作品タイトル不明
事故調査ファイル_地獄の窯①
馬車から降り立った瞬間、大きく吸い込んだ空気で喉の奥がざらついた。
空気に混ざり合う僅かな煤に違和感を覚えたのだろう。
『 鐘の岩(グロッケンフェルス) 』は鉱山を中心に栄える山間の街だ。
深い森を馬車で進むこと数日、ふいに視界が開けむき出しの山肌が広がる光景が出迎える。
崖に張り付くようにして軒先を並べる家々は長年、煤に晒されたせいで黒ずんでおり、そのせいか街全体が煤けて見えた。
人口おおよそ4000人、その九割以上が鉱山労働者たちだ。
上層と下層とにはっきり分けられた街は、労働者たちが住む下層ほど家々が密集し、迷路のように入り組んでいる。
街の傍らには紺碧の湖が横たわっているが、それを囲む樹々は白骨のように立ち枯れていた。
清貴がこのグロッケンフェルスに訪れたのは、ここ最近連続して起こっているという奇妙な事件の謎を解くためだった。
奇妙な事件とは、街の下層で相次いでいる不審死と、そして湖での魚の大量死だ。
「都市部とは、随分と印象が異なるものだな」
街並みを見つめながら、清貴がぽつりと呟いた。
「ええ。王都などの大都市では魔石を用いた魔導機関が生活の隅々まで行き渡っていますが、こうした辺境の街では、今も原動力の主役は石炭です。
特に下層区では魔石ストーブどころか、魔石ランプ一つ持たない家も珍しくありません。調理も暖房も、パンを焼く窯の燃料もすべて炭を使います。この街が煤けて見えるのは、人々の生活の熱そのものなんですよ」
ゼノンの説明を聞き、なるほどと清貴は頷いた。
この街の行動でおもに掘られているのは無煙炭だと聞いている。
無煙炭とは、石炭の中でももっとも炭化度が進んだものの事を言う。他の石炭類に比べて燃焼させた時の煙や臭いが非常に少なく、しかし発熱量は多いため家庭用から軍事用まで幅広く活用されている燃料だ。
炭鉱は街の地下を蜘蛛の巣のように広がっており、下層区には坑道への入口や換気孔が複数存在しているという。
「そもそも、魔石の生成にも石炭を用いているので、我々の生活とは切っても切り離せない存在なのです」
言葉を続けるゼノンの足元ではセルジュがどこか落ち着かない様子で地面を嗅ぎまわっている。
今までも新しい土地に来るとこうして周囲を嗅いでいたが、今回はそれがいつも以上に執拗に思えた。
何より奇妙なのは普段ならせわしなく動いている尾が、力なく垂れ下がったままである事だ。
「……アレス、セルジュを抱きかかえておいてくれ。用心に越したことはない」
「分かりました」
セルジュはアレスの手が伸びてくると慌てて逃げようとしたが、それよりも素早く抱き上げられる。
エクレシアでセルジュを抱えたアレスがそのまま五階から飛び降りて以来、セルジュはアレスに対して怯えを抱いているようだった。
しかし、三人の中でもっとも散歩に連れ出してくれるのもアレスであり、犬なりに思う所もあるらしく、吠えたり牙を剥く事はない。
どこか恨めし気な顔をしながらも抱えられたままになっている。
逗留先として用意された屋敷は、街の上層部にある石造りの建物だった。
下層の喧噪が嘘のように静寂に満ちた屋敷は、街や湖を見下ろす上層の中でももっとも高い場所にある。
廊下には毛足の長い絨毯が敷かれており、壁には歴代の鉱山主の肖像画が並んでいた。
屋敷内では、魔石を用いた魔道具が当たり前のように使われており、王都に戻って来たような気持ちになる。
「聖女様、このたびはわざわざこの最果ての街、グロッケンフェルスに足をお運び下さりありがとうございます」
清貴を出迎えたのは、この街の行政官を務めるアンドレアナという女性だった。
王都にある学園で優秀な成績を修め、王宮務めを切望されたが、故郷であるグロッケンフェルスの行政官になることを望んだ、というその経歴が彼女の高潔さと意思の強さを表している。
長くのびた栗毛色の髪はきっちりと編み上げられ、王国の制服を皺ひとつなく着こなしている。王宮の夜会で見かける令嬢たちのような華やかさとは違う、芯の通った美しさを秘めた女性だった。
「清貴だ。そう呼んでくれた方がありがたい。……早速お話を伺いたいのだが宜しいだろうか」
「ええ、勿論です。……あら……」
頷いたアンドレアナが何かに気付いた様子で言葉を切った。
視線の先にいるのは床の上に降ろされたセルジュだ。
セルジュはこの閑静な屋敷にたどり着いて尚も、どこか不安気な様子を見せている。
「どうなさいましたか?」
「いえ、……私も犬を飼っているのですが、ここ最近、その子と同じような反応を見せているのです。行政官として就任してもう五年経ちますが、こんな事は初めてで」
「犬は、人間よりも敏感に異常を察知します。彼らにしか見えない何かがここにはあるのかもしれません」
清貴が答えるとアンドレアナは顔を曇らせる。
「では尚の事、早急に原因究明をする必要がありますね。会議室に資料を用意してあります。長旅でお疲れのところ恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
