軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

はじめての依頼人(前編)

始まりは、アビゲイル・オブライエンの一言だった。

「探偵事務所を開こうと思うの」

オブライエン公爵邸。

赤い薔薇のアーチの少し先、色とりどりの花が咲き誇る美しい中庭で、たった二人の小さなお茶会が開かれていた。

主催者はアビゲイル・オブライエン。

招待客はコンスタンス・グレイル。

社交界にその名を轟かせる公爵夫人と、パッとしない子爵令嬢。身分も立場も違う二人だが、かねてよりコニーを『妹』だと公言しているアビゲイルは、折を見てはこうしてコニーを屋敷に招待してくれていた。

白いテーブルクロスの上には、白磁のティーポットと宝石のように並べられた一口サイズの焼き菓子が用意されている。

その中のひとつ、玩具のように可愛らしい苺タルトを食そうと大きな口を開けていたコニーは、聞こえてきた言葉に手をとめ、ぱちくりと瞳を瞬かせた。

「……探偵?」

「ほら、最近探偵が主役の小説が流行ってるじゃない。読んだことある?」

「聞いたことはあります」

コニー自身は本を読まないが、それでも耳にしたことはあった。友人であるケイトも好きだと言っていたし、何より流行は一通り乗っておかないと気が済まないミレーヌが城下でも社交界でも大人気なのだと興奮気味に語っていたからだ。

確か、依頼人を一目見ただけで職業や顔を言い当てる風変わりな探偵が主人公だったはずだ。頭がいいが、性格は少々変わり者だということまで知っている。それに主人公のトレードマークであるパイプと虫眼鏡が飛ぶように売れているとか。

「実はね、その影響で王都にも私立探偵を名乗る業者が一気に増えたのよ」

コニーはさらにぱちぱちと瞬きをすると、小さく首を傾けた。

「ええと、探偵って、そんなに急になれるものなんですか?」

「今はね。まだちゃんとした法整備がされていないから、看板さえ出せばその辺の空き家がすぐに探偵事務所になれてしまうのよ」

「なるほど……?」

「まあ、法律に関しては私たちにはあまり関係がないけれど。問題はね、その中にあまり素行のよくない連中が混ざっていることなのよね。もともと裏で後ろ暗い人間を相手に情報屋や何でも屋をやっていたような奴らよ。どうせ一般人をカモにするいい機会だと思ったんでしょうね」

アビゲイルは溜息をついた。

「すでに依頼を終えた後に法外な値段を吹っ掛けたり、断ったら内容を盾に恐喝したりといった被害が出始めているわ」

「それはひどいですね」

「でしょう? しかも、こともあろうに薔薇十字通りに事務所を構えたお馬鹿さんがいるみたいなの。さすがに見過ごすわけにいかないから、対抗措置としてこちらも探偵事務所を開くことにしたってわけ」

そう言うと、アビゲイルは絶対的な捕食者の笑みを浮かべた。

「どうせだから詐欺まがいのことをやっている連中をまとめて相手にするつもりよ。王都のどこよりも優秀で安い料金にしてやるわ」

百戦錬磨の猛者のような表情で告げると、ふいに眉を下げ、ひどくしおらしい動きで頬に手を当てた。

「ただ、ちょっと困ったことがあって――」

そう告げるアビゲイルの表情は、思わず手を差し出したくなるようなか弱い乙女そのものだった。

「今さら探偵事務所を開いてもちょっと注目されにくいでしょ? 私の名前を出せればいいんだけど、薔薇十字通りの管理者が表に出るのはあまりよくないのよね。同じ理由で私の身内も使いづらいし。だからね、何か他で大衆の関心を集めるような話題が必要になるの」

とりあえずコニーは紅茶を啜りながら「ほうほう」とわかったような相槌を打っておいた。ちなみに何やら難しい話をしているな、ということしかわかっていない。

アビゲイルが「そ・こ・で!」とぐっと拳を握りしめた。

「今日はね、折り入ってコニーにお願いがあるの!」

「お願い?」

「ええ。コニーにしか頼めないことよ」

真剣な表情を浮かべるアビゲイルに、コンスタンスも思わずぴんと背筋を正した。

それから胸に手を当てると、「どんとこい」と言わんばかりに力強く頷く。

「アビー様にはいつも助けてもらってばっかりですから! 私なんかで力になれるなら何でも仰ってください!」

「ああ、良かったわ! 大好きよ、コニー!」

アビゲイルは無垢な少女のように純粋な笑みを浮かべると、「じゃあさっそくお願いしちゃおうかな」と告げた。

笑みを象っていた瞳が、「ねえ、コニー?」という言葉とともにすっと細くなる。

「あなた――うちの探偵事務所の 広(・) 告(・) 塔(・) になってくれないかしら?」

予想もしていなかった言葉に、コニーは思わずぽかんと口を開けた。

沈黙が落ちる。

コニーはゆっくりと瞬きをすると、ひどく間の抜けた顔でこう聞き返した。

「――――はい?」

《その悩み、コンスタンス・グレイルが誠実に解決致します! あの 誠(・) 実(・) の(・) グ(・) レ(・) イ(・) ル(・) がどんな事件も華麗に解決! 薔薇十字探偵事務所、本日開業!》

