作品タイトル不明
8. お茶会の帰路
王城へ戻る頃には、空は少しずつ夕暮れの色に変わり始めていた。
セシリアは自室へ戻る前に、手にしていた籠の中を確認した。香水瓶は布に包まれたまま、きちんと収まっている。友人たちに見せたラベンダーとジャスミンの香りは、思っていたよりも好評だった。アリスは明るく褒め、セシルは率直に感想を言い、リーザロッテは香り具合を丁寧に見てくれた。エレノアは相変わらず落ち着いていたが、最後には「あなたらしい香りね」と言ってくれた。
その言葉が、帰り道の間ずっと胸の中に残っている。
「セシリアさん」
廊下の向こうから声をかけられ、セシリアは顔を上げた。王太子だった。執務の途中なのか、簡素な上着姿で、手には書類を数枚持っている。
「殿下」
「お帰りなさい。今日は喫茶店へ行かれていたのでしょう」
「ええ。友人たちと会ってきたの」
セシリアがそう答えると、王太子は少しだけ表情を和らげた。
「楽しかったですか」
「はい。……あ」
思わず丁寧に返してから、セシリアは口元に手を添えた。友人たちと話していた時の口調がまだ残っていたせいか、急に改まった声になってしまった。
王太子は気にした様子もなく、軽く首を傾げる。
「無理に言葉を直さなくても構いませんよ。楽しかったのなら、それで十分です」
「……楽しかったわ」
そう言い直すと、少しだけ照れくさかった。けれど王太子は、まるでその言葉を待っていたかのように頷いた。
「それはよかった」
廊下には、侍従たちの足音が遠く響いている。王太子は手にしていた書類を脇に寄せた。
「少し、お時間はありますか。母国への次の祈りの件で、確認したいことがあります」
「そう、その事で私も報告しようと思っていたの」
二人は近くの小さな応接室へ移った。王城の中ではよく使われる部屋で、大きすぎず、窓から中庭が見える。王太子が侍従に茶を頼むと、すぐに温かな紅茶が運ばれてきた。
セシリアは椅子に腰を下ろし、籠を膝の上に置いた。
「次の依頼は、北西の地区だったかしら」
「ええ。瘴気が溜まりやすい土地だそうです。ただ、急を要するほどではありません。あなたが受けるかどうかを先に確認したい」
王太子は書類を一枚、セシリアの方へ向けた。そこには日時と場所、同行する役人の名、滞在時間、依頼内容が簡潔に記されている。
「この時間なら大丈夫だと思うわ。前日に予定を入れなければ、体調も整えられるもの」
「では、そのように調整しましょう。ただ、少しでも不安があれば断ってください」
「分かっているわ」
セシリアが答えると、王太子はじっと彼女を見た。
「本当に?」
「……分かっているつもりよ」
「その言い方だと、少し不安ですね」
「殿下は心配しすぎだわ」
「あなたに関しては、心配しすぎるくらいでちょうどいいと思っています」
あまりにも真面目に言われ、セシリアは返答に困ったように笑った。
「今日は友人たちにも同じことを言われたわ。無理をしていないのかって」
「よい友人ですね」
友人たちに見せた香水瓶は、まだ籠の中に入ったままだった。帰り道、王太子にも見せようと思っていたのに、母国への祈りの話をしているうちに少し忘れていた。
セシリアはそれを思い出し、膝の上の籠へ手を伸ばす。
「あぁ、そうだわ。殿下にこれを見せようと思ったのよ」
中には、布で包んだ小さな香水瓶が入っている。布を解くと、透明な硝子瓶の中で、淡い琥珀色の液体が揺れた。
「あなたが作ったものですか?」
「ええ。今日、友人たちにも見てもらったの」
「拝見しても?」
「もちろん」
セシリアが差し出すと、王太子は両手で丁寧に受け取った。まるで壊れやすいものを扱うような仕草だったので、セシリアは少しだけ照れくさくなる。
王太子は栓を少しだけ開け、香りを確かめた。応接室に、ラベンダーの落ち着いた香りと、ジャスミンの柔らかな甘さがほんのり広がる。
「良いですね。落ち着く香りです。母上が好きな香りに少し似ています」
「王妃様が?」
セシリアは思わず聞き返した。
「ええ。母は強い香りをあまり好まないので。花の香りでも、これくらい控えめなものをよく選んでいます」
セシリアは、先ほどの茶会でセシルが言っていたことを思い出した。きつい香水は少し苦手なのだと、彼女は瓶を覗き込みながら笑っていた。王妃とセシルは、どうやら香りの好みは似ているらしい。
王太子は栓を戻し、瓶をセシリアへ返した。受け取った小瓶には、まだ彼の手の温もりがわずかに残っているような気がした。ラベンダーとジャスミンの香りが、応接室の空気に淡く混じっている。セシリアはそれを布で包み直しながら、次に作る香りはもう少しだけ甘さを抑えてみようかと考えた。王妃とセシル、二人が好むような香り、それを作るのも悪くないと思った。