軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

香雪蘭の咲くころに

コニーのもとにその招待状が届いたのは、長い冬が終わり、じんわりと解けるように日差しが暖かくなり始めたある春の日のことだった。

流麗な字体で書かれた差出人の名前を見て、スカーレットがぴくりと眉を上げる。

『お父様からじゃない。用件は何?』

「ええとね……春になったから花でも見に来い、だって」

『花?』

スカーレットが持ち上げた眉をさらに訝し気に寄せた。けれど、そんな顔をされたところでコニーに書かれた言葉以上のことなどわかるわけがない。

差出人――アドルファス・カスティエルは四大貴族のひとつであるカスティエル公爵家の当主にしてアデルバイドの宰相である。やんごとない身分と肩書の持ち主であり、地味でパッとしない子爵令嬢であるコニーとは何もかもが到底釣り合わないはずなのだが、とある事件以降なぜだか文通相手のような間柄になってしまっている。

「アナベルの花のことかなあ」

コニーはぽつりと言葉をこぼした。

花、という単語で思い出すのは、以前屋敷を訪れた際に執事のクロードに連れられた鮮やかな緋色の群生だった。もとは白のアナベルだったというから、きっとスカーレットを忍ぶために植えられたものなのだろう。

『バカね。あれは夏の花よ』

「そうなの?」

だとすると、いよいよ意味がわからなくなる。

「……も、もしかして何かの隠語かな」

『さあね。まあ、行ってみればわかるでしょ』

◇◇◇

結論から言えば、わからなかった。

「あいにく父は朝から所用で出かけてしまっていて――」

招待状に書かれた日時にカスティエル邸を訪れたコニーを出迎えたのは、アドルファス・カスティエル――ではなく、その息子のマクシミリアンだったのだ。

淡い金の髪に赤紫の瞳を持つ美しい男は困ったように眉を寄せていた。そんな表情も絵になるように美しく、否が応でもスカーレットとの血のつながりを感じてしまう。顔の造作云々ではなく、些細な仕草や表情がよく似ているのだ。

どうやらマクシミリアンは執事のクロードから事情を聞いたばかりらしく、珍しく少し焦った様子で言葉を続けた。

「その、普段はこうした予定を忘れるような方ではないんだが」

コニーは穏やかな笑みを浮かべたまま「どうぞお気になさらず」と応えた。スカーレットが憮然とした表情で『わざとね』と呟く。もちろんコニーも同感である。けれど、目の前の美形に罪はない。コニーは自身の容姿が冴えないこともあり、昔から美形には弱いのである。

「そういうわけなので、父との約束はまた日を改めてもらえるだろうか? わざわざ足を運んでもらったのにすまない。だが、こんなことは本当に珍しくて」

「ええ。お忙しい方なのはわかっていますので」

「いや、こちらが招待しているのだから、多忙は理由にはならないだろう。……今、王都で流行りの焼き菓子を買いに行かせている。手土産に持たせるから、よければそれまでゆっくりしていってくれ。何か暇つぶしになるような本でもあるといいんだが――」

マクシミリアンが思案するように本棚に視線を向けていると、部屋の隅に控えていたクロードがわざとらしく声を上げた。

「でしたら、新しくできた あ(・) の(・) 場(・) 所(・) でも見て頂いたらいかがでしょう」

マクシミリアンはさっと顔を伏せると、「だが、あそこは」と言い淀んだ。何やら 躊躇(ためら) っているようだ。

「旦那様はもともとあの場所をご案内するつもりだったようですよ」

「……父が?」

マクシミリアンは驚いたように目を見開くと、何かを確かめるような視線をコニーに向けた。

ただの美形ではなく、とんでもない美形からまじまじと見つめられると、何故だか申し訳ないような居たたまれないような気持ちになってくる。コニーは思わず身じろぎをすると口を開いた。

