軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

その瞳に映るのは(後編)

ブロンソン商会は《子猫の 微睡(まどろみ) 》は所有したことがない。

ニールの台詞を聞いたコニーはぽかんと口を開いた。

「そもそもあれは十年以上前にさる侯爵邸から盗まれて以降ずっと行方がわかっていないんだ。名工ミレの作品の中でも三大傑作品と呼ばれるもののうちのひとつで、今は当時よりさらに価値が上がりもはや国宝級だとも言われている。うちのように歴史だけが取り柄の中流商会が逆立ちしたって手に入れられるわけがないんだよ」

コニーは呆然とした様子で話を聞き終えると、動揺したように頭を振る。

「え、で、でも、ボーデン夫人が――」

「まさか、ボーデン夫人がブロンソン商会から購入したと言っていたのか?」

「その、男爵家に出入りしているブロンソン商会の担当がご贔屓筋だけに特別な品を持参してきたんだって……」

確かにボーデン夫人はそう言っていた。嘘をついていたようには見えなかったし、そもそも嘘をつく必要があるならお披露目会など開かないだろう。

するとニールが何かに気づいたようにハッとしたような表情を浮かべた。

「……ボーデン男爵家を担当していたのはリック・ヴィルという男だ」

「じゃあ、その人に話を――」

「先月、退職している」

沈黙が落ちる。おそらくふたりとも考えていることは同じだろう。特にニールは口元を手で覆い、心なしか青ざめているようだった。

『ねえ、コニー』

その時、歌うような声とともに少女が顎に手を当てながらコニーの眼前まで降りてくる。

『わたくし、素朴な疑問があるのだけれど。――わざわざ手の込んだ贋作を用意して 高(・) 跳(・) び(・) までするようなろくでなしが、ひとり し(・) か(・) 騙さないなんてことあると思う?』

それはつまり、他にも被害者がいる――ということだろうか。

『そういえば、さっきのサロンの参加者にも珍しいものを手に入れたって言っていた女がいたわね』

――つい先日シェルゼンの《森林》を手に入れましたの。

――たまたま伝手がございまして。

くらりと眩暈がした。

「……ねえ、ニール。落ち着いて聞いてね。そのリックっていう人の他の担当って――」

次の瞬間、ニールは蒼白になりながら、がたん、と椅子を倒して立ち上がった。

ブロンソン商会は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。やはりリック・ヴィルは希少品だと偽りブロンソン商会の顧客に商品リストにない贋作を売りつけていたらしい。年代物の陶器を購入したというオリビエ・ラウンズも被害者だとわかったし、翡翠の彫刻を手に入れたと言っていたヘレン・ハイデンも騙されていたようだ。確認できたものだけでも被害総額は相当なものになる。

一通り状況を確認し終えると、ニールは今にも死んでしまいそうな表情で王立憲兵局に通報した。

そうして時間を置いてやってきたのは――

「この事件の担当になったランドルフ・アルスターだ」

「にっ、ニール、ぶろ、ブロンソンです……!」

ニールの目が泳いでいる。滝のように噴き出しているのは汗だろうか。急にどうしたのだろうか――と思っていると『さすがに気まずいんでしょ』と呆れたような声が降ってくる。

(気まずい?)

表情に出ていたのか、スカーレットが『 元(・) 婚約者と 現(・) 婚約者よ。お互い思うところがあるんじゃなくて?』と言った。

そうなのだろうか。

確かにニールの挙動は明らかにおかしかったが――

ランドルフは相変わらず表情筋が死滅しているのでよくわからない。

とりあえずニールが固まってしまったので、代わりにコニーが一から事情を説明する。

「ええと、つまり、こういうわけでして――」

「なるほど」

そう頷くランドルフは何となく物言いたげな目つきをしていた。大方たまた厄介事に首を突っ込んで――と苦々しく思っているのだろうが、今回に関しては冤罪である。

するとニールがため息混じりに呟いた。

「リック・ヴィルは五年ほど前からうちで働いていたんです。もちろん私も彼のことをよく知っています。……いえ、知っていたつもりでした。真面目で目利きが良くできるので信頼していたのですが……先程確認したら履歴書に書かれていた経歴はすべて嘘だったようです」

「おそらくリック・ヴィルという名も偽名だろうな」

「ああ……」

ニールは額に手を当てると立っていられないかのように椅子に倒れ込む。

「やっと地に墜ちた 信(・) 頼(・) を取り戻してきたところだったのに……」

『自業自得ね』

腕を組んだままのスカーレットが辛辣な口調で告げた。

「リック・ヴィルの交友関係はわかるか?」

ランドルフの問いに、ニールは力なく首を振る。

「今のところ手がかりなしか……」

その言葉に、コニーはちらちらとランドルフに視線を向けた。すると少し身構えるような、苦虫を噛み潰したような表情を返される。そのままなかったことにされそうだったので、自分から手を挙げ声を発した。

