作品タイトル不明
第290話 正体
―――英霊の地下墓地・第10層
『アンジェ! お主、何をっ!?』
ジェラールの咄嗟の念話。事と次第によっては戦いも辞さない。そのような怒気を飛ばしながらの問いであった。何せアンジェはジェラールやメルフィーナにもその存在を知られぬよう、『隠密』を使い極限まで自らの存在を消し、不意打ちによる『凶手の一撃』を使って救出する対象である筈の、リーアの首を刎ねたのだ。何の説明もなしに。
『ふぅ。ジェラールさん、その人は―――』
『……っ!』
しかし、ジェラールの態度はアンジェからの念話を受け取った瞬間に一変する。先ほどまで守護していた首のないリーアの体を、力いっぱいに彼方へと投げ飛ばしたのだ。迷うことなく、容赦などせず、加減など要らないとばかりに。氷の壁へと叩き付けられたリーアは、そのまま土煙の中へと消えた。
アンジェがメルフィーナとジェラールに渡した情報。それはシスター・リーアが神の使徒の一員である、という驚くべきものであったのだ。アンジェはその使徒について事細かに纏め上げたデータを配下ネットワークに上げ、ジェラールにそれが確かなものであると判断させた。受け渡しからのタイムラグはないに等しく、『召喚術』による恩恵を十全に利用しての伝達だった。
『驚いたのう、まさか使徒が孤児院のシスターに化けておったとは…… それにしてもアンジェよ、やるなら事前にちゃんと教えてくれ。仰天してワシの寿命が縮んでしまうわい』
『御免ね、ジェラールさん。彼女、人の感情の流れに敏いから、完璧な形で奇襲を仕掛けたかったんだ。たぶん、ジェラールさんが少しでも動揺したら気づいちゃうから』
ジェラールは思う。それにしては物凄く楽し気な表情をしていたような、そして今もしているような、と。
『状況は理解しました。ですが、この情報によれば、彼女は―――』
メルフィーナが背後のシスター・アトラを護るように構えた時、足元から声が聞こえてきた。
「痛い、痛い、です…… 何で、こんなことを……」
その発生源はアンジェが刎ね飛ばしたリーアの頭だった。苦し気であるが、本来それは人であれば確実に死に繋がるであろう状態。声を発するなどあってはならないものだ。声を確認した直後、アンジェはリーアに向かってクナイを情け容赦なく投擲。瀕死であろうリーアに凶刃が突き刺さる。
「いつまでも芝居するのは止めなよ。この程度で吸血鬼の貴女が死ぬ筈ないでしょ? 髪型と髪の色を変えたくらいで、私の目を誤魔化せると思ったの?」
「え……?」
「なら、もういいよ」
更に放たれる2つの正確無比なるクナイ。だが、それらがリーアに当たることはなかった。リーアの頭部が数多の蝙蝠へと姿を変えたのだ。蝙蝠の集団は吹き飛ばされた体があろう風塵の中へと再度集まり、人影がゆっくりと起き上がっている様子がキャンパスに描かれた。
「……暗殺者ぁ、貴女結構ストイックだったのねぇ。バアルちゃんと比べて真面目な良い子ちゃんだったからぁ、ちょっと驚いちゃったわぁ。私がここにいる目的とか理由とか、気にならないのぉ?」
リーアの口調は変貌していた。孤児院で見せたようなオドオドしたものではなく、絡み付くようにねっとりとした声遣いへ。それはひどく妖艶であり、これまでの印象とは真逆に位置するものだ。
「失望させちゃった? なら失意を抱いたまま死んでほしいな。首は有難く貰っておくからさ♪」
「あらぁ、なかなかに狂ってるわねぇ。それが本質? でも、貴女にできるかしらぁ? この吸血鬼の王、真祖たる私ぃ。エレアリス様の使徒が序列第7柱『反魂者』、エストリア・クランヴェルツを相手にねぇ」
