作品タイトル不明
事故調査ファイル_地獄の窯②
清貴たちとアンドレアナが下層区の坑口へ辿り着いたとき、そこは戦場のような有様だった。
坑口からは、内側から突き上げられた黒い煤煙が、断続的な咳払いのように吐き出されている。
這い出してきた坑夫たちは、全身を漆黒の炭塵にまみれさせ、目と歯の白さだけが異様に浮き立っていた。
ある者は仲間の肩を借りてよろめき、ある者は力尽きて煤けた地面に膝をついている。肺に詰まった塵を吐き出そうと激しく咳き込んでいる者も大勢いる。
凄まじいのは「音」の濁流だった。
坑道の奥で今なお反響し続ける不気味な地鳴り。
愛する者の名を叫ぶ女たちの悲鳴。
それらが、まだ爆発の余熱で陽炎が立つ熱い空気の中で混ざり合い、逃げ場のない焦燥感を煽っている。
「責任者は、……バスティアン卿はどこにいるの?」
アンドレアナが仲間を宥めている高齢の坑夫へと問いかけると、老人は顎で場所を示した。
視線を向ければ小奇麗な服を来た貴族らしき男が真っ青な顔で皆に指示を飛ばしている。
「バスティアン卿、状況を説明してください」
詰め寄るアンドレアナに制止をかけたのは清貴だった。
「坑夫たちの避難が先だ。バスティアン卿、今すぐここの人間を坑口から引き剥がせ!
最低でも300メートルは距離を取るんだ。立ち止まらせず、風上の高台まで誘導しろ!」
バスティアンが反論しようとするのを、清貴は鋭い眼光で制した。
「さっき、山向こうの煙が逆流したのを見たはずだ。今、この坑道は猛烈な勢いで外気を飲み込んでいる。
酸素が火種に届けば、次はここから、火炎と濃縮された一酸化炭素、――”死の吐息”が吹き出してくる。
ここにいる全員を、毒の餌食にするつもりか?」
表情を戸惑いに変えたバスティアンに、ゼノンが一歩前に踏み出した。
「この方はセレスティア教団公認の聖女であり、大陸事故調査委員会代表、清貴様です。
ヴェネンティカ王国災害時特例法・第二十四条第三項に基づき、大規模災害発生時における大陸事故調査委員会の勧告は、国王陛下の直命と同等の強制力を持ちます。
現在この場において、清貴様の避難指示は、現地監督者である貴方の権限より優先されるものと法的に認定されています」
ゼノンの言葉にアンドレアナも頷いた。
「バスティアン卿、今すぐ、全坑夫と住民を風上の高台へ退避させて下さい。これ以上の犠牲者が出れば、それは事故ではなく、卿による『王命違反』とみなされますよ」
王命違反と聞けばバスティアンも顔色を変え慌てて指示に従った。
家族の安否確認が出来ていない女たちはその場に踏みとどまろうとしたものの、集まってきた衛兵たちに避難を促されとぼとぼと高台に向かっていく。
避難誘導と並行して、清貴主導により災害対策の仮本部が設営された。
場所は上層区にある空き家となっていた屋敷で、これも災害時特例法により一時的に徴収する形となったのだ。
残されたままだった机や椅子はそのまま使用し、庁舎から木製ボードが持ち込まれる。
ある程度の体裁が整ったところで、清貴はバスティアンと向き合った。
「改めてお伺いいたします。一体何が起こったのですか。あの爆発は、……炭塵爆発ですね。
私が大陸事故調査委員会を発足して真っ先に取り込んだ”公共安全保障法”の中で、炭鉱事故防止策として炭塵の除去作業については厳しく規定を設けた筈です」
炭塵爆発とは、坑道災害の中でも最悪の結末をもたらす現象の一つである。
空気中に浮遊する微細な炭塵が何らかの火種によって引火し、爆発を起こす――原理そのものは粉塵爆発と同じだ。だが、炭塵爆発には『 連鎖反応(プロパゲーション) 』という真の恐怖がある。
最初の小さな爆発が起こると、その衝撃波が、坑道の壁や床に数十年かけて降り積もっていた煤や粉塵を叩き起こし、空中にぶちまける。そこに爆発の火炎が飛び込み、次の爆発を呼ぶ。
これが迷路のような坑道内で、幾度も、ドミノ倒しのように発生する。
さらにこの爆発は、地底の酸素を食いつぶし、代わりに大量の一酸化炭素を残していく。
爆心地から離れ、かろうじて爆風を逃れた坑夫たちを待っているのは、無色無臭の死神だ。