「あのっ、ランドルフ様」

「……聞きたくないが、一応聞こう。なんだ」

するとスカーレットがしたり顔で『ほーら、けっきょくこうなるのよねえ』と笑い、コニーはやはり冤罪だと思いつつ、言葉を続けた。

「実は、ひとりだけ心当たりがあるんですけど――」

なぜか五分に一回はため息をつくランドルフと一緒に訪れたのはレイチェル・ジョーンズの屋敷だった。あの時唯一、贋作に否定的な態度を見せた女性だ。確か王都に画廊があると言っていたか。

玄関先でランドルフが王立憲兵局だと名乗るとすぐに応接間に通され、程なくしてわずかに顔を強張らせたジョーンズ夫人がやってきた。

コニーのことは聞いていなかったのか、会釈をすると夫人はわずかに驚いたような表情を浮かべた。

「……それで、憲兵局の方が、いったいどのようなご用件でしょうか?」

重ね合わせた手をぎゅっと握りしめながらジョーンズ夫人がランドルフに訊ねる。

ランドルフがちらりとコニーに視線を向けたので、コニーは小さく頷いて口を開いた。

「それは、夫人の方がよくご存じでは?」

夫人は困惑した様子でコニーに視線を向けた。どうやらランドルフではなくコニーが話し出したので戸惑っているようだ。

「さあ、いったい何のお話をされているのか……」

「《子猫の微睡》です」

きっぱりと告げれば、ジョーンズ夫人がハッと息を呑む。

「夫人は、あの時、どうしてあの花瓶を見てあんなに動揺されていたんですか?」

「それは……その……」

夫人は何かを堪えるようにぎゅっと目を瞑った。

「……実は、あの《子猫の微睡》は贋作だったんです。それで驚いてしまって」

「それだけですか?」

「ええ。すぐにお伝えすべきだと思ったのですが、ジョーンズ家はボーンズ男爵家の派閥にいるのであまり問題を起こしたくなくて……」

予想通りの答えにコニーは「そうですか」と頷いた。それから改めて夫人をじっと見つめる。

まっすぐな眼差しに気圧されたのか、ジョーンズ夫人は少し居心地が悪そうに顔を逸らした。

「でも、だとすると、あなたの行動は少し妙ですね」

コニーの言葉に婦人は訝し気な声を上げた。

「妙?」

「ええ、妙です。だって、もし本当に贋作だと疑ったのであれば―― も(・) っ(・) と(・) じ(・) っ(・) く(・) り(・) 確認しようとしたはずですから」

色や質感。花瓶の形状や、絵の筆致。疑惑が確信に至るまで納得いくまで検証する必要があるはずだ。実際スカーレットもしばらく観察していた。

「けれど、あなたは一目見てすぐに目を逸らした。まるで、見てはいけないものを見つけてしまったかのように」

今思えば、やましいことがあるのだと声に出しているような態度だった。だが、夫人が 犯人(リック・ヴィル) の一味という可能性は低い。それならば最初からボーデン夫人の花瓶が贋作だと知っていたはずだし、そもそも関わりを恐れてあのお披露目会には参加しないだろう。

だとすれば、考えられる理由はひとつしかない。

「――あなたは、あの絵を描いた人物に心当たりがあるのではないですか?」

それも、ただの知り合いではないはずだ。夫人はひどく動揺していた。おそらく身内か、夫人に直接関係のある人物だろう。

「たとえば、あなたが後援になっている画家の作風に似ているとか――」

ジョーンズ夫人は才能のある画家を支援していると言っていた。

そう指摘すると、夫人は項垂れるように両手で顔を覆い、長い息を吐いた。

「……ボーデン男爵夫人には黙っていていただけますか? あの方に睨まれると主人の立場が悪くなるのです」

「私からは言いません。隠し通せるかはわかりませんが」

「構いません。……仰る通り、あの絵を描いたのは私が後援をしている画家のひとりです。見間違えるはずがありません。私が彼の才能を見つけたんですから。でも、まさか、こんなことをするなんて、」

「……その画家は今どこに?」

「屋敷の離れにある工房です」

ランドルフが「失礼」と言って立ち上がる。慌てて夫人を見ると、諦めたような表情を浮かべて小さく頷いていた。

「……私、小さい頃からずっと目には自信があったんです。でも、私が見えていたのは物事の一面に過ぎなかったんですね――――」

――ジョーンズ夫人の証言通り、贋作に協力したのはベンという名の若手画家だった。

まだ二十代になったばかりで、夫人の後援のおかげで生活は苦しくなくなったとはいえ、大金の魅力には抗えなかったのだという。

そうして贋作事件が発覚してから三日後――ベンの情報を足掛かりにして捜査範囲を広げた結果、無事に隣国に逃亡しようとしていた自称リック・ヴィルを捕まえることができたのだった。

