作品タイトル不明
第442話 脱出
―――邪神の心臓
白の方舟が天へと飛翔する中、アンジェを抱える俺はその風の余波を食らいながら退避を開始していた。まるで嵐が四方八方から迫るような圧迫感、 飛翔(フライ) を維持するのも至難の業だ。アンジェは軽いからそれほど支障はないものの、やはり自分1人で飛ぶのとは勝手が違う。
「 大回復(ライトヒール) 、 全晴(ベネディクションキュア) 」
気絶したアンジェを目覚めさせる為に、回復魔法を詠唱する。
「ん、んん……」
幸いクロメルから受けた傷は浅かったようで、アンジェは直ぐに声を発してくれた。
―――ヒュッ!
後は反射的に首に来るであろうダガーナイフを防ぐ。暗殺者時代の名残はなかなかに根深いようで、意図せず意識を手放した後に、すかさず首を取れるよう体にインプットさせているのである。全くもって難儀なもので、これではアンジェは普通の女の子に戻れそうにない。いや、戻られても困るから俺が責任を取っているのだが。
しかし、相変わらず鋭いナイフ捌きだ。首に攻撃が来ると事前に分かってなければ、今の俺のレベルでは受けてしまうだろう。この速度で攻撃を繰り出すアンジェを、クロメルの奴は打ち負かしたんだよな……
「あれ、ケルヴィン? 私、確か……」
「こんな暴風の中で起こして悪いな。アンジェはクロメルに攻撃を仕掛けた後に、逆に気絶させられてしまったんだ。覚えているか?」
「……うん。スピードだけは負けないと思っていたのに、格好悪いなぁ、私。でも、ケルヴィンが無事で良かったよ」
「実際、アンジェに助けられたようなもんだ。ありがとな」
良い雰囲気でアンジェの頭を撫でようとしたが、間の悪い風によってぐしゃぐしゃと盛大に荒くなってしまった。おのれ、クロメル。
「あはは、大丈夫大丈夫。むしろ元気が出てきたよ! それじゃ、ちょっと席を代わろうか、ケルヴィン君!」
「え? ……おおっと!?」
そう言うと、抱えていた筈のアンジェが縄抜けの如くスッといなくなり、次の瞬間には逆に俺が抱えられてしまっていた。何という早業か。
「私が天歩を使って走った方が、安定して早く到着すると思うよ? 結界もなくなったんだし、ケルヴィン君は念話で集合をかけなよ。あ、 風神脚(ソニックアクセラレート) を付与してくれる?」
お姉さんに任せなさい! とばかりに、アンジェは気合いが入っている。うん、ステータス上の筋力や敏捷はアンジェの方が数段上だし、これが適任の形なんだろう。だけどさ、一言申し上げたい。
「お姫様抱っこは、ちょっと……」
「これが1番安定するんだもん。それに誰も見てないよ。さ、飛ばすよー!」
「あ、おい、ちょっと待て。風除けの結界がまだ―――」
覚悟を決める暇などある筈もなく、俺はこの日、敏捷値10000超えの世界を体験した。
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アンジェが駆ける、飛ぶ、跳ねる。その全てが風を避け、最短ルートを辿る為の最適化された動きであるのは分かっている。お姫様抱っこによる羞恥心など既に俺にはなく、今や遠目に大空洞を眺める余裕だってあった。いや、違うな。遠くを眺めていないと現実に引き戻され、コレットの二の舞になってしまいそうだったからだ。それほどに速く、それほどに悪天候。俺もまだまだだという事が分かうっぷ……
しかし、大空洞を一望した事で分かった事もある。邪神の心臓と呼ばれていた悪しき地が、見違えるように緑いっぱいの空間へと変貌していたのだ。この暴風のお蔭で咲き乱れる花々が散り、ここまで舞い上がっている光景は実に幻想的だ。所々にダハクが使っていた、凶暴な植物達の強化版らしきものもいる。もしやと思い念話を飛ばしてみると、案の定ダハクが帰って来ていた。
土竜王へと無事に進化したダハクは、シュトラ達と合流してトリスタンを撃退。その後に大空洞全域を大改造しちゃったらしい。植林とか、最早そういうレベルじゃない。禁断の地はその名残を一切残す事なく、記念公園のような美しい様に至ってしまったと。必然的に、毒の瘴気がなくなったのもダハクが原因だ。悪環境をこうも簡単に再構成する辺り、ダハクも馬鹿げた力を手にしたんだろう。ダハクがいる限り、この世界は自然破壊とかと無縁になりそうだ。
