作品タイトル不明
第375話 憤怒
―――試練の塔
グスタフが何を言っているのかは分からない。ただ、その声が耳に入る毎に蛆虫が脳を這いずるような激痛がケルヴィンを襲った。
「ぐ、うっ……!」
痛みを無視して歯を食いしばり、目の前に迫る紅き斬撃に集中する。できる事ならば、頭を抱えて倒れてしまいたい。脳を掻き毟りたい。そんな負の欲求で精神が蝕まれるほどに、グスタフの呪詛は強力だった。世の不条理、妬み恨みといった負の塊が無理矢理に心の隙間へ積み上げられていく。
(改めてメルフィーナに、感謝だ、なぁ……!)
至近距離で呪いの言葉を受けてしまったが、ケルヴィンの指には状態異常に耐性のある女神の指輪が装備されている。そのお蔭もあって、最悪の事態には至らなかったのだ。もし指輪がなかったとすれば、苦痛は今の倍以上のものになっていただろう。
「■■死■■■■っ! ■あ、さ■!」
痛みは未だ頭の中。だが、笑みは決して消さない。痛覚あっての緊張、強者が相手であるがこその仕合わせ。ケルヴィンは今、最高の夢見心地の中にいる。笑わずにはいられない。
「あまり興奮すると血圧が上がりますよ、お義父さん!」
「お■■さ■■■なっ!」
興奮の原因となっている男が更にはやし立てる。あからさまに狙っての言動にグスタフの怒りはますます膨れ上がり、その形相は悪鬼の如く常軌を逸したものとなっていた。最高幹部たる部下の悪魔四天王がこのグスタフを目にすれば、間違いなく死を覚悟するだろう。
本当であれば、ケルヴィンはセラの父であるグスタフを馬鹿にするような事はしたくない。だが、発見してしまったのだ。グスタフを怒らせる度にその動きが更に機敏に、戦闘能力自体も上昇する事に。相手が強くなると分かれば勇者を育成し、弟子が熟成するのを気長に待つのがこの戦闘狂。そんな男がグスタフの特性を無視するなんて勿体ない事をできる筈もなく、隙あらば「お義父さん」という約束されしキーワードを盛り込んでいるのであった。
現に、ケルヴィンの目論見は大方正しい。グスタフは固有スキルとして『血染』と『血操術』の他に、『憤怒』という能力を所持している。憤怒のスキルは所有者が怒れば怒るほどに感情が力となり、筋力・耐久・敏捷のステータスを跳ね上げ、時には言葉をも凶器と化す。ケルヴィンがグスタフをお義父さんと口にする毎に強く、そして呪いを含んだ声となっていったのはこの為だった。
そして、いよいよグスタフの強さは手に負えないものとなっていた。偃月刀を振るうパワーはジェラールを超え、 狂飆の覇剣(ヴォーテクスエッジ) を纏った愚聖剣をも弾くその肌の防御力はビクトールの比ではない。大鎌であれば切断できるだろうが、動作が大振りとなってしまう為に迂闊な選択となるだろう。何よりも攻撃が速いのだ。まるでメルフィーナと戦っているかのような劣勢。アンジェとの模擬戦で目を慣らしたケルヴィンでさえも、遂には偃月刀に触れてしまう。
「ぐっ……!」
胸元を浅く、本当に浅くではあるが、紅の偃月刀が通り過ぎた。通常の刃物相手であれば何て事はない軽傷だ。しかしグスタフの得物は血染を有し、如何なる怪我も致命へと変える。
「■■っ!」
推測するならば、恐らくは「死ね」。グスタフの怨念籠った叫びと共に、傷口に付着したグスタフの血が血操術によってケルヴィンの体内へと浸入する。先ほどまで刃の一部であった紅き血は、人の体など容易に突き破って心臓に達する。そうなれば心臓に貼り付くなり停止を命令、もしくはそのまま破壊したっていい。どちらにせよ、死は免れない。
「……クク、クハハ、クハハハハッ!」