「下層区での不審死、……それに湖での魚の大量死、との事でしたが、先ほど見たところ湖周辺の木々が立ち枯れを起こしているようでした。あれは以前からの事ですか?」
会議室の椅子に座ると、さっそく清貴が質問を開始した。
傍らではゼノンがパルプ紙を閉じた革の手帳を開くと素早くメモをとっている。
アレスは落ち着かない様子のセルジュを膝に抱えている。セルジュは大人しく抱かれるままになっていた。
「いえ、木が枯れ始めたのはここ一週間ほどのことです」
「魚の大量死があった、というのは?」
「それは二週間ほど前のことです。あの湖には食用となる魚が生息していて、それを獲ることを生業としている者もいるのですが、彼らから、魚が次々に死んでいると報告があったのです」
「なるほど。……湖自体になにか異常はありましたか? たとえば、色が変わった、などは」
「私の見た限りでは、変化はないように思えます。ただ一部の漁師たちは以前より水が透き通って見える、と」
「なるほど。下層区での不審死、というのは?」
アンドレアナの表情が唐突に曇った。
事前資料によれば、アンドレアナは足繁く下層区にも通っており、生活の改善に務めているとあった。
住民たちの死は彼女にとって他人事ではないのだろう。
「私の把握している限り、一番最初の事件が起こったのは、二週間前のことです」
「魚の大量死とほぼ同時期という事ですね」
「そうです。亡くなったのは下層区に住む老人で、井戸に水を汲みにいったところまるで吸い込まれるように落下したそうです。そこで、慌てて近くにいた者が助け出そうと井戸を覗き込んだのですが、その者も意識を失い……幸いにして他の住人達が身体を引っ張って井戸から遠ざけた事で死は免れました。しかし、……意識を取り戻したあとも呂律が回らず、焦点もあわず、……」
「一酸化炭素中毒のように思えますね」
「聖女様の国の言葉ではそう仰られるのですね。炭鉱夫たちの間では”死の吐息”と言われております」
「無味無臭で突然意識を失い、眠るように死亡する。死体は赤みを帯びている?」
「はい、そうです」
やはり一酸化炭素中毒であるようだ。
一酸化炭素中毒とは、不完全燃焼を原因として発生した 一酸化炭素(CO) を吸い込んだ事による中毒症状である。COの恐ろしさは、無色・無臭・無刺激の気体であり、発生に気づけない点にある。犠牲者はまったく無自覚のまま深い中毒に陥るため、「サイレントキラー」とも呼ばれている。
体内に取り込まれたCOは、血液中で酸素を運ぶ役割を持つヘモグロビンと強力に結びつき、酸素の供給を阻害する。その結果、呼吸をしていても全身が深刻な酸欠窒息状態に陥るのだ。
初期症状として頭痛、めまい、吐き気などが現れるが、CO濃度が高い場合は、自覚症状を覚える間もなく一瞬にして意識を失い、死に至る。
さらに、命を取り留めたとしても安心はできない。脳が酸素不足にさらされたことにより、数日以上の時間を経てから記憶障害や麻痺などの深刻な後遺症が現れるケースも少なくない。
炭鉱の街であれば、それを知っている者も多いだろう。しかし炭鉱内ではなく、街の中まで染みだしているのは気にかかる。
「他にも似たような事故が相次いだと」
「そうです。寝ている最中に一家全員が亡くなった家や、地下の物置に食料を取りに行って亡くなった者もいます。今日までの間に、犠牲者は28名に及んでおります」
「なるほど、……地中にヒビが入っているとしても、ここ数週間で急増しているのは気がかりだ。
念のためにお伺いしておきたいのだが、異変が起こり始める以前に坑道内火災が発生したという報告は?」
「私の元には届いておりません。しかし、私も同じ可能性を考え、調査員を派遣いたしました」
「火災は発見できなかった、という事ですね」
「はい、その通りです」
その時、――セルジュが吠えた。
直後、地中深くからドォンっという爆音が響き、突き上げるような衝撃が走る。
建物全体が、いや、街そのものが軋みを上げ、天井から細かい石片が落ちてくる。
「伏せろ!! 机の下に潜るんだッ!!」
清貴の叫び声が、会議室の静寂を切り裂いた。
反射的に皆が机の下に潜り込む。直後、地底から突き上げるような衝撃が走り、重厚な石造りの建物が悲鳴を上げた。
ドォン、と腹に響く爆音が再び轟く。それは一度では終わらなかった。
わずかな静寂を置いて、再び、そしてまた再び。
大地は幾度も激しく震え、天井からは雪のように石片が降り注ぐ。
逃げ出そうと暴れるセルジュをアレスが力尽くで抱え込み、その腕の中で犬は狂ったように咆哮を続けた。
やがて、鼓膜を震わせる一際大きな爆鳴とともに、窓の向こうで星が落ちたかのような閃光が走った。
はげ山の向こう側から、天を衝くような火柱が吹き上がる。
噴き出した巨大な火柱はやがて黒煙へと変わり、空を覆わんばかりに溢れ出した。
だが、その黒煙は奇妙な動きを見せた。
まるで意志を持っているかのように、勢いよく噴き出していた煙が、一転して山向こうへ吸い込まれて消えていったのだ。
「こいつは、……大惨事になるぞ」
清貴の声に、誰も言葉を返さなかった。
だが皆がそれを真実であると分かっていた。