作品タイトル不明
第96話 黒、顕現
漆黒の輪と翼。それは神の意志に反し、裏切りを行った堕天使の証。ホラスが有するそれらは確かに堕天使のものであり、神聖さと邪悪さを複雑に織り交ぜたかのような、言葉では言い表し切れない雰囲気を感じさせた。故に希少、故に型破り、故に圧倒的強者。最高のご馳走を前に、パウルとシンジールの闘志は高まるばかりだ。しかし彼らが目指す先は、あくまでも理性的な戦闘狂。ケルヴィンの教えの通り戦う事は当然として、必要な情報も聞けるだけ聞き出しておかなければならない。
「堕天使ぃ? てめぇ、この学園の教官じゃなかったのか? ああ?」
「それに急に迎えに来たと言われても、レディ・クロメルが混乱しちゃうじゃないか。せめて最低限の説明は果たすべきだと思うけどね。君、紳士なのは見た目だけ?」
「ふむ、問答無用で攻撃を仕掛けて来ると思っていましたが、意外と冷静なのですね。尤も、時間の無駄には違いないのですが。同志クロメル、さあ、こちらへ」
「「おいっ!」」
喧嘩口調で情報を引き出そうとするパウル達であったが、ホラスは相手をするのも無駄だと言わんばかりに二人を無視。彼の目には最早クロメルしか映っていないようで、一方的に、だが優し気な口調で彼女に語り掛けていた。
「堕天使クロメル、貴女の行いは実に素晴らしきものでした。我らが絶対神、アダムス様が復活されるのは、貴女の功績と言っても過言ではない。目覚められた大天使の方々も、貴女を手厚く迎えてくれるでしょう」
「ぜ、絶対神? あの、あの…… ホラス教官が何を言っているのか、本当に分からないのですが、ひ、人違いなのでは……?」
突拍子もない事を次々と言われ、クロメルは更に混乱してしまう。ホラスの話に、思い当たる節は全くない。それでもクロメルは、必死に何かあったっけと思い出そうとする。が、やはり分からないものは分からない。
「……? 同志クロメル、もう演技をする必要はないのですよ?」
そんなオロオロするばかりのクロメルに、ホラスも少し疑問を感じ始めたようだ。
「演技なんて、してないです……」
「そうだそうだ、嬢ちゃんは嬢ちゃん! それ以上でもそれ以下でもないぜ、このサイコ野郎が!」
「……もしや、記憶が欠如している? そんな事が起こり得るのか? いや、しかし―――」
「こ・い・つ……!」
ホラスはパウルを無視し、何か考えを巡らせながら独り言を呟く。最早あからさまなスル―であった。
「……記憶がどうであれ、私には貴女をお連れする責務があります。できれば、邪魔立てをしないで頂きたいのですが?」
「馬鹿が、この流れでそんな願いを聞くとでも?」
「ええ、聞かざるを得ないでしょうね」
突然、ホラスがパチンと指を鳴らした。何事かとパウル達が周囲を警戒していると、辺りから足音が聞こえて来る。一人二人のものではない。数十人という、大人数によるものだ。やがて目の前に現れたその者らは、ルミエストの制服を纏っていた。
「マ、マール寮の生徒の方々、ですか?」
「ああ、その通りだ。クロメル一年生、君がホラス教官について行かないと、僕らが教官に殺されてしまう。そこの冒険者の方々も、どうか事を荒立てず、このまま見逃してほしい。そうすれば、この場で僕や貴方達が死ぬ事もない。そうだろう?」
「そ、そんな……」
クロメルら三人を取り囲むようにして整列する生徒達。そのうちの一人は、晴れやかな笑顔を浮かべながら自分達が人質であると、奇妙にもそう言い切った。そんな彼らにショックを受けたのか、クロメルは顔色を青くし、口元を両手で覆ってしまう。
「……彼に操られている。と言いたいところだけど、そんな気配はないね。振る舞いが自然だ」
「あんな台詞を笑顔で言えてる時点で、到底自然じゃねぇよ。てめぇら、そいつの仲間か?」
「いいえ、違います。僕達はホラス教官の生徒であり、人質です。それ以上でもそれ以下でもありません」
また別の生徒が先ほどの生徒同様、笑顔で答えた。シンジールの言う通り、その振る舞いに『魅了眼』などで操られている様子は窺えない。しかし、だからこそパウル達にとっては不気味であり、自ら進んで人質になるという彼らの言動は、不自然極まりないものだった。
