軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔法にかけられたのは

ランドルフが外回りから帰ってくると、午前中ずっと溜まりに溜まった捜査報告書と格闘していたらしいカイルが顔を上げて話しかけてきた。

「あ、そうだランドルフ」

ランドルフの席はカイルの向かいなので、軽く椅子を引きながら目線で応じる。自身の机の上にはカイルと同じく書類の束が積み重ねられていた。

急を要するものはないとはいえ、とりあえず数日前に起きた傷害事件の証拠書類については早めに手をつけた方がいいだろう。

ちょうどその事件の犯人を逮捕したのがカイルだったので、そのことに関して何か報告があるのかもしれない。

そんな風に思っていたのだが、しかし、副官から告げられた言葉は予想とまったく違うものだった。

「最近さあ、コニーちゃんとデートしてる?」

一瞬カイルが何をいっているのかわからなくなり、オウムのように単語を繰り返す。

「でーと?」

「何だその顔。まあ、できてるわけねえか。ここんとこクソ忙しかったし」

(ああ、 デ(・) ー(・) ト(・) のことか)

やっと理解が追いついたものの、今度は『最近』という単語に引っかかってしまう。

確かにランドルフたちはこの半月ほどろくに非番も取れないほど忙しかった。

けれど、記憶をたどる限り、婚約者と外出したのはそれよりもっと前のような――

ランドルフの何とも言えない表情に気づいたカイルがわずかに顔を引き攣らせた。

「……何だかすげえ嫌な予感がするんだけど、ちなみに最後にデートしたのはいつだ?」

ランドルフは腕組みをしたまま天井を見上げ、それからゆっくりと口を開いた。

「カイル」

「おう」

「……デートとは、会って言葉を交わせば成立したと考えても?」

「だとしたら俺は職場のクソ野郎共とほぼ毎日デートしてることになってるわな」

「…………そうか」

じとっとした視線を感じながら、ランドルフは相変わらず表情筋の死滅した顔でこう告げた。

「なら、少なくともここ数カ月はないな」

とは言え、一応、手紙のやりとりはしている。頻繁ではないが。

それにたまに――本当にたまにだが――時間が取れた時には顔を見に行ったりもしている。余裕があれば立ち話もする。

そう説明したものの、なぜかカイルは始終頭痛を堪えるように目元を手で覆っていた。

「……そんなに駄目か?」

「逆にどうして駄目じゃないって思えるんだよ。お前、そんなんでよく婚約破棄されないよな」

「いや、されたが」

もちろん今ではないが、実際過去に一度婚約破棄されている。

やむにやまれぬ事情があったとはいえ、ランドルフにとっては到底受け入れがたい出来事だった。

最終的には未練たらしく「俺を捨てるのか」とまで言ってしまったほどだ。

あの時のことを思い出すと、今でもランドルフは体の芯が冷えていくような気持ちになる。

さすがのカイルも口を滑らせたと思ったのか、わざとらしく咳払いをした。

「……まあ、とにかく。お前、デートの計画立てるの得意じゃないだろ。だから、これでもやるよ」

そう言うと、どこからか取り出した二枚のチケットを指で挟んでひらひらと振ってみせる。

「たまたま貰ったんだけどその日は生憎仕事でさ。お前、ちょうど来週の祈り日が非番だろ? 愛想尽かされる前にコニーちゃん誘って行ってこいよ」

チケットに記載されていた会場名が王立歌劇団の所有する劇場だったので「オペラか?」と訊ねると、なぜかカイルは得意気な表情を浮かべた。

「いんや。聞いて驚け――なんとあのグランディディエの 独唱公演(ソロ・コンサート) の特等席だ」

ランドルフはわずかに首を傾げた。

「グラン……? 誰だ?」

「――――ああん?」

ランドルフの反応にカイルが口元をひくつかせ、低く唸る。

「お、おまっ……知らねえの……!? 王立歌劇団のグランディディエって言えば百年に一度の歌姫だぞ!? 虹色の美声、奇跡の歌声の持ち主だぞ!? その話題性から王都の流行は彼女から始まるとまで言われているあのグランディディエだぞ!?」

「……? 覚えていた方がいい人物か?」

どうやら著名人らしいのでそう訊ねると、カイルはがっくりと肩を落とした。

「……とにかく行ってこい」

「ああ。恩に着る」

いつも何かと世話を焼いてくれる男に礼を言うと、「ま、相棒だからな」と軽い調子で返される。それからカイルはまた書類の山へと戻っていった。

ランドルフも報告書を終わらせようと資料を手に取ったのだが、先程言われた婚約破棄という単語が脳裏をちらつき、何だか妙に落ち着かない気持ちになったのはここだけの話である。

