ざかりながらしきりに唸り声をあげはじめる。
清貴はアンドレアナとともにテラスに出ると大きく目を見開いた。
湖が乳白色に染まっていた。湖面にはうっすらと霧がたちこめており、一見すればそれは幻想的な光景だ。
しかし、鼻孔にべったりとはりつくような焦げた臭いと腐敗臭とが漂っている。
「アレス! すぐにヒューゴとセルジュを連れて出来るだけ高台の家に移動するんだ!」
アレスの動きは素早かった。
まだ眠気まなこのセルジュと、怯えた様子のヒューゴを両脇に素早く抱え上げる。
大型犬である二匹は各々が60キロ程度はあるだろう。それを悠々と抱えたままアレスは猛然と走り出した。
その光景に呆気にとられたアンドレアナは、しばしの間を置いてから口を開く。
「あ、あの、清貴様?」
「ああ、すまない。湖の酸化が急激に進んでいる証拠だ。高濃度の酸性水が湖底から噴き出した事で湖の生物が死滅したことによる腐敗臭とアルミニウムの析出による色の変化だ。
我々にとっては不愉快な臭い程度ですんでいるが、嗅覚の鋭い犬達にとっては呼吸をするたびに肺が焼かれるような刺激になりかねない」
「そういえば、街からネズミがいなくなったと聞きました。この時間は鳥の鳴く声も聞こえる筈ですが、今日は一羽も見当たりません」
「予想したよりも進行が早いな。異常が確認できたのはいつからだ?」
「昨晩、湖のそばに住んでいた漁師がボコボコという奇妙な音を聞いて確認に向かったそうです。ランプで照らしたところ、湖が真っ白に染まっていたと言っていました」
「昨晩からか、……他に何か問題は?」
屋内に戻った清貴はぴったりとテラスへのドアを閉めた。まだ影響が軽微とはいえ、人間も長時間吸い込むべきではない。
清貴が問いかけるとアンドレアナは目を伏せた。
「はい、……上層区の貴族たちは早速避難を開始しています。すでに四割が逃げていきました」
「いい話じゃないか。資産が多いものほど動くのを嫌がるものだ」
「ですが、それに気が付いた下層区の住人たちが夜の間に上層区の屋敷に忍び込んで略奪行為を行ったのです。衛兵が対処にあたりましたが、そちらに人員を割かれ避難民の警護が手薄になり、その隙をついて自宅へ戻ってしまった者も多くいる、と」
「ああ、……まったく、……強制避難命令が出れば手荷物は全て放棄する事になると説明してやれ。持っていけないと分かれば略奪も意味がないと悟るだろう」
「その件なのですが、……例え命令が認可されても、実行は難しいものと思われます」
アンドレアナは表情を曇らせながら言葉を続けた。
「現状のグロッケンフェルスがどれだけ危険な状況にあるかは、職員たちが説明をして回っています。避難可能な者たちはすでに移動をはじめましたが、それはごく一部です。
坑道にはまだ多くの坑夫たちが閉じ込められたままになっています。救出された坑夫も怪我をした者が多く徒歩での避難は難しい状況です。
彼らの家族は立ち退きに従わないでしょう。無理矢理に移動させようとすれば暴動が起こる可能性もあります。
そして、グロッケンフェルスが抱える衛兵の数では、彼らを押さえ込むには足りません」
「それは、参ったな」
会議室のソファへ目をむければ、ゼノンが死んだように眠っている。
ナサニエル王子への電報は送信済であるとのメモがテーブルの上に置かれていたが、例え認可が降りたとしても民を動かすための人員が不足している。
そればかりはいくら知恵を絞ったところで無い袖は振れないというものだ。
そうなれば、最終的に命令に従った者たちだけを連れて避難する以外にないだろう。
しかしそれでは街の住人たちの一体何割を助けることが出来るのか。
「だが、我々は最後の一秒まで足掻く他ない。王令が下るのを待つ間に避難経路の選定を行おう。
坑道図面をもとに、経路を策定しつつ、現地で地面の温度を測定し推測にズレがないかを確認する。地表の温度が50度を超えている箇所があれば、そこはもう『底が抜ける』直前だ。
避難経路からは絶対に外せ。逃げている最中に地面が口を開けるのだけは避けなければならない。
ああ、それと湖近辺は立ち入り禁止区域に指定してくれ」
「件の異臭が危険という事でしょうか」
「それもあるが、……夜間にぼこぼこと噴き出す音が聞こえたという事は、湖底の地盤が摩耗してきた可能性が高い。
このまま湖の酸化が進んでいけば、いずれ湖底そのものが崩壊し、坑道に一気に水が流れ込んでしまう可能性がある」
「そうなれば、坑道火災は鎮火されるのではありませんか?」
「いや、……」
清貴は重々しく首を振った。
「湖の酸化現象の進行状況をみるに、湖底の火種の勢いは予想以上に激しい。湖の水では消しきれない、……どころか、水蒸気爆発が起こる可能性がある。最初の爆発よりも数倍、いや数十倍の規模の爆発だ」