「あの、本当にお気遣いなく」

「……いや」

マクシミリアンはコニーの言葉を遮るように 頭(かぶり) を振った。

「そういうことなら、父の代わりに案内しよう。去年植えた花がちょうど見頃なんだ」

――そう言って連れてこられたのは、まだ少しだけ冬の気配が残る庭園だった。といっても例のサルビアの小径ではなく、もっと奥まった場所だ。

周囲に遮蔽物がないせいか、麗らかな陽光が燦燦と降り注いでいる。

そこに広がっていた光景を見て、コニーは思わず息を呑んだ。

「これは――」

「知っているか? 香雪蘭(フリージア) というんだ」

黄色い花の群生が、地面を覆いつくしている。鮮やかな色彩はまるでこの世のものではないほど美しかった。

香雪蘭(フリージア) 。

確かスカーレットは、領地にある香雪蘭の花畑でよく遊んだのだと言っていなかっただろうか。

思わず振り返れば、彼女はひどく驚いた様子でその場に立ち尽くしていた。

その瞬間、コニーは昨年の冬の出来事を思い出していた。

あの日も、やはり今日のようにアドルファスに呼ばれカスティエル邸を訪れていた。クロードに庭園を案内され、そこで庭師たちが球根を土に埋めているのを見たのだ。

どうして忘れていたのだろう。あれは、確かにこの場所だった。クロードは、マクシミリアンの指示だと言っていた。花を愛でる趣味なんてどう考えてもなさそうなのに、わざわざ商人を呼びつけ、とびきり高い球根を取り寄せたのだと。

そうして選んだのは、屋敷で一番日当たりのいい――穏やかで、優しい場所だった。

――まるで、黄色い絨毯みたいなのよ

ふいにスカーレットの声が蘇る。

コニーは思わず感嘆の声を漏らしていた。

「……本当だ」

「え?」

「本当に、黄色い絨毯みたいなんですね」

空はどこまでも青く、星のような形の黄色い花弁がいくつも重なり合っている。

ふふふ、と笑みをこぼせば、マクシミリアンは驚いたように目を見開いた。

「……君は」

ぽつりと呟く。

「あの子とちっとも似ていないのに、あの子と同じことを言うんだな」

こちらを見ながらそう告げる表情は、感情を表に乗せることなく淡々としている。造り物のような美貌のせいで、ともすれば冷ややかとも取れる顔だ。

けれど光の加減のせいか、その赤紫の瞳はわずかに揺らいでいるように――見えた。

「おかしいことを言っていると思うかもしれないが、君といると、たまにあの子を感じるんだ」

そう言いながら、マクシミリアンは、はにかむようにふっと笑った。

「君を連れてきてよかった」

その顔があまりにもきれいだったものだから、コニーはつるりと余計な一言を滑らせてしまった。いやだって仕方がないだろう。コンスタンスは美形に弱いのだ。この手の顔には、特に。