カイルの贈り物の効果は絶大だった。

とはいえ実際にランドルフがそのチケットの価値を知ったのは公演当日だ。

いつになくはしゃいだ様子の婚約者の姿を目の当たりにしたからである。

「まさかグランディディエ様の歌声を直接聞ける日が来るなんて……! 何だか夢みたいです……! ……いや待てこれもしや本当に夢では?」

劇場に着くが否やそう言って躊躇なく頬をつねり始めたので、手を掴んでやめさせる。迎えに行った時から今に至るまで数えきれないほど同じやり取りを繰り返しているため、コンスタンスの頬は若干赤くなってしまっていた。

ランドルフはわずかに眉を寄せると「もうしないように」と厳しい口調で言い聞かせる。ちなみにこの流れもすでに十回は超えている気がする。

ランドルフは疲れたようにため息をつくと、「カイルも言っていたが、本当に有名なんだな」とひとりごとのように呟いた。

するとコンスタンスが興奮したように声を上げる。

「有名というか、すっごく、ものすっっっっごく有名なんです……!」

「そ、そうか」

「そうですよ! チケットなんて劇団の上級会員でも入手できないって言われてるんですから! ……でも、本当、カイルさんはどうやって手に入れたんだろう……? しかも、こんないい席……」

そう言いながら落ち着かない様子で周囲を見渡す。

今ランドルフたちが座っているのは劇場の二階席であり、半個室のような造りになっていた。確かに一般席と比べて値が張るだろうし、実際にカイルも特等席だと言っていた気がする。

「貰ったと言っていたな」

「こんな貴重なものを!?」

「あいつは昔からよく色んな人から物を貰うんだ。一種の特技だな」

そう告げると納得したように「あのお顔ですもんね」と頷いた。

「ああ。だから聞き込みの時は助かっている。……俺の見た目は威圧感を与えてしまうからな」

目を逸らされるのはまだいい。悲鳴を上げられるのにも慣れている。けれど子供に泣かれるのだけはどうにもやるせないものがある。

もっと親しみやすい表情でもつくることができればいいのだが――と己のふがいなさに小さくため息をついていると、コンスタンスがふふっと笑い声を立てた。

「確かに初対面だとちょっぴりおっかないかも知れないですね」

そう言いながら、いたずらっぽくランドルフの顔を見上げる。

「でも、皆すぐに優しい人だって気づきますよ」

「……あまりそうは思えないが」

「なら、今日から思ってください」

珍しくはっきりとした口調で言うと、また楽しそうにくすくすと笑う。

その表情をもっと見ていたくてそっと頬に手を当てると、コンスタンスは驚いたように目を見開いた。

若草色の瞳に不愛想な男が映る。ランドルフとコニーはそのまま瞬きをするのも忘れて見つめ合った。

それからゆっくりと互いの顔が近づいていき――

突然、ファンファーレが鳴り響いた。

コンスタンスがハッとしたように体を離し、舞台へと視線を向ける。

割れんばかりの拍手とともに、分厚い緞帳がゆっくりと持ち上げられていく。

舞台の中央にはきらびやかな衣装を纏った女性が立っていた。

彼女が優雅な動作で一礼をすると、待っていたかのように楽団が軽やかな音を奏でだす。

そうして玲瓏と歌い出したグランディディエは、評判に違わぬ歌唱力を持っていた。

芸術に疎いランドルフでも、これは今まで聞いていきた音楽とは違う、とはっきりわかったほどだ。確かに思わず聞き惚れてしまうような歌声だった。

けれど、それより何より惹きつけられたのは――

「うわあ……!」

心の底から喜んでいることがわかる歓声。

光の当たる舞台を映してきらきらと輝く若草色の瞳。

力強い歌声には驚いたように大きく見開かれ、感情が込められれば心に響いたようにわずかに潤む。

曲調に応じるように無邪気に笑ったり、口元を手で覆ったり。ついには感動を抑えられないかのように両手を胸に当てている。

くるくるとめまぐるしく変わっていく表情はまるで魔法のようだ。

そのせいで片時も目が離せず、けっきょくランドルフは公演の間中ずっと隣に座る少女の顔を見つめていたのだった。

「すごかったですね……! あんなに広いホールなのに、あんなに声が響くなんて! まだ耳に余韻が残っているみたいです……!」

頬を紅潮させながらコンスタンスが笑う。

若草色の瞳は未だ星屑が瞬いているかのように輝いていた。

その幸せそうな表情につられるようにランドルフの口元もかすかに緩む。

その瞬間、コンスタンスが驚いたように大きく目を見開いた。

「どうした?」

「えっ、い、いや、いま、笑っ……」

コンスタンスは動揺したように口を何度も開閉させていたが、ランドルフが首を傾げていると、何かを諦めたように「………ぐ、グランディディエ様すごすぎる」と呟いた。

「そうだな」

それに関してはランドルフも同感だった。目を閉じればすぐに先程までの宝石のような時間を思い出すことができた。

カイルがどうして事あるごとに自分をデートに行かせようとするのかわかった気がする。

だから、少しだけ高揚した気分のまま、またこうして出かけてくれないか、と伝えれば――

少女は、この日一番の弾けるような笑顔を浮かべたのだった。