笑い声を上げたのは死神、ケルヴィンの方だった。恐怖の余りに狂ったか。そう察したグスタフが、致命のトリガーを引く。血が心臓に行き付くには十分な頃合いだ。命令するは、心停止。
「あー、幸せだ」
「………?」
ケルヴィンは倒れない。何度命令を下そうとその表情は幸せに満ち、余韻を楽しむかのように浸る声を出している。
「■■、■ない……!?」
「あ、すみません、お義父さん。何分、ここまで興奮したのは初めてだったものでして、少々取り乱してしまいました。戦いの中で愛を感じられるなんて、そうそうありませんからね」
「何■、■っ■■る?」
「その声も渋くて良いですね。さっきから凄く脳を刺激されてますよ。ああ、失礼。実のところ、私は召喚士なんで…… このくらいのサポートは許されますよね?」
「だ■ら、■を言■■■■?」
胸に手を当て、ケルヴィンは何かを握るような仕草をする。手の中にあったのは、以前セラからプレゼントされたブラッドペンダントだった。
グスタフに斬られた瞬間にペンダントの中に封じていたセラの血が飛び出し、グスタフの血に抗い浸入を防いでいたのだ。僅かにしかいなかったグスタフの血は、セラの血によって駆逐されてしまった。セラがペンダントに血を封入した時に、どのような命令を下していたのかは分からない。だが、もしかすれば、グスタフがケルヴィンを抹殺しようとする事を予測していたのかもしれない。何にせよ、その事実はケルヴィンに愛情を感じさせるに十分であり、戦闘中という事もあって気分はもう有頂天。興奮も納得なのだ。
「そ■血……!」
グスタフ級の親馬鹿ともなれば、溺愛する愛娘の能力は見ればすぐに判別する事ができる。余分な血を淘汰したセラの血染は頬ずりするようにケルヴィンに纏わり付き、ケルヴィンはとても幸せそうときている。グスタフからすれば目の前で娘が彼氏とイチャイチャしているようなもの。こちらの殺意も最高潮だ。
(さて―――)
ケルヴィンが興奮の絶頂にいたのは真実であるが、実際は並列思考で冷静に思案する面も残していた。適度に大胆にグスタフを刺激しながら、ステータスの上げ幅がそろそろ限界に来ていると観察する。今が好機、ベストタイミング。ちゃっかりと笑い声を上げた際から裏で魔法を唱え、自身の強化もし終えている。
(ちょいと時間の掛かる各種 Ⅳ(クアッド) の準備も完了。演技力も実力のうち、っと。いや、本当に演技だから。うん、演技)
右手の愚聖剣クライヴを構え直し、おもむろに左手も前に出す。するとセラの血がブラッドペンダントより更に流れ 出(い) で、ケルヴィンの手の中で紅の短剣を形成し始めた。
(おー、念じてみるもんだな)
グスタフの偃月刀を見たケルヴィンが思い付きでセラの血に念話を飛ばしてみたところ、ケルヴィンが思い描いたように血は指示に従ってくれたのだ。一先ず、この戦闘の間は言う事を聞いてくれるようだ。
「それじゃあ、お義父さん。最終決戦と―――」
意気揚々とグスタフへと視線を移したケルヴィンが、思わず言葉を口を止めてしまった。グスタフが体中に青筋を浮き上がらせて、自身の怒りを的確に表に出していたのだ。やがて限界までに浮き出た青筋は破れ、血液があらゆる箇所からも放出され始める。体より放たれた血はやがて硬化して、新たな武器として生まれ変わった。頭上であれば紅き角に、腕であれば凶悪なる刃や爪に。腹部には肋骨が飛び出たような紅き骨が。偃月刀までも血が供給され、そのサイズは更に強大なものになっていた。
「―――殺す」
「ぜ、全身武器ですか…… ゴクリ」
ここで涎を垂らすケルヴィンは、コレットやメルフィーナをとやかく言えないのではなかろうか。