「彼らを無視して私と戦うのも結構、彼らの命を第一とし、同志クロメルを差し出すのも結構。後者を選択された場合、マールの生徒達の命は保証して差し上げましょう」
「ハッ、てめぇの言葉を信用しろってか?」
「ええ、その通りです。さて、どうしますか? 私はどちらでも構いませんよ? ああ、外からの応援を待つのは推奨しません。この場所は私が管轄するエリア、つまりそれ用の結界も既に施しておりますので。まあそれ以前に、私も無駄な時間は掛けたくないので、判断は早めにお願いしたい。あまり私を待たせ過ぎると、暇潰しに生徒達の首を飛ばしてしまうかもしれませんから」
「このっ、クソ野郎が……!」
「君、曲がりなりにも天使なんだろ? そんな悪魔の所業が許されるとでも?」
「ええ、許されますとも。それで、貴方方の答えは? そろそろ一人目、いきますよ?」
無慈悲にもそう宣言したホラスは、彼の近くにいた女生徒の首に手をかける。あと数秒も答えを出さなければ、女生徒の首は飛ばされ床に転がってしまうだろう。淡々としたホラスの態度は、そんな最悪な光景が想像できてしまうほどに残酷だった。
「……ホラス教官」
この耐え難い時間の中で口を開いたのは、意外な事にクロメルであった。
「はい、何でしょうか?」
パウルとシンジールに対する冷淡な態度とは打って変わって、同じ堕天使であるからなのか、ホラスのクロメルに対する口調は少し柔らかい。
「先ほどこの辺りに結界を施したと仰っていましたが、それはもしや、舞台にも何か細工をしているのでは? 例えば、パパを舞台を外に出さないように、今までと違う結界に切り替えた、とか」
「……ほう、気付かれましたか。ええ、その通り。貴女が死神ケルヴィンの近くにいると、彼は神の如き力を得ると、そう認識しておりましたので。流石の我々も、そんな状態の死神ケルヴィンとは相対したくありません。我々が用いる最上級の結界にて、舞台に封をさせて頂きました」
「なるほど、そうですか。 ありがとうございます(・・・・・・・・・・) 」
「いえいえ」
「「……?」」
最初に軽い違和感を覚えたのは、クロメルの近くにいたパウルとシンジールだった。そこにいるのはクロメル、声も話し方も彼女のものだというのに、何かが違う。直感的にそう感じたのだ。
「二人とも、下がってください。私が前に出れば、全てが解決しますので」
「はっ、やなこった!」
「レディ・クロメル、自分を犠牲にするなんて馬鹿な事、考えないでおくれよ。今私の聡明な頭脳が、何とか打開策を―――」
「―――聞こえませんでしたか? 下がれ、と言っているのです」
「「ッ!?」」
疑念は確信に変わり、同時に二人の体は考える間もなく動いていた。クロメルが命令した通り、間合いから大きく外れるまでに、後ろへと下がっていたのだ。
(な、何だ? この有無を言わさぬ、圧倒的な存在感は!? 本当に今のは、あの嬢ちゃんが発した言葉なのか!?)
(強いとか格上だとか、そんな次元の話じゃない! マスター・ケルヴィンの教えを学んだ私達が、心の底から恐れている? 彼女を? ば、馬鹿な……!)
置き去りにされた思考が動き出し、疑問が山のように吹き出していく。だが、状況は刻々と変わっていた。クロメルの頭の上には黒き天使の輪が、背中には漆黒の翼が展開されていたのだ。いつの間に出していたのか、パウルとシンジールには認識さえできなかった。 ……というよりも、同じ堕天使である筈のホラスでさえ、その変化を見逃していた。
「は、ははっ、はははっ。余計な心配をさせないでください、同志クロメル。私でさえも圧倒されるその力、底が全く見えないではありませんか! なるほど、やはり貴女は演技をされていたのですね。全く、貴女もお人が悪い。ですが、選択は選択。共に歩く道を選んだ貴女に、私は改めて敬意を―――」
「―――貴方も何を勘違いされているのです? 私、言いましたよね? 私が前に出れば、全てが解決する、と」
ホラスの視界一杯に顕現したのは、闇を思わせる無数の触手であった。