手にした新聞の広告にはそんな一文が記載されていた。

コニーの脳裏にアビゲイルの楽しそうな声が蘇る。

――だってほら、探偵事務所には名探偵が必要でしょう?

一体いつの間にそんな決まりが出来たのだろう。コニーも例の探偵小説を読むべきなのだろうか。なぜか活字を見ると眠くなってしまうのだが。

ちなみに《本日開業》の 本(・) 日(・) とは、まさに 今(・) 日(・) のことである。

『名じゃなくて 迷(・) 探偵ね』

明らかに小馬鹿にした声に、コニーはぴしりと顔を引き攣らせた。

件の探偵事務所は『薔薇十字探偵事務所』と名付けられ、その名の通り薔薇十字通りにある古い建物を棟ごと借り上げていた。

室内は華美ではないが質のいい調度品でまとめられていて、貴族であればすぐにその価値がわかるはずだ。逆に建物の外観自体は何も特別ではないので平民も訪ねやすい。おそらくアビゲイルの配慮なのだろう。

コニーが今いるのは応接室だった。抜群に座り心地がいいソファに埋もれながら「ううう」と小さく呻く。『そんなに嫌なら断ればよかったじゃない』という呆れたような声が聞こえてくるが、別にやりたくないわけではないのだ。アビゲイルの力になれるなら協力したいという気持ちに変わりはない。

ただほんのちょっぴり恥ずかしいだけである。

「なんていうか、場違い感がすごい……」

『でも、お前はただ座ってればいいんでしょ? むしろ何をやらせてもポンコツなお前に打ってつけの仕事じゃないの』

「げせぬ……」

確かにアビゲイルからは依頼人の話を聞くだけでいいと言われていた。相談後の調査に関しては、アビゲイルの手配した人たちが代行してくれるらしい。

つまり、本当に名前を貸すだけ。

そういうことならば――と恥を忍んで引き受けたのだ。

そう、なのだが――

「お客さん、来ないなあ……」

大行列ができるとは思っていなかったが、お昼過ぎだというのに冷やかしすら来ない。人選ミス、という単語が先ほどからぐるぐると頭の中を回っている。

溜息をついていると、応接室のドアがノックされた。

ワゴンを引いて入ってきたのは口髭を蓄えた初老の男性だ。

「コンスタンス様。お茶をご用意したのですが、よろしければお召し上がりになりませんか?」

「あっ、ありがとうございます、セバスチャンさん……!」

「セバスでけっこうですよ」

柔らかな物腰の男性は、オブライエン公爵家の執事長セバスチャンである。アビゲイルが「年だけどけっこう役に立つと思うから」と言って寄越してくれたのだ。もちろん、 け(・) っ(・) こ(・) う(・) どころではない。領地を含めれば何百という部下を統括するセバスチャンにとって、このように小さな城を管理することなど児戯に等しいのだろう。コニーが出勤した時にはすでにあらゆることが完璧に整えられており、何もすることがなかったのだから間違いない。それどころか依頼人の対応をまとめた秘伝の虎の巻を渡され、応接間で目を通したらどうかと言ってくれたのである。

