軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

この雨がやんだら

ひと月半ぶりの非番だった。

だから、というわけではないが、ランドルフは自身が少しだけ浮ついていることに気がついていた。そして悩んでもいた。

海。谷。山。

船。馬車。乗馬。

美術館。博物館。移動式サーカス。

いつまでたっても結論が出ず、見かねたカイル・ヒューズがこの時期は王立公園の紫陽花が見頃なのだと教えてくれた。ほんの数日前のことだ。

けっきょくいつものように直前の誘いになってしまったにも関わらず、彼女は二つ返事で了承してくれた。

以前のランドルフは、休みを待ち望む、という心境がわからなかったが、今は少しだけ理解できている。

心が羽でくすぐられるような感覚。きっとこれがそうなのだろう。

自分のような情緒の欠落した人間がそんなことを考えるなどおこがましいことはわかっているし、柄でもなく面映ゆいが。

そんなことを考えながら公園の入り口に立っていると、視界の端で小動物のような少女が小走りで駆け寄ってくるのが見えた。待ち合わせの時間にはまだ余裕がある。たまたまランドルフが早く着いていただけで少女が焦る必要など全くないのだが、なぜかとめることができずにその必死な姿をじっと見つめてしまう。

久方ぶりに目にするコンスタンス・グレイルは相変わらずくるくると表情を変えてはちょこまかと動いていた。その度に彼女の全身からきらきらと光が零れるようで、自然と口元が緩む。コンスタンスがどうして周りから地味だの平凡だの言われているのかランドルフには理解できなかった。あんなに一挙手一投足すべてが眩しくて、目で追わずにはいられないのに。

息を切らしながらやってきたコンスタンスは慌てた様子で口を開いた。

「ま、待たせてしまいましたか?」

「いや、今来たところだ」

正確に言えばランドルフが公園に着いたのは半刻ほど前だが、わざわざ口にする必要はないだろう。

コンスタンスはきょとんした表情を浮かべると、すぐに「ふふっ」と笑みを零した。

「どうしたんだ?」

「今のやり取り、何だか恋人っぽくないですか?」

ランドルフは今しがた彼女と交わした会話を振り返ると、わずかに首を傾げた。

「……そうだろうか? 部下ともよくやるが」

つい先日もトールボットと同じようなやり取りをしたばかりである。

むしろ状況的には恋人よりも仕事相手の方がよく当てはまりそうな気がする。

しかしながら、コンスタンスが一瞬にして、すん、という表情になったのを見て、ランドルフは己が失言をしてしまったことに気がついた。

一体何がいけなかったのか。部下に限定したのがよくなかったのだろうか。確かに相手は部下とは限らない。

「もちろんカイルともそういう会話をしたことがあるが」

コンスタンスの顔からさらに表情が消えた。なぜだ。

「その、実はベレスフォード総司令とも――」

「あ、もう大丈夫です」

最終的には笑顔でとめられ、ランドルフは普段は死滅していると噂される表情筋をわずかに強張らせた。

地図によると、カイルの言っていた紫陽花は園内の南側にあるようだった。

どことなく気まずい空気のまま欅の並木道を進む。ランドルフの心情を映したかのように、先ほどまで晴れていた空には薄暗い雲が広がっていた。

と、その時だった。

空からぽつりと水滴が降ってきた。

顔を上げると、いつくかの雨粒がぱらぱらと地面に落ちてくる。水滴は乾いた地面に少しだけ濃い点を描いていった。

いつの間にか雲はすでに暗く垂れさがっていて、ランドルフは慌ててコンスタンスの手を取ると、近くの四阿に避難した。

屋根の下に入るとほぼ同時に、ざあざあと強い音を立てながら矢のような雨が地面を打ち始める。

おそらく通り雨だろう。しばらくすればやむはずだ。

そうは思っているのだが、なぜかひどく落ち着かない気持ちになる。

雨は容赦なく降り注いでいた。空は分厚い灰色の雲に覆いつくされ、日差しを遮っている。

ランドルフは雨が苦手だった。嫌いというわけではない。ただ、少しだけ気分が陰鬱になるのだ。

ほんの少しだけ、心が窒息しそうになる。

おそらく雨の日にあまりいい思い出がないからだろう。両親が馬車の事故で死んだのも、兄が若くして命を落としたのも、後見人となった大叔父の葬儀も、全部雨の日だったから。

けれど、今こんなにも落ち込んでいるのは先程の失敗のせいもあるかもしれない。

降りやまない雨は、まるで透明なカーテンのように周囲の景色を不明瞭に歪めていった。

気を抜くと奈落の底まで沈んでしまいそうな感覚に陥りながらその様子を眺めていると、突然「うわぁ」という少し間の抜けた声が聞こえてきて、 はっ(・・) と我に返る。

声の主である少女は、なぜか若草色の瞳を輝かせながらランドルフに視線を向けていた。

「すっごい雨ですね……!」

どこか感嘆するような表情に、ランドルフはぱちくりと瞬きをした。

「……随分と、嬉しそうなんだな」

「え? いえ、特に嬉しくはないですけど、ここまで激しいとなんかこう、大合唱って感じでちょっと楽しいですよね!」

「大合唱……?」

「はい。ほら、雨って空から降ってきますし、何だか天界の音楽会みたいな感じじゃないですか? 女神様も意外と音痴なのかなって思うと親近感がわくというか」

「親近感……?」

ランドルフにはない感性だった。前々から思っていたが、コンスタンス・グレイルという人間は一見すると真面目で常識がありそうなのに、たまにとんでもなく思考が道を逸れることがある。

現に今もコンスタンスは当たり前のような表情で「はい!」と頷いている。

そうして、そのまま「それに――」と言葉を続けた。

「私、雨上がりの水たまりを覗くのが好きなんです」

ほら、今もまた。

「雨の後の空ってすごく澄んでいてきれいじゃないですか。それが水たまりに映って、いつもと同じ景色なのに新しい世界みたいに見えるんですよ」

ランドルフは何度か目を瞬かせると、「……そうか」と呟いた。

まだ雨は降っている。耳を塞ぎたくなるような不穏な音もまだ聞こえている。光を奪われた空は薄暗く、景色はぼやけていて、気分は重苦しい。けれど。

きっと、コンスタンスから見た世界は違うのだろう。

「……それは、見てみたいな」

ぽつりと呟くと、コンスタンスが嬉しそうに笑った。

「任せてください! 私、いい感じの水たまりを探す名人なので」

「名人なのか。それは期待できるな」

コンスタンスの屈託のない笑みを見ていると、不思議なことに鉛のように纏わりついていた空気が少しだけ軽くなっていくような気がする。

だから。

彼女と一緒なら。

もしかしたら、ランドルフも新しい世界を見つけることができるかもしれない。

もしかしたら、雨の日もそう悪くないと思うようになるのかもしれない。

きっと。

いつの日か。

――この、雨がやんだら。