――というわけで事件の顛末をブロンソン商会に伝えに行くと、ニールは今回の被害者に見舞金を送る予定だと告げた。

さらに言えばリック・ヴィルから押収されてあ金額は被害総額には届かなかったものの、その補填についてもブロンソン商会がするらしい。

「あいつは一応うちの従業員だったからな」

ニールは仕方がなさそうに言うと苦笑した。

コニーは理解し難い言葉を聞いたように「……うん?」と首を捻る。

「……え? だって、それはブロンソン商会のせいじゃないでしょう?」

「犯罪者だと気づかずに雇っていたのにか?」

悔いるような声に、コニーは思わず強い口調で否定していた。

「当然でしょう。だってそんなの、犯罪をする方が悪いに決まっているもの」

その言葉に、ニールが驚いたように目を瞬かせる。

すると頬杖をついていたスカーレットがつまらなそうに口を開いた。

『ニール・ブロンソンが悪いかどうかはどうでもいいけど、被害者の怒りの落としどころとしては悪くない手よ。自分たちではなく商会が被害を被ってくれるという図式になるわけだもの。ついでに騙されたのも商会のせいにできるわけだし。プライドの高い貴族相手なら充分効果的よ。それにあの商会は顧客の外聞を守ってくれるという宣伝にもなるし』

コニーとしてはいまいち納得ができなかったが、ニールの父であるダミアンも了承しているということなのでこれ以上コニーが口出しする権利はないだろう。

報告も終わったので、ややむくれながら帰り支度をしていると、ニールがぽつりと呟いた。

「……将来上に立つ者として周囲を見てきたつもりだったのに、僕はこれまでリックの何を見ていたんだろうな」

何だか似たような言葉をどこかで聞いた気がする。

すると間髪入れずにスカーレットがせせら笑った。

『本当に見る目がない男よねえ』

前々から思っていたが、スカーレットはニールに少々辛辣である。

しかしコニーとしても何と返事をしていいものやら――と悩んでいると、先にニールが言葉を続けた。

「コンスタンス。今日はありがとう。君のおかげで最悪の事態にならずにすんだよ」

「……へ?」

「君には助けられてばっかりだな」

そう言うと、ニールはどこか途方に暮れたように微笑んだ。

笑っているのにどこか傷ついているような表情に、コニーはぱちぱちと瞬きをする。

「なあ、コンスタンス」

ニールはわずかに視線を落とすと、ひとりごとのように告げる。

「……あの時、パメラではなくちゃんと君を見ていたら、君は――」

(――え?)

けれど、言葉の途中で「いや、無理だな」と首を振った。

それから、ニール・ブロンソンは顔を上げ、どこか眩しそうに微笑んだ。

「だって君は――僕と違って、ちゃんと見る目がある人だから」

応接間を出たコニーは、廊下で待っていたランドルフのもとに向かった。

「もういいのか?」

「はい」

そのままブロンソン商会を出て迎えの馬車に乗り込むと、ランドルフはどこか言いづらそうに口を開いた。

「……長かったな」

「そうですか?」

コニーはきょとんと目を瞬かせた。

別に紅茶が冷めるような時間ではなかったはずだが。

首を捻っていると、ランドルフはどことなく憮然とした面持ちで続ける。

「それに、さっきから少し嬉しそうだ」

ああ、とコニーは頷いた。それは自覚がある。

「実は、ニールに褒められたんです」

「――ニール・ブロンソンが君を?」

なぜかランドルフの目つきが険しくなる。

コニーは不思議そうに首を傾げながら、「いいえ、ランドルフ様のことを」と答えた。

沈黙が落ちる。

ランドルフは不思議そうに何度か瞬きをすると、ゆっくりと首を傾げた。

「…………なぜ俺を?」

確かにこれまで面識はなかったはずだ。けれど、ニールはコニーのことを「見る目がある」と言っていた。つまり、それはランドルフのことに他ならない。

「そう言えば、何でですかね?」

まあランドルフはもともと「死神閣下」として有名だし、そもそも一目見てその魅力に気づいたという可能性も大いにある。

そこでコニーはハッと息を呑んだ。

あの眩しいものを見るような笑顔。果たしてあれはただの憧れだろうか? それに、ニールは以前こう言っていなかっただろうか。

もう女性はこりごりだ、と。

まさかこれは――

「 恋敵(ライバル) ……!?」

するとスカーレットが『わたくし、今初めてニール・ブロンソンに同情したわ』となぜか哀れむような口調で告げた。げせぬ。