一酸化炭素中毒は、助かったと思った者たちの命を静かに奪い、たとえ生き延びたとしても、その脳に一生消えない重篤な後遺症を刻み込む。
これを予防するのは定期的な炭塵の除去作業、すなわち清掃の徹底である。
清貴は炭鉱事故の防止策として、ナサニエル王子の後ろ盾を得て法案を通したのだ。
「お言葉ながら聖女様、清掃は徹底しておりました」
バスティアンは青ざめながらもはっきりと言葉を返した。その傍らでアンドレアナも頷いて見せる。
アンドレアナの足元には一匹の大きな犬が蹲っていた。彼女の愛犬で、見た目はロットワイラーによく似た強面だ。
名前はヒューゴと言うらしい。セルジュと同じく、落ち着かない様子で時折ヒュウヒュウと鳴き声を漏らしている。
当分、屋敷に帰れなくなることを鑑みて、清貴が連れて来るように言ったのだ。
「バスティアン卿の言葉に嘘はありません。私自身の目で清掃が行われているかを確認しておりました。
ただ気になるのは、……火柱があがった山向こう、あの方角に炭坑があるという話は聞いた事がありません」
「爆発は山向こうに向かって連鎖的に発生した。間違いなく坑道が存在するはずだ。
……職員に命じて古い図面を調べなおしてくれ。把握されていない坑道が存在している可能性が高い」
「分かりました。すぐに行います」
アンドレアナは頷くと、慌ただしく駆け回っている職員を呼び寄せ、古い図面を調べるよう命令を出す。
清貴は走っていく職員の背を見送ったあと、改めてバスティアンに向き直る。
「坑道に関しては結果待ちとしましょう。しかしながら、第一の爆発、あれは炭塵爆発ではなかったものと考えます。
揺れ方の質がまったく異なりました。最初の爆発は、激しく突き上げるような一撃だった。続く爆発は荒波が押し寄せるよう連鎖的に響きました。
これに関して、貴方は何らかの答えを持っていますか? 憶測でも構いません。
ここ一か月の間に、何らかの”異変”が報告されてはいませんでしたか?」
バスティアンは眉間に皺を刻んで俯いた。何かを知っている。だが責任追及を受けたくないといった所だろう。
清貴は大きく息を吐くと言葉を続ける。
「バスティアン卿、残念ながら、危機はまだ去っていません。……どころか、これからもっと壊滅的な被害が出る可能性がある。
最悪の事態を申し上げるならば、街の住人全員、――貴方も含め全ての人間が死亡します。
被害状況を適切に把握、分析し、避難計画をたてなければより多くの被害を出すことになります。一刻を争う問題です」
清貴はあくまで淡々と事実だけを並べた。
そこにバスティアンを責めるような声色は含まない。起こってしまった事故の被害を最小限にする。それだけを優先する。
長い沈黙のあと、バスティアンが口を開いた。
「……小さな火事が起こったと、報告を受けておりました」
「それはどれくらい前の事ですか?」
「一か月ほど前です。坑夫たちが発見し、現場監督者がただちにその区画を防火扉で封鎖したと」
「なるほど、……それで?」
「今朝、その現場監督が”一か月ほど経過したので消火されたかどうか確認に行く”と言っておりました」
清貴は頭を抑えながら椅子に座り込んだ。
無知を罪にすべきではない、とは清貴のモットーである。学ぶ機会のない者に知りようもない事を裁く事は出来ない。
しかしそれが積み重なった時、恐ろしい災害を引き起こしてしまう事がある。
沈黙する清貴の背後で、先ほど慌ただしく出て行った職員が戻ってくると、アンドレアナに早口で報告を行った。
アンドレアナは古い坑道図を受け取ると、テーブルの上に広げていく。
「確認がとれました。老齢の坑夫たちに聞いたところ50年ほど前に使用していた坑道があったそうです。
現在はまったく使われていないため、混乱を避けるために坑道図からは削除していたそうです。
これが50年前に作られた坑道図です。現在のものと見比べると、……記載されていない坑道が数多く存在しています」
「地図にない坑道は炭塵清掃の対象になっていなかった、という訳か。……裏どりが出来て何よりだ。一歩前進と考えよう。
……ゼノン、古い坑道図と新しい坑道図、それにこの近辺の地図をかさねた図を作成してくれ」
