軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第292話 エストリア・クランヴェルツ

出自を辿ればエストリアは、 奈落の地(アビスランド) のスラム街に生まれた底辺層の吸血鬼だった。父は名も顔も知らず、母は娼婦として働き家を何日も空ける日々。その為、幼少期は親から受ける愛を知らずに育ったのだ。だからだろうか。エストリアが誰しもが受けるであろう愛を、狂信的に欲したのは。しかしスラムに住む者達は荒み、その日暮らしの生活を垂れ流すのみ。自らの利のみを欲するこの街に、エストリアの心を打つものはなかった。

「私がいるべき場所は、ここじゃない」

それを自覚するようになったエストリアはある時を機に家を離れ、当てのない旅へと出発する。特に愛着もない故郷、灰色の思い出。それらが彼女を止めるに至る訳もない。別れの挨拶などありはせず、書置きを残すこともなかった。

過酷な環境である 奈落の地(アビスランド) にて、吸血鬼と言えど下級の、それも少女であるエストリアが生き残ることができたのは偏に運が良かった。何せ、命辛々に行きついた次の街にて、貴族の目に留まったのだから。10代後半に至ったエストリアは美しく、性的にも魅力的な体へと成長していた。貴族も下心があったのだろう、直ぐにエストリアを自らの屋敷の使用人として雇ったのだ。

そのような歪な形であっても、エストリアは生まれて初めて喜びを知った。貴族はエストリアがこれまで着たこともない服を、良い食事を、温かな寝床を、様々なものを提供した。貴族の屋敷では当たり前であるこれらも、貧民街での生活しか知らぬエストリアにとっては幸福感で満たされるものだった。

この恩を少しでも返そうと、エストリアは努力を続けた。何をすれば貴族が喜ぶか、考え続けた。ややあって、彼女は貴族が頭から離れられなくなってしまう。要は貴族に惚れてしまったのだ。恩義に報いる為の行為はやがて、どうすれば貴族が自分を向いてくれるかの趣旨にスライドしていく。貴族が好む女性像を体現する為、狂信的な努力を惜しむことなく続けるエストリア。それにより彼女は人の心の動きに敏感になったばかりか、自らの中に異なる自分を作り出し、然もそれが本来の自分であるかのように演じ、自らをも騙し架空の自分を作り出す術を身に付けたのだ。より深き愛を欲する為に―――

これに大いに喜んだのは貴族である。理想の女性が眼前にいるのだ。2人が相思相愛になるのに時間はかからず、幸福なる時がやってきた。しかしそれも長くは続かない。使用人の台頭を面白く思わぬは貴族の妻。自らの地位をエストリアに奪われると危惧した彼女は、屋敷の財産を確保することに執着。計画はやがて実行され、貴族は暗殺されてしまったのだ。

「大変、次の愛を探さなくちゃ……!」

復讐とばかりに貴族の妻を殺したエストリア。だが復讐が成された瞬間、貴族の為にできることがなくなってしまった今、貴族への愛も消えるように落日を迎える。なくなった愛よりも新たな愛。愛に飢える彼女は再び旅へと出発するのであった。携えるは貴族から贈られた質の良い衣服やアクセサリー、そして愛を勝ち取る為に得た技能の数々。屋敷からは遺産を少々。新たな門出を迎えた彼女は、最早最底辺の吸血鬼ではなかった。

そうして後に出会う運命の男性は数知れず。エストリアは生まれながらにして、固有スキルである『魅了眼』を所持していたのだが、それを恋した相手に使用することはなかった。彼女が欲したのは心からの愛情、命令することで手に入る都合の良い玩具ではなかったからだ。あくまでも見てほしいのは自分なのだ。

惚れっぽい素質があった為か、恋の芽生えには事欠かさなかった。傭兵から始まり為政者、盗賊、豪商、異民族等々。基本としては人型を、愛を注いで貰えるならばそれ以外も。相手が望む女を適確に見抜き、その理想に向けて自らを構築していった。力を、知識を、教養を、包容力を、冷酷さを、貴族の地位を――― そうすることで思慕の念を抱いた相手と、必ず結ばれるに至っていたのだ。

だが、その後の幸せな時間は誰であろうとも長く続くことはなかった。強き女を望んだとある高名な戦士は、始めのうちはエストリアの強さに歓喜したものだが、次第に己の力を超えて享受できない領域にまで至った彼女に恐れ戦き、その場を去った。為政者においては絶世の美貌を持つエストリアを目的に敵国から争いを仕掛けられ、一族郎党処刑された者もいた。傾国の美女。誰かがそうエストリアを呼びだした時、彼女は吸血鬼の頂点に立っていた。

