作品タイトル不明
第441話 出航
―――神の方舟・甲板
聖域が破壊され、外の世界とこの空間とが繋がった。もっと言えば、邪神の心臓の大空洞に直結してしまった。毒々しい瘴気やらが入ってくるかと思ったが、なぜか邪神の心臓全域が透き通った空気? を醸し出しているような気がする。いや、実際に空気が綺麗になっていた。理由は不明だが、環境を気にする必要はなくなったようだ。
しかし、俺らが最も気にするべき問題は解決していない。今も俺の足裏にあるこの白い飛行戦艦、高層ビルを横にしたようなデカブツだというのに、これが浮かび上がろうとしているのだ。戦艦の隙間から爆風が鳴動し、こうして甲板に立っているのもやっとの状態、気を抜けば吹き飛ばされそうになる。
「さて、この方舟の名は何と言いましたかね? 統率者、亡くなる前に創造者から伺っていましたか?」
『戦艦エルピスアルブム、確かそう言っていた筈ですな。我らが主よ』
唐突に、飛行戦艦からマイクで拡散させたような声が鳴り響いた。統率者、トリスタンの声だ。
「少し長くて言い辛いですね。許容範囲ではありますが、エルピスで良いでしょう。 ……ウフフ。あなた様、少し嬉しそうですね」
「……トリスタンには個人的な報復がまだだったからな。仲間に倒されるのは仕方ないが、やっぱり自分で方を付けたい気持ちもあったんでね。それで、トリスタンはこの船の中にいるのか?」
「ええ、おりますよ? ですが先ほども申した通り、まだその時ではありません。 甲板(ここ) から自ら降りて頂くのが最も平和的に事が済むのですが、ええ、妻である私は分かっておりますとも。あなた様は決して妥協しませんから」
「理解が早くて助かるなっ!」
如何に風が強かろうと、足場が安定していなかろうと、こんだけ的がでかけりゃ目を瞑ってでも攻撃が当たる。ましてや、狙う先が地面みたいなものだ。大鎌を少し振るえば触れる距離っ!
「ですから、あなた様の 大風魔神鎌(ボレアスデスサイズ) は最も警戒していました。これ、施している結界や対象の耐久性、相性を丸っきり無視してしまいますもの。ウフフ、程々にチートって奴ですね」
「―――っ!?」
「え?」
「あっ!?」
大鎌を振り下ろそうとしていた俺の腕が、クロメルの手によって掴まれていた。リュカほどの年齢しかなさそうな容姿の彼女に易々と攻撃を止められ、脆いガラス細工に触れるような仕草だというのに、大鎌は全く動こうとしない。今日ほど自分の非力さに嘆く日はなかっただろう。いや、それ以前にクロメルは祭壇の前から降下して、セラとアンジェに気付かれる事なくその間を通り、俺のところまで辿り着いて見せたのだ。パワーもスピードも規格外、クロメルの姿を目でさえ追えず、俺の渾身の一撃を涼しい顔で受け止められる。 不味(うれし) い事に、俺達はこいつと戦いになる域にまで達していないようだ。これが、正真正銘の神の力なのか。
「ああ、そんなに嬉しそうな顔をしないでください。思わずキスの1つもしてしまいそうです」
「「このっ―――」」
「―――ウフフ。焼餅も美味なものですが、今は私とお喋り中ですよ? お引き取りを」
セラとアンジェが反転してクロメルに向かうとした瞬間、戦艦一帯に吹き荒れるさっき以上の爆風。 飛翔(フライ) や飛行能力で制御できるものではなく、クロメルに掴まれていなければ、俺も吹き飛ばされていただろう。
「このエルピスは動力源の莫大な魔力を元に風力を巻き上げ、飛行する能力を備えています。これだけの巨体を飛ばすともなれば、その力はご覧の通りのものとなります」
少ししゃがめと腕を引っ張られた後、愛しい子供に言い聞かせるような優しい口調で、クロメルが俺の耳元で解説してくださった。しかし、実際にこの風は荒々しく力強い。
「わっと」
「くっ……!」
甲板に張りついている事もままならず、エレアリスを抱えるセルジュ、そしてセラが吹き飛ばされてしまった。この風の影響下から脱すれば立て直せるだろうが、吹き荒れる風に歯向かい、ここへと復帰するのは難しいだろう。
『セラ、他の奴らを集めて安全な所まで脱出しろ!』
『でも―――』
『俺が我慢している限り、クロメルに戦う気はないっ! 聖域が破壊された今、仲間の行方を心配する方が先決だ! 行けっ!』
『……分かった。ちゃんと生きて帰りなさいよっ! でないと泣くわよっ!』
翼を使い風の吹く方へと飛ぶセラ。一方で、セルジュも天歩らしきスキルを使ってこの場から脱しようとしていた。
「ケルヴィーン! 悪いけど、これに乗じて私らはここを脱出させてもらうよー! 生きていたら、また会おう!」
セルジュの最優先事項はエレアリスを護る事だ。今のクロメルの力を見て、共闘するよりも混乱に乗じて脱出した方が、それを成せる可能性が高いと判断したか。
「危ない危ない。セラの血の力は怖いですからね。しかしこの風量であれば、セラの血が方舟に触れる事はありません。血はもちろん、肝心のセラも吹き飛ばされてしまいますもの。守護者の判断も妥当なところでしょう。私が近くにいれば、絶対福音も発動しないでしょうから。後は―――」
―――ヒュン!
