作品タイトル不明
第29話 樽男
騒ぎが収まり、人々が七荷並んだ樽&パウルの醜態にも飽きて、解散し始めたちょうどその頃。コーヒータイムが済んだのか、悠々と店よりあの解説老紳士が出て来た。パリッとしたホワイトタイに頭にはシルクハット、手にはステッキと、如何にもな紳士スタイルで誰に見せつけているのか、謎の紳士ポージングを決めている。
「ふう、今日も良いモーニングだった。やはり朝の目覚めにはこれが一番、正に紳士の嗜みだよ。それに、ふむ。ちょうど良いタイミングで見物人達も解散したようだね。今日の私はツイているようだ。人混みの中を掻き分けて、家に帰るのは億劫だからねぇ」
老紳士は機嫌が良さそうな顔をしながら歩き出し、パウル樽を横切る。そこを通り過ぎようかとする間際、彼は並んだ樽の底に向かって、ステッキを軽く叩いてやった。コン、コンと、ほんの小さく音が鳴る程度に。
「それに比べて、君達はツイていない。こんな醜態を晒してまで、S級を挑発するとは何事だい? シン総長にでも唆されたのかな?」
「……うるせぇよ、総長を悪くいうんじゃねぇ。俺の判断でやった事だ」
すると、パウル樽の中から声が発せられた。その声の主であるパウルは、バキバキと樽の側面を破壊して脱出。同時に他の樽に突き刺さった仲間達が動き出し、同じようにして次々に樽から脱出していった。
「いっつつ、頭に血が上るぅ……」
「鍛錬の一つだと思えば、その程度は苦にもならん。しかし、うむ、あの不名誉な格好を晒したのは、本当に顔から火が出る思いだった……」
「ジャスト一時間、反省するならこんなもんだろ――― おらぁっ、見せもんじゃねぇぞ! 散れこらあっ!」
「ひ、ひぃっ!?」
僅かに残っていた野次馬に向かって、パウルが大声を上げて脅す。威嚇された人々は一目散に逃げ出し、この場に残ったのはパウル一行と老紳士のみとなった。
「こらこら、一般人を脅すのは感心できないよ。さっきまで健気に反省していた君は、一体どこに行ってしまったんだい?」
「だからうるせぇって! 見世物になってやったのは、個人的な罰を自主的にやっただけの話だろうが! 科した罰が終わりさえすれば、もう見世物になってやるつもりはねぇんだよ! つかウォルター、何が俺達の速度が捉えられなかった、だ! てめぇ、引退する前はA級冒険者だったろうが! しっかりきっかり、その無駄に澄んだ目で見ていたじゃねぇか!」
「はて、もしかして気に障ったかな? 私は君達の汚名を少しでも晴らそうと、陰ながらフォローをしていたつもりなんだけど?」
「こ・の・じ・じ・い……!」
パウルはギリギリと歯を食いしばりながら、怒りのボルテージを高めていく。対するウォルターというらしい老紳士は、優雅に懐から取り出した懐中時計をハンカチで磨き始めた。
「パウル、ウォルターさんと口で争うのは止めとけ。お前じゃ絶対に勝てん」
「ッチ、分かってるよ。じじい、自己満足したならさっさと帰れ。しっし!」
「まあまあ、そんな悲しい事を言わないでおくれよ。老後の紳士は何かと暇なのだよ」
「それこそ知るかっ!」
パウルはウォルターを手で追い払うような仕草をした後、仲間達の前に立って固めた拳を突き出した。
「おう、てめぇら! さっきの喧嘩でS級の強さを直に知る事ができたんだ! この貴重な経験、きっちり活かすぞ!」
「へへっ、喧嘩っつうよりも、一方的に蹂躙されただけなんだけどな」
「うっせぇぞ、そこ! だったらその悔しさを力に換えやがれ、クソがっ!」
「おっしゃー! 強くなって稼いで、俺も可愛い奴隷を養うぞぉー!」
「そうだ、その調子だぁ!」
「うーん、絶望的なまでに紳士な発言じゃないね。言ってる事は前向きなのに」
「じじいはうっさいわ! つかマジで居座るつもりか、この似非紳士もどき……!」