「スカーレットも、一緒ですよ」

「――え?」

「あっ、その、たぶん、ですけど。そんな気がするというか……」

しどろもどろになって言い訳をすれば、マクシミリアンはただの慰めだと思ったらしい。お手本のような微笑で、「そうだな、ありがとう」と礼を言われる。

「なら、あの子は喜んでくれるだろうか」

「ええと、スカーレットは、このお花が好きだったんですよね? きっと喜ぶと思います」

「いや、もしかしたら嫌がるかもしれない。小さい頃に、一度、思い切り転んだことあるんだ。ドレスが泥だらけになってしまってね。あの時はわかりやすくむくれていたから」

在りし日を懐かしむようにマクシミリアンの表情が柔らかくなる。

「あの子は強い子だから最後まで泣かなくて。きっと、辛くて、痛かったはずなのに」

ふいに言葉が途切れた。

マクシミリアンの双眸がどこか遠くを見るように細くなり、暗い影が現れる。

もしかすると、彼は今、花畑を無邪気に駆け回る幼い少女ではなく、名も知らぬ人々に罵倒されながら処刑台に向かう妹の姿を思い出しているのかもしれない。

しばらくしてから、マクシミリアンは深い痛みと悔いが滲んだ声で呟いた。

「……ああ、会いたいなあ」

その声を聞いた瞬間、コニーは思わず手を伸ばしていた。マクシミリアンではなく、兄の弱った姿を目の当たりにして固まっている相棒に向かって。

珍しく途方に暮れてしまったかのような 紫水晶(アメジスト) の瞳と目を合わせると、にっと笑う。

それから己の胸を拳で、ぽん、と叩いた。

スカーレットは一瞬だけ目を見開くと、すぐにわざとらしくしかめっ面を浮かべた。

それから、渋々といった具合に頷いてみせる。

まるで、 仕(・) 方(・) が(・) な(・) い(・) か(・) ら(・) コンスタンスの我儘につきあってやるのだと言うように。

そして――

「――むくれたのは、お兄様が笑ったからよ」

それは、怒りというよりどこか拗ねたような声だった。

「あんなに思い切り地面とぶつかったのに、心配もしてくれないなんてひどいんじゃなくて?」

マクシミリアンは呆然としていた。今目の前で起きていることが信じられないように目を大きく見開き、立ち尽くしている。

唇がわずかに動き、けれど、やはり声にならない。そんな仕草を何度も繰り返す。

それから、ぐっと何かを堪えるような表情を浮かべた。その顔はどうしてか、今しがた見たばかりの誰かさんの下手くそなしかめっ面に少し似ていた。

「……私は、待つように言っただろう?」

そうして絞り出すように告げられた声は、かすかに震えていた。

マクシミリアンは動かなかった。まるで、一歩でも動いたらこの夢から追い出されてしまうのだと頑なに信じているようだった。

その代わり、瞳に焼きつけるように目の前の少女を必死に見つめていた。

「……スカーレット、なのか?」

「違うわ」

あっさりと否定され、マクシミリアンは目に見えて傷ついたような表情を浮かべた。「……そう、か」そのまま小さく首を振る。

「いや、そうだな。当然だ。おかしなことを言って申し訳ない。 あ(・) の(・) 子(・) の(・) わ(・) け(・) ――」

「いつもと呼び方が、違うわ」

確信めいたいたずらっぽい口ぶりは、きっと、誰かを思い出させるのには十分だったのだろう。

とうとうマクシミリアンは瞼を震わせ、口元を 戦慄(わなな) かせた。

それから、ひどく優しい笑顔を浮かべるとこう言った。

いつかのように、ありったけの愛情を込めて。

「――レティ」

◇◇◇

「率直に言って、非常に混乱している」

最初こそ動揺していたマクシミリアンだったが、しばらくするとすっかりいつもの冷静さを取り戻していた。さすがカスティエル家の嫡男である。

「ですよね……!」

コニーとしてもその台詞には同意しかなかったので深く頷いておく。

何せ、パッとしない子爵令嬢だと思っていたらその中身が最愛の妹だったのだ。混乱もするだろう。むしろあの状況で抵抗もなく受け入れていたことの方が不思議である。アドルファスの時もそうだったので、家族にしかわからない絆のようなものがあるのかもしれない。

ちなみに二人の邂逅はあの一瞬だけで、すぐにコニーに主導権が戻ってきた。あの女王様は案外素直でないのである。

「だが、きっと私なんかがいくら考えても答えは出てこないのだと思う。だから、君が――」

マクシミリアンはそこでいったん言葉をとめると、 躊躇(ためら) いがちに言い直す。

「いや、君と……レティさえよければ来年も見に来てくれないだろうか」

そこまで言うと、どこか吹っ切れたように笑ってみせた。

「また―― 香雪蘭(フリージア) の咲く頃に」

その瞬間、コニーは確かに黄色い絨毯の中を楽しそうに走り回る幼い子供の姿を見た気がした。

それは何だかとても幸せな光景で、コニーは思わず笑みを浮かべると、素直になれない悪女の分まで「はい!」と大きく頷いたのだった。