クロメルの首元から、風を斬って鋭い音が鳴った。
「ええっ!?」
「ふぁふぉは、はぁんふぇふぁふぇふへ(後は、アンジェだけですね)」
そう、アンジェがクロメルの首目掛けてダガーナイフを振るったのだ。しかし、あろう事かナイフはクロメルの噛み付きによって止められ、その威力を失ってしまった。それどころか、歯と歯の間に挟まれた刃がミシミシと悲鳴を上げ、今にも粉砕されそうになっている。
「あっ……」
「ふう、流石に好んで食べたりはしませんよ。このナイフは創造者の遺作ですし、アンジェの大切な武器ですからね」
刃を歯で受け止めたクロメルが、アンジェに何をしたのかは認識できなかった。クナイやら暗器やらが飛び散った辺り、恐らくは超スピードによる攻防が繰り広げられていたんだとは思う。どちらにせよ、結果としてアンジェは気を失って沈んだ。そして、クロメルに首後ろのフードを掴まれ、ギリギリのところで吹き飛ばされないでいる。
「爆風を透過するまでは良かったんですけどね。アンジェはこれまで、自分よりも速い相手に出会った事がありませんでしたから、戸惑うのも無理はありません。察知されていれば『凶手の一撃』による効果もありませんし、頼みの綱である『遮断不可』も、元は私の力で分け与えたスキルです。返還して頂いても良いのですが…… 止めておきましょうか。アンジェはあなた様が転生した当初から、随分と役立ってくれていましたからね。のしを付けて差し上げます」
「お前……」
「さ、やっと2人きりですね、あなた様♪」
『残念ですが主よ、まだこの統率者もいますぞ? それに、もう出発の時刻を疾うに過ぎて―――』
「―――承知していますとも。皆さんが好戦的過ぎて、予定にない児戯を少ししてしまっただけです」
トリスタンの横槍に、頬を膨らますクロメル。アンジェを撃退したかと思ったら、頭を撫でてほしいと強請る幼子の表情になったりと、一々仕草がメルと被る。
「あなた様、私もあなた様と一緒にいたい気持ちで一杯です。しかし、あと少し我慢すれば、私はもっと美味な敵へと昇華されます。だから今は、どうか我慢してくださいね。アハハ」
ブンと、クロメルがアンジェを放り投げた。意識のないアンジェは戦艦が放出する暴風に巻き込まれ、飛ばされてしまう。同時に、俺の大鎌を掴んでいたクロメルの手も放された。
「アンジェ!」
目一杯に体を飛翔させ、アンジェを追い掛ける。 風神脚(ソニックアクセラレート) と 飛翔(フライ) を最大限に発揮させ、アンジェの体をキャッチ。ただ、もうクロメルのいる飛行戦艦には近付けそうになかった。
「地獄の天井を破り、本来あった筈だった第3の大陸を世界に戻し、神裁の島を顕現させる。私が真の神となった暁には、絶望する前に殺してあげますよ、あなた様」