軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

事故調査ファイル_災の共鳴⑦

清貴とゼノンは、骨の髄まで疲れ切ってベッドの上にぐったりと横たわっていた。

もう指の一本すら動かしたくない。

とくに40キロ以上はありそうな書類や本を抱えて全力疾走をしながら、文献を読み漁るという無茶ぶりを押し付けられたゼノンは、ほとんど死体同然だった。

ゼノンの愛犬であるセルジュは、そんな主人の疲労を知ってか知らいでか、腹の上に飛び乗ってしきりに顔を舐めている。

押しつぶされたゼノンは小さな呻き声を断続的に漏らしていたが、多分、アニマルセラピー的な効果があるのだろう。

開け放たれたままの窓から乾いた風が吹き込んでくる。

夕暮れ時のこの時間は、風もまた涼やかで、頬を撫でていく感覚が何とも言えず心地よい。

かすかに届く祈りの声は、心なしか数日前よりも穏やかな響きとなって聞こえてきた。

時折、窓辺に吊るされた小さな鐘が軽やかな音をたて、祈りの声に重なり合う。

「お疲れ様でした、聖女さま」

そんな中、まったく疲れを見せていないのがアレスだった。

異端審問官二名と死闘を繰り広げた後である筈だったが、そんな気配は微塵も感じさせないほど、アレスは何も変わらない。

血の染みの一つもなければ、衣服も髪もまったく乱れていないのが恐ろしい。

隙を見計らって着替えたのだと信じたかった。

まるで何事もなかったかのような顔で二人分の珈琲を淹れると、清貴とゼノンの元へと運んできた。

「ああ、……アレス、君も無事で何よりだ。ああ、その、……相手は、どうなった?」

「ご安心下さい。頭を砕いたり、心臓を握り潰しでもしない限りは、癒し手が修復いたします。

ただ、あまり何度も相手をするのは面倒ですので、修復可能な範囲内で、少々痛い目にはあって頂きました」

「……うん、……うん、そうか。うん」

それ以上、深く聞くのはやめておこう、と清貴は思った。

熊などの鳥獣被害において事故調査委員会が「調査」や「検討」に関わるケースはあるものの、怪獣レベルはお手上げである。

のそのそと起き上がって珈琲を受け取り、その香りを深く吸い込む。

鼻孔を満たす珈琲のアロマが心地よく、眩暈のような酩酊感をもたらして全身から緊張がほどけていく。

ゆっくり一口飲んでみれば、思わず風呂に入った時のような「あ゛ー」という溜息に似た声が出る。

大仕事を片付けたあとの珈琲の味は格別だ。

アレスはそんな清貴を目を細めてしばし見守ったあとに口を開いた。

「聖光庁はこたびの悲劇について、聖女様の聞いた神の声を全面的に受け入れるそうです。運用体制も根本から見直しをかけ、資金面の調整を行うと。

解雇した人員に関しても、再雇用に向けて計画を建て直すそうです」

「そいつは良い知らせだ」

「はい、つきましては、……」

アレスは一拍置くと、いまだ倒れ伏したままのゼノンに向き直った。

「――聖女様の優秀な補佐官であるゼノン殿に予算案見直し計画書の草案を作って頂けたら有難い、と」

「ひいいいええぇええあああおおおううううううううう!!!?!????」

途端にゼノンが飛び起きて、素っ頓狂な悲鳴をあげる。

お陰で腹から落ちかけたセルジュが不満そうに低く吠えた。

「まままままま、待って下さい! 待って下さいよ! 予算案の見直し!? 私の事を何だと思っているんですか!?」

慌てて眼鏡をかけなおしながら叫ぶところが妙に几帳面で面白い。

思ったより元気そうでなによりだった。

「――書類仕事ならなんでもこなせるスーパーマンか?」

清貴が言うと、ゼノンの声が一オクターブ高くなる。

「誰ですか知りません!! 少なくとも私じゃないですね! おやめ下さい死んでしまいますッ!」

「あー、とは言ってもな。エクレシアの巡礼者が減ったことに関してはそれなりに責任を感じているんだ。ここで恩返しが出来るなら、出来る限りの事はしたい」

「その恩返しは私の命で返すおつもりですかーーーーーッ!?」

ゼノンの声がオペラのように音階をあげていく。

傍らのセルジュは驚いた顔をしたあと、遠吠えをあげて呼応した。

「いや、その、なんだ。僕も出来るだけ手伝うさ。数字を動かすなら得意な方だ」

「騙されません! 騙されませんよ! そんな事を言って貴方は前回も”理詰めの数字”だけを押し付けてきたじゃないですか!

いいですか! 現場は理詰めだけじゃ動かないんですよ!」

「流石だゼノン。お前に任せた方が良さそうだ」

「きいぃいいええええええええええ!!!!!!」

発狂するゼノンに清貴とアレスは肩をすくめる。

「それでは私は、ゼノン殿のかわりにセルジュを散歩に連れていきましょう。ずっと籠り切りで退屈してたでしょう」

散歩、と聞いた瞬間、セルジュがガバっとアレスに向き直る。

その瞳は喜びにキラキラと輝いて、せわしなく振り回される尻尾が主人であるゼノンを情け容赦なしにバシバシと叩きだす。

「うわーん、嫌だぁああああ、私もお散歩行きたいぃいいいい! リフレッシュしたいぃいいい!!!!!」

ゼノンの悲鳴ももはやセルジュには届いていなかった。

犬という存在が、散歩とご飯だけは聞き分けるという特徴はどこの世界線でも同じらしい。

アレスは60キロはありそうなセルジュをふわりっと抱き上げる。

その巨体故にめったに抱き上げられたことがないであろうセルジュは、驚きに目を丸くした。

アレスはセルジュを抱きかかえたままテラスへと歩いていき、――おおよそ五階分の高さから迷いなく身を躍らせる。

「セ、……セルジュウゥウウウゥゥゥゥウウウウウウッ!?!?!??」

「アオアオアオアオアオオオォォォォォオオオ~~~~~~~~~ン!??!??」

叫ぶゼノンとセルジュの悲痛の叫びが共鳴した直後、ダァァアアンと重い着地音が響く。

テラスから身を乗り出して見てみれば、アレスはにこやかに手を振っていたが、衝撃の激しさを物語る砂塵が周囲を舞っている。

腕の中のセルジュはしばらく硬直していたものの、地面に降ろされれば本来の目的を思い出し、再び勢いを取り戻した。

「……あとで君も散歩に連れていって貰えるよう頼んでおくか?」

からかうような視線を向ける清貴に、ゼノンは無言のまま全力で首を振り続けていた――。