「この紅茶、すっごくおいしいです……!」

「ふふ、ありがとうございます」

好々爺のような優しい笑みに、本来は人見知りするコニーも思わず本音を零していた。

「……私、せっかく声をかけて頂いたのに、あまり役に立ってないですよね…………」

セバスチャンは微笑を浮かべたまま、「物事の良し悪しを判断するのは思ったよりも時間がかかるものですよ」と穏やかに告げた。

「それに、アビゲイル様は昔から人を見る目だけはおありなんです」

そう茶目っ気たっぷりに言うと、「では、何かありましたらお呼びください」と一礼をし、流れるように品のいい所作で応接間から去っていった。

扉がぱたんと閉まると、コニーは感動に思わず体を震わせた。

「セバスさんってめちゃくちゃいい人じゃない……!?」

『……なるほど、お前のようなヒヨッコを手玉に取るくらい朝飯前ってわけね。無害そうに見えて、やっぱりあのオブライエン家の執事長だわ』

スカーレットはぼそりと呟くと、肩を竦めた。

『まあ、アビゲイルの人を見る目とやらも今回は間違いだったみたいね。この調子じゃ、どうせ誰も来やしないわよ――って何よ、その顔』

微妙そうな表情を浮かべるコニーを見て、スカーレットが眉を吊り上げる。

「いや、そこまで言い切っちゃうと逆に誰か来そうだなって――」

『はあ?』

美しい顔が思い切り顔を顰められたその時――

「コンスタンス様」

再び扉がノックされ、少しだけ慌てたようなセバスチャンが顔を出した。

「その――ご依頼人がいらっしゃいました」

「クロエ・ターナーと申します」

大慌てでセバスチャン手製の虎の巻を再読したコニーは、緊張した面持ちで依頼人と対峙していた。

クロエと名乗った女性は、どちらかというと控え目な印象だった。貴族ではなさそうだが、それなりに身なりはいい。年は三十代くらいだろうか。

特筆すべきこともなさそうな女性だが、愁いを帯びた表情と目の下の隈が少し気になる。

テーブルにはセバスチャンが新しく淹れなおした紅茶と焼き菓子が用意されていた。ちなみにそのセバスチャンも退室せずに扉近くに待機してくれている。はじめての依頼人に動揺したコニーが「後生だから今回だけは同席して頂きたい」と頼み込んだからである。本当は隣に座っていて欲しかったのだが、それはやんわりと断られてしまった。

「た、ターナーさんですね。今日はどうされましたか?」

目の前の女性からは、ぜったいに解決したい相談事があるのだ――という並々ならぬ決意というより、不本意ながら来てしまったけれど今少し後悔しています、という雰囲気が滲み出ている。正直言って、初めての依頼人にしては難易度が高い。

「……その、こちらはどんな相談でもすぐに解決してくれると聞いて………」

「あ、それは内容をお聞きしてみないとわからないんですけど」

するとすかさず『ちょっと! そこは嘘でも堂々としておくものでしょう……!?』と叱責される。

「そう、ですよね。……それに、こんな話、信じてもらえるかもわからないし…………」

「へ?」

「……あの、やっぱりやめます。きっと、頭がおかしいと思われるだけなので」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください!」

クロエが早々に立ち上がりかけたので、コニーも慌てて身を乗り出した。

「お、お話だけでも! それならお金もかかりませんし! ね!?」

必死の形相で告げるが、クロエは心を閉ざしたかのように俯いたままだった。せっかく来た依頼人を帰すわけにはいかないと、コニーはさらに言葉を重ねる。

「そ、そうだ、お茶! あのっ、この紅茶、すっごく美味しいんです! 焼き菓子も絶品で……! 特にクッキーなんてバターがたっぷりでほろっほろで……! 食べないのはさすがにもったいないので帰る前に召し上がってみては……!?」

ようやくクロエの目が揺れた。それは興味や好奇心といった好意的なものではなく、わざわざ用意されたものを無下にすることを後ろめたく感じているような表情だったが、コニーはここぞとばかりに畳みかける。

「クッキーをひとつ、いえ、一口でもいいので……! 世間話でもしながらちょっとお茶しましょう……!」

「……でも、話してもきっと信じて頂けないと思うので」

「それは聞いてみないと何とも」

スカーレットが『だから! こういう時は嘘でも信じるって言うのよ!』と叱りつけてくるが、こんなことで嘘をついてもしょうがないと思う。

その代わり、表情を曇らせたクロエの瞳をコニーはじっと見つめた。

「大切なのは信じる、信じないではなく、解決できるかどうかですので」

そう告げると、クロエはわずかに目を見張った。

「少なくともクロエさんは、一人で悩んでいても解決しなかったからここにいるんですよね? なら、二人で悩んでみませんか? そうしたら、解決策が見つかるかもしれませんから」

にっこりと微笑めば、クロエは迷うような素振りを見せながらも最終的に腰を下ろした。

(よ、よかった……!)

コニーがほっと息を撫で下ろしていると、クロエは躊躇いがちにティーカップの取っ手に指をかけた。

おずおずと口をつけ、わずかに目を見開くと、ほうっと小さく息を零す。

それから、囁くような声でこう切り出した。

「……出るんです」

コニーは「でる?」と瞳を瞬かせた。

「ええと、 で(・) る(・) 、とは……?」

「幽霊です」

「へ」

コニーは反射的にふよふよと宙に浮いている悪女に視線を向けた。紫水晶の瞳と目が合うと、何よ、という剣呑な眼差しを返される。慌てて正面を向けば、クロエがぎゅっと両手を重ね合わせて俯いていた。

当然だが、スカーレットを見ているわけではない。

しばらく黙していたクロエだったが、やがて決心したように顔を上げると、はっきりとした口調でこう言った。

「――隣の家に、幽霊が出るんです」