バキリバキリと足元の荊を気にすることなく踏み締める音。やがてその姿を現したリーア、エストリアは修道服を破いて胸元を露わに、スカートに深いスリットを入れて色香に溢れる恰好となっていた。髪色まで栗毛色から黄金へと変わっている。非常にけしからん恰好であるが、だからと言ってジェラールは心に隙を作らない。いや、作れなかった。それ程までにエストリアは油断できぬ存在感に満ちていたのだ。そしてそれ以上にアンジェの笑顔が怖かった。
「あはは、相変わらず聞いてもいないのに丁寧な自己紹介をしてくれるんだね」
「これは私にとって流儀のようなものよぉ。心から殿方の望む女になり、どんな務めをも果たす。そんな私だからこそ、本質である『私』を大事にしているのぉ。貴女も諜報活動が得意のようだけれど、色事や男の扱いに関しては、貴女よりも自信があるつもりぃ。 ……そこのおじ様も紳士で時に大胆で、とっても魅力的だったわぁ。今度ご一緒しなくてぇ?」
「ワシは遠慮しておこうかの。お主が相手では火傷してしまいそうじゃわい」
「そ、残念ねぇ。素敵なのにぃ……」
そう言うエストリアは、本当に残念そうに顔を傾げる。もしやと思われるが、割と本気で誘っていたのかもしれない。ジェラール、実はモテる男。嬉しいかどうかは別の話だが。
「シスター・アトラの身は返して頂きました。本物のシスター・リーアはどこに隠したのですか?」
メルフィーナが眠るアトラの肩に手を当てながら、エストリアを強い眼差しを向ける。
「あらあらぁ、神ともあろう方が間違われるのねぇ。今のうちに訂正しておくわぁ。いーい? シスター・リーアは私なの、私自身。私がリーアなんだから、本物なんていないのぉ。エストリアから文字ってリーア、分かりやすいでしょう? 『解析者』のおじ様を真似て名付けたのよぉ。きちんとアトラの下で学んで、きちんとシスターとして頑張ったんだからぁ。あ、でもこれはアトラには内緒にしてねぇ。その子、私の為に色々教えてくれてぇ、とっても居心地の良い神の家を提供してくれたんだからぁ。私が吸血鬼なんて知ったら、ショックを受けちゃうでしょう?」
「……太陽の光が照らす、十字架や聖水のある教会に吸血鬼が住みますか。笑い話にもなりませんね」
吸血鬼は悪魔の亜種と例えられるほどに強力な種族である。強靭な肉体に溢れる魔力、他者の血を吸い不死者として同族とする能力を持ち合わせているのだ。その一方で弱点となる要素も多い。十字架や流水、太陽光の下で活動することができないなどが代表的なものだろう。これらの理由からこの世界における大半の吸血鬼は、太陽の届かぬ地下世界『 奈落の地(アビスランド) 』に住むとされている。
「私は神を信仰し、神の加護を受けた吸血鬼。吸血鬼としては異常とも言えるけれどぉ、お蔭で克服できたものも多かったのよぉ。今では教会が一番居心地良いくらいねぇ。それと、神様ぁ? もうひとつ、勘違いされているみたいねぇ」
「……?」
「アトラはまだ、 こちら(・・・) 側よぉ」
メルフィーナはアトラに触れていた手に、嫌な感覚を覚えた。まるで悪霊に直に触っているように冷たく、忌まわしい。アトラは祭壇から起き上がっていた。その背に、巨大な亡霊を宿して。
「その祭壇はねぇ、供物を捧げる為のものなのぉ。無垢なる乙女を取られたと思って、このダンジョンのボスが怒っちゃったかしらぁ?」
咄嗟に手を放したメルフィーナは、瞬時に解呪を自身に施す。
『 不死の王(ノーライフキング) ……! ジェラール、アンジェ! こちらは私が浄化します! すみませんが、使徒は任せましたよ!』
『うむ、任された!』
『うん、首狩る!』
不穏な言葉が念話に過った。