「そんな、……グロッケンフェルスが、地図から消えるという事ですか?」
「――アンドレアナ。君にとってのグロッケンフェルスはこの場所か? それともここに住む人々か?」
厚いフレームごしの清貴の瞳は穏やかな色だった。
アンドレアナはその瞳を見つめ返し、自分の胸に手をあてる。心の声は、今更聞くまでもなかった。
「避難経路の策定を開始します。ご指示をお願いいたします」
職員たちの協力により、避難経路の策定が続けられる中、下層区の住人たちと衛兵たちとの諍いの数が増していた。
住人たちが集められたのが吹きっ晒しの広場であった事も原因の一つだ。
屋根も囲いもない場所では、衛兵が彼らの行動を制限するにも限りがあったのだ。
しかしこれは致し方ないことだった。
いつ、どこから一酸化炭素が噴き出してくるか分からない。
屋内に千人規模の避難民を集めるのは危険すぎる。
そこにきて、地面は絶え間なく揺れ続け、湖からの異臭も強くなる。
避難民も、衛兵も、そしてアンドレアナをはじめとする行政の職員たちも、皆、ストレスの限界に近づきつつあった。
「セルジュとヒューゴは、バスティアン卿の屋敷で預かって頂けることになりました」
昼をまわった頃合いで戻って来たアレスが簡潔に報告する。
「それから、上層区の屋敷の貴族たちは7割ほど避難を完了したようです。王令が出る事と聞いて速やかに動くことにしたようですね。くわえて下層区の者たちが上層区に侵入している事によって危機感を持った者も多いようです」
「そうか。助かった」
「それから、セレスティア派の神官にも呼びかけを行い、避難誘導を開始しています。これで熱心な信者たちは動いてくれるでしょう。つきましては、ハザードマップを神官たちに渡したいのですが」
「それは助かるな。……ゼノン!」
清貴が声を投げると、すぐさまゼノンが魔石複写機で作った図面を持って来る。
「はいはい、勿論ご用意出来ていますよ。ただこれは、現時点での避難経路です。数時間後には変わる可能性があります。
避難誘導が大幅に遅れた場合などは最新の地図を災害本部まで受け取りにくるように指示して下さい」
「分かりました」
アレスは頷くと、まるでそこにいたのが嘘のようにあっと言う間に去っていった。
災害対策本部には次々に観測された地表の温度のデータが届けられていたが、ゼノンの言う通りそれは刻々と変化している。
予想以上に炎の進行は早かった。
「清貴様、バリア魔法が扱える魔導師資格をもった職員が数名います。彼らに坑道に入ってもらって防火扉をいくつか閉めて来るのはいかがでしょうか?」
昼の報告会において、職員の一人がそう発言した。
清貴は坑道図を見つめてしばしの間、思案したがやがて首を横に振る。
「危険だ。……確かに一時的には延焼を食い止めることが出来るだろう。だが、臨界点が訪れた時のエネルギーを増加させる事になる。
現状の延焼スピードを考えれば、それが数時間後になるか三日後になるか読み切れない。
地表の温度を計測したデータから、火災はすでに街の東地区のほぼ全域まで広がっている。となれば、換気口を開けてエネルギーを逃がすのも難しい」
「王都からの返信はまだなのでしょうか?」
「街一つ分の避難となれば、即時決定とはいかないだろう。待つしかない」
そう答えながらも清貴もじりじりと焦げ付くような焦りを覚えていた。
報告会が終わり各自が再び仕事に戻っていく。
事態がさらに悪化したのは、陽が傾き始めたころの事だった。
「清貴様、……大変です、湖の色がまた、……!」
慌てて駆け込んできたアンドレアナに、清貴はテラスへと飛び出した。
途端に、錆びた金属を嘗めたような異臭が押し寄せ、わずか吸い込んだだけでも喉の奥がピリピリと痛みを覚える。
眼下の湖は鮮やかなエメラルドグリーンに変わっていた。
湖面は見て分かるほど湯気が沸き立っており、水温が急速に上がっていることが見てとれる。
「……アンドレアナ、テラスから離れろ。この湯気はただの蒸気じゃない、『希硫酸の霧』だ。
吸い込み続ければ肺に水が溜まり、溺死するのと同じ末路を辿るぞ!」
清貴はアンドレアナの腕をひいて慌てて室内に戻ると、後ろ手でドアを閉めた。
「まさか、……これは、早すぎる。通常ならば数日の猶予がある筈だ」
「清貴様、これは一体」
「酸性化が進んで、石炭層や周囲の鉱床から銅イオンや二価鉄イオンが溶け出したんだ。通常ならこの変化は数日かけて行われる。それが急速に進んだという事は、湖直下の坑道火災が……恐ろしいほどの高温になっているという事だ」
「で、では、……この街に残された時間は……」
「もう、ほとんど残っていない。――デッドラインまでは、あとほんの僅かだろう」