気を取り直した清貴の指示を受けたゼノンの口が悲鳴の形に開くも、……かろうじてそれを飲み込んだ。
「かしこまりました。しばしお待ちください」
ゼノンはこめかみをぴくぴく震わせながらも、新しい羊皮紙を広げると定規をあて升目をひき、速やかに地図をかさねて書きとっていく。旧坑道と現在の坑道、周辺の地形にそれぞれ別の色のインクを用いて正確無比に描いていく様は、彼の抜きん出た優秀さを物語っている。
清貴たちが、徐々に出来上がっていく図面を食い入るように見つめていると、紅茶と軽食を載せたトレーを手に、セルジュを小脇に抱えたアレスが戻ってきた。
「聖女様、皆さま、一度手を休めてこちらをお召し上がりください。食事はとれる時にとる、それが基本でございましょう?」
アレスの言葉に清貴は苦笑しつつも知らず知らずに強張っていた肩を回して頷いた。
「その通りだ。助かるよ」
軽食はスコーンとサンドウィッチで、王都で食べるものよりも遥かに素朴ではあったものの、そこには作り手の”美味しく食べて欲しい”という愛情が籠っている。
セルジュとヒューゴは相変わらず怯えてはいるものの、乾燥肉を差し出させばすぐに齧りつく。今のところ食欲の方が勝っているようだ。
清貴たちが小休止している間にゼノンはなんとか地図を書き上げると、そのまま机に突っ伏した。
出来上がった地図を見つめながら、清貴は重く息をつく。
「助かった、ゼノン。……さてバスティアン卿、火事があったのはどこになりますか?」
「は、はい、……報告によれば、この東坑道の端、……東第三斜坑・下層300、この地点となります。
そこで、この東第三斜坑の防火扉を閉めて封じていたと」
「なるほど、全体図が見えてきたな。東側の工区は、湖に隣接する形で伸びており、先ほどの廃坑道に近い距離だ。
まずここで火災が起こった。現場では小さな火災だったために、防火扉を閉めることで消し止められるであろうと考えた。
しかし、この地層は現場監督が予想した以上に石炭の含有量が多かったのだろう。火は消えず地層に浸透するように燃え続けた」
清貴は地図を指さしながら説明を続ける。
「石炭層には、多くの場合”硫化鉄”が含まれている。この”硫化鉄”が火災の熱で急速に酸化。
さらに地下水と混ざり合うことで”硫酸”となり、それが湖へ注ぎ込んだんだ。
硫酸、いや、 緑礬油(りょくばんゆ) といった方が通じるか?」
「緑礬油……、では、湖の魚が死んだり木が枯れたのは……」
アンドレアナの声に清貴は頷いた。
「ああ。そうだ。地上からは見えない地下火災によって鉱物が染みだした事による湖水の急速な酸化が原因だ」
皆の視線が窓の外の湖へと向かう。
紺碧の湖がいつの間にか恐ろしい硫酸に変わりつつあったなどと誰が想像しただろうか。
「さらに、鎮火されないままの炭鉱火災により、地層のヒビを伝うように少しずつ一酸化炭素が、”死の吐息”が漏れ出し、それが下層区へ溢れ出していた。昨今、立て続けにおきていた不審死の原因だ。
だが、もっとも壊滅的なのはここからだ。
おおよそ一か月に渡って防火扉の向こうで燻り続けた炭坑。そこに点検へ訪れた現場監督が扉を開き、……新鮮な空気が一気に吹き込まれた。
これにより、燻っていた炎が爆発的な炎上、”バックドラフト”を引き起こしたんだ」
清貴の指先が坑道図の上をなぞっていく。
「爆炎が坑道を突き抜け、それが旧坑道に到達する。そこで、降り積もった炭塵に引火、連鎖的に出口へと向かって爆発が起きた。
せめてもの幸いは、爆発エネルギーが街から離れた場所へ抜けたことだ。これが街中であったならば、我々はとっくのとうに全滅していた可能性が高い」
「で、ですが、聖女様はまだ危険があると仰られましたね。それは……」
恐る恐る尋ねるバスティアンに清貴が唸るように言葉を続ける。
「爆発エネルギーは外へ逃げた。だが、炎は坑道内へ戻っていった。これから坑道内の全てが燃やし尽くされる事になる。
ただ燃えるだけじゃない。
地底が巨大な空洞になれば、この街の重みを支えている岩盤は、焦げすぎた焼き菓子さながらに脆くなる。
岩盤が砕け散れば街全体が、地底の業火の中に飲み込まれることになるだろう」