老紳士は自分もそうだとばかりに、パウルの仲間達の横に自然な様子で並んでいた。パウルの言葉に対して、まったく聞く耳を持っていない。そんな光景を目にしてなのか、先ほどから冷静になれとパウルに促していた巨漢の男が、再び彼に耳打ちする。
「パウル、何度も言うが―――」
「―――分かってるわ! こんなじじい無視だ、無視!」
「ねえねえ、お宅のパウル君冷たくない? 最近嫌な事でもあったの? 彼女に振られた?」
「さ、さあ、どうッスかね……」
「だから相手すんなと言ってんだろうがぁーーー!」
パウルに無視されるや否や、ターゲットをパーティの者達に変えて話を振り始めるウォルター。その速度はどう見ても戦闘時のパウル達に匹敵していて、冒険者を引退した今も、実力が全く衰えていない事を窺わせる。
「パウル、頑張って無視しろ。パウルさえ堪えれば、被害はそこまで広がらない筈だ。十中八九、ウォルターさんはお前で遊んでいる」
「ぐぐぐ……! て、てめぇら、残りの話はこの店の中でする。ついて来やがれ。あと、自分達に科した罰は済ませたが、店に迷惑かけた詫びはまだ済んでねぇ。一人当たり、ぶっ壊した樽と同価値以上の飲み食いはしろ。 ……超絶美味そうにな!」
「「「「うーッス」」」」
一行は足早に店の中へ。一方で老紳士ウォルターは、意外にもついて行く訳でもなく、その様子を黙って眺めていた。
「ふーむ、困った。私は先ほど用を済ませて店から出たばかり、また入り直すのは少し気恥しいね。紳士的に、それはよろしくない」
謎の基準ではあるが、ウォルター視点でその行為はNGに当たるらしい。再来店、非紳士的。
「それにしても、壊した以上に飲食を、ね。まったく、どこまでも不器用だ。ケルヴィンのように店に金だけ渡してしまえば、スマートに解決するだろうに。素直に謝れない昔からの悪い癖、直らないものだね。必要以上に食べて飲んで、最終的に動けなくなる未来が見えてしまうよ」
ウォルターが遠い目をしながらそんな事を呟いていると、早速なのか、店内から騒ぎ声が聞こえてきた。
「おう、邪魔するぜ!」
「パパパ、パウル!? アンタ、やっと気が付いて――― い、いや、お客さん、他の客の迷惑になるから、あまり大声で騒ぐのは……」
「ほう? なら店主、今からこの店を貸し切ってやるよ」
「いやいやいや、だから他にお客さんがいるんだって!」
「安心しろ、今いる客が捌けるまでは黙って飲み食いしてやるからよ。だがその間も、必要以上に注文してやる。今から店の在庫の心配をしておくんだな。覚悟していやがれ……!」
「ひぃぃ~~~!?」
耳を澄まさずとも耳に届くそんな騒ぎは、メインストリートにも垂れ流しであった。
「うわあ、想像以上に不器用で、私も驚きを隠せないよ。紳士ショック! ハァ、私の美学には反するけど、止めた方が良いだろうね、これ。うーん、あの子達も根は良い筈なんだけどなぁ、本当に根だけは……」
ウォルターがまだ冒険者として現役だった頃、まだ新人だったパウル達を指導する機会が何度かあった。総長が唐突にどこからともなく集めてきた、身元もよく分かっていない荒くれ者達だった事を、今でもよく覚えている。その時から彼らは不器用で、どうしてそこまでやさぐれてしまったのか、言わずとも何となく察してしまうようなものだった。しかし全員が全員、才覚とやる気だけは本物で、当時A級冒険者として活躍していたウォルターの教えをよく学び、よく吸収する逸材達だったのだ。
「だがまあ、それも私が教えられるところまで。流石にその上のクラス、S級になる方法までは私も知らないのだよ。彼ら、例えば『死神』ケルヴィンは、果たしてどんな人生を送ってきたのやら。あの若さでシン総長と同格になるのだから、どこか頭のネジが外れているのは確かかな?」
老紳士は騒ぎの発生源へと足を進ませる。その足取りは重く――― はなく、実際は実に軽いものだった。この紳士、理由にかこつけてパウルで遊ぶ気満々である。