「……空しい。ああ、空しいわ」

荒野に聳える城。最上階にて佇むは城の主であるエストリア・クランヴェルツ。愛を求めれば求めるほどに高みに上った彼女は飢えていた。今の彼女は一国を従える身。ここに至るまでにエストリアの名声は 奈落の地(アビスランド) 中に轟き、また彼女に愛を捧げた男らの末路の噂も広がっていた。周りの男らは畏怖の心を抱くことはあれど、彼女に愛情を抱くことなどなかったのだ。惚れやすかった彼女も、力量に見合う相手がいなければ愛を為すことができない。

次第にエストリアは模索することに執着した。彼女を受け入れる器を持つであろう、より成熟した思考を持つ、思慮深い人物を。年齢的には落ち着きのある中高年者が良いだろうか。細かいことなど気にしない度量があるのなら、逆に獰猛でも良い。しかし、そのような人物なんて―――

「―――いた。私の、運命の人」

エストリアが見つけた出したのは、最近になって台頭してきた悪魔の軍勢の頭目だった。悪魔の名はグスタフ・バアル。最強と名高い悪魔を纏め上げる者だけに彼は強く、そして何者も恐れぬ豪胆さを持ち合わせていたのだ。自分にも引けを取らぬ実力を戦場にて目にしたエストリア。彼女の心は久方ぶりに踊り狂い、一瞬のうちに恋に落ちてしまう。

それからは分析に次ぐ分析の日々であった。グスタフが好むであろう女を探り、読み解く。その全てを解き明かした時、彼女はグスタフと戦場にて相まみえることとなる。悪魔の軍勢と吸血鬼の軍勢を対峙させた、所謂戦場の中で。

エストリアが辿り着いた答え。それは強き女であったのだ。グスタフの覇道に生涯寄り添っていけるような、心身共に優れた最愛の伴侶。その条件を満たしているのは自分しかいないと確信したエストリアは、まずは戦場にて実力を見せ付けようと考えたのだ。グスタフの国とエストリアの国は幾度かぶつかり合い、また直接戦い合うこともあった。その戦いの中でさえ、エストリアは喜びを感じていた。グスタフが自分をしっかりと見据え、私を想い、愛をぶつけてくれている。私はなんて幸せなんだろう。

―――長らく愛に飢えていた彼女は、この時点で狂っていたのかもしれない。愛を欲するあまり、その目的と方法が噛み合わず、あろうことか敵対する関係を築いてしまったのだ。いつかグスタフと婚姻することを疑わず、戦いの中での接触に喜びながら。世間に勢力を争う仇敵であると認識されようが、今の愛に生きる彼女には関係なかった。しかし此度の幸せなる時間も、長くは続かない。

「……嘘」

グスタフが妻を娶ったとの情報が入ったのは、それから数カ月後のこと。エリザというらしい悪魔の女と婚姻を結んだと、彼の国で大々的に報じたのが発端であった。エリザは生まれつき体が弱く起きることも儘ならなかったが、幼馴染でもあるグスタフの献身的な愛により回復の兆しを見せている。今もエリザはグスタフの城で療養を続けている。そう綴り、胸温まる話として記事は記されていた。が、エストリアの胸には絶望しかなかった。この瞬間に気づいてしまったのだ。今まで自分が行ってきた行為は、愛でも何でもなかったことに。

成就さえしなかった想いはエストリアにとって初めての経験であり、淡い恋心もまた彼女に居座り続けたのだ。それからのことはあまり覚えていない。たぶん、グスタフとは戦場にて逢い続けたとは思う。どうしようもないこの想いを、兎に角ぶつけていたと思う。

「……ここは?」

気が付けば、エストリアは白き空間にいた。目の前には蜃気楼のような神殿。こちらを見るは銀の聖女と白き剣士。

「貴女に、新たな光を与えましょう」

彼女は慈愛に目覚めた。吸血鬼の身でありながら神に仕え、信仰する。全ては抱えきれぬほどの愛を与えてくれた神の為に。目的を同じくする使徒の中には気に食わぬ者もいたが、いっても言い争う程度のもの。不思議と憎悪はそこまで湧いてこなかった。

男に対しても興味をなくした訳ではなかったが、以前ほど狂信的に重視することはなくなった。むしろ相手を不幸にしてしまう体質上、慈愛を覚えた彼女は長く付き合うことを嫌うようになったのだ。一夜限りの関係が最上。そう考えた彼女は尻が軽そうな、甘ったるい言葉を投げ掛ける遊女を装うようになる。見切りをつけやすく、気軽に愛を囁ける存在になる為に。

神より『反逆の徒』を授かり、生前よりも卓絶した存在となったエストリア。今であれば 奈落の地(アビスランド) の大部分を掌握していたのは、間違いなく彼女であったことだろう。

―――時を戻そう。そんな彼女が棺より繰り出したは、雑種多々な生者が群がり形を成す巨人。空には竜や異形の悪魔が舞い、アンジェを見下ろしていた。

「主のもとに還りなさいなぁ、アンジェ」