『大空洞を出て、北西方向だから…… あそこかな?』
他の皆とは大空洞の外で集合する手筈となっている。シュトラやダハクといった竜とヌイグルミチームは、大空洞の丁度上空にいたらしいが、あの戦艦が出現した事で避難を開始。途中、セラやリオンといった聖域から脱出したメンバーを発見して、共に大空洞を抜けていた。
大空洞の外側で這い上がって来るモンスターを倒していた西側の刀哉達、北側のナグア達は大空洞が緑化する事で、その仕事に一区切りをつけていた。モンスターが這い上がろうとする前に、ダハクの肉食植物達が餌にしてしまうからな。これも当然の帰結といえるだろう。それでも一応の警戒は、戦艦が現れるまで続けていたらしい。
これら全チームの位置関係を考慮して、集合場所は中間に当たる大空洞の外側、その北西となった。アンジェはそこに向かって疾走中、という訳だ。
『ああ、あそこに皆いる。そのまま進んで――― いや、その前に降ろしてもらってもいい?』
『うーん、どうしようかなー? 私はこのままでも構わないよー?』
アンジェはニヤニヤと悪戯心いっぱいな様子で、一応は考える仕草をしている。そして、見え透いている。
『……望みはなんだい?』
『後で首筋を思う存分触らせて♪』
……ニッチだなぁ。
アンジェのお願いを承諾し、抱っこ状態を解除してもらう。ここまで来れば戦艦から放たれる風の影響も弱く、俺単独でも安全に飛ぶ事ができる。何よりも、刀哉やナグアにあの姿を見せたくない。絶対に!
目的地である北西部に辿り着くと、そこには俺とアンジェを抜かした全員が揃っていた。皆に迎え入れられながら、地面に足をつける。
「ケルにい、ごめん! 念話が繋がらないから不安で、それで助けに行くつもりだったんだけど、だけど間に合わなかったみたいで……」
「申し訳ありません。あの場所だけ私の秘術による力がなぜか及ばず、気が付けば聖域が崩壊し始めまして……」
「お母さんに会えなかった……」
「ケルヴィンさん、あの白いの何なんですか! まさか、あそこに母さんがいるとか!?」
「……頼むから1人ずつ喋ってくれ」
到着するなり、リオンに泣かれるわコレットに謝られるわシルヴィアが落ち込むわエマに質問責めにされるわと忙しい。1人1人順番に対応して落ち着かせる。
「兄貴、ご無沙汰です。念話で一度お話ししましたが、このダハク、見事土竜王になったッスよ!」
「『漸く』が抜けている。ドベである事には変わりない」
「あんだとチビ助!」
「あ、あう、喧嘩は良くない……」
久しぶりに3体揃った竜ズは、竜王になっても変わらないな。竜の姿だと違いが一目瞭然なんだが、人の姿だとそれも大して変わらないし―――
「―――ケルヴィンさん、ご苦労様です。怪我はありませんか?」
「……お前、誰だ?」
「えっ? シュ、シュトラですよ。忘れてしまったんですか?」
いや、普通驚くだろ。今まで幼女姿でアレックスと一緒になって蝶々を追い掛けていたのに、急に元のお姫様モードになるとかビックリするわ。というか、そうなったんなら事前に念話で教えてほしい。
「ん? という事は、記憶が戻ったのか?」
「その辺りは後で詳しく…… 今はエフィルお姉、エフィルさんに顔を見せてあげてください」
「……ああ、そうだな」
シュトラに道を通され、奥のエフィルの下を訪れる。エフィルはベッドの代わりとなったクロトに寝かされていた。両脇にはセラとジェラールが、見守るように控えている。すやすやと眠っているものの、エフィルの顔色はやや悪い。起こさぬよう、静かにエフィルの手を握ってやる。
「容体はどうだ?」
「コレットと教皇殿の頑張りで、何とか峠は越えたようじゃ」
「それでも、暫くはベッドで寝る状態が続くらしいわ。仕事なんて以ての外、絶対安静ね!」
「そうか……」
無事とはとても言えないが、エフィルの命が助かった事に感謝する。ただ、俺に圧し掛かったもう片方の重荷は、未だ取れる兆しが見られない。召喚を解除して魔力体となったメルフィーナから、あれから返答が一切ないのだ。