軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

暗躍

管理局がスフィアの共同管理権を正式に退けたあと、黒沢常務はすぐに別の扉を叩いていた。

議員会館の廊下で、足を止める。

廊下の壁は白く、床は磨かれている。秘書が行き交い、薄い紙袋と名刺入れと、資料を挟んだ革のファイルだけが忙しく動く場所だった。

スフィア・コーポレーションのロゴが入った提案書を、黒沢は左手に持っていた。

暫定管理権運用ダンジョンにおける安全管理主体の再編提案。

個人または小規模チームによる高危険度ダンジョン管理は、責任能力、継続性、監査対応、装備維持の各点で限界がある。大企業または公営主体を中心とした共同管理体制へ移行することで、安全性と公益性を担保する。

特にダンジョンC-087のようなイレギュラーにおいては一層必要なことだと言える。あれはスフィアが管理すべきだ。

「やぁ、黒沢君。よく来てくれた」

会議室の奥から、低い声がした。

園城先生は、窓側のソファに座っていた。七十に近いはずだが、背は丸まっていない。灰色の髪をきれいに撫でつけ、膝の上に置いた手の指だけを、ゆっくり動かしている。現政権の運営にも顔が利く、政党内の有力議員。息子は、今の内閣でダンジョン管理を管轄する省庁の大臣を務めている。

廊下にいた秘書が、扉を静かに閉めた。

「先生、本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

「時間は取った。で、何だ」

園城の口調は、低く丁寧に始まったかと思うと、急に命令口調へ変わった。

黒沢は提案書をテーブルに置いた。

「こちらになります」

「ほう。君は、またあちこちで面白い話をしているようだな」

園城は提案書へ手を伸ばさず、黒沢を見た。

把握されている。

別の議員にも、別の省庁筋にも、黒沢が小さく話を通していたことを、園城は知っている。

「各所に、ご意見を伺っている段階です」

「言い方が上手になったな」

「個人または小規模チームによる高危険度ダンジョン管理には、説明責任の面で限界があります。大企業と公営主体による共同管理体制を整えれば、政権としても、安全管理の盤石さを示せます」

園城の息子は大臣に就任してから目立った成果がないはずだ。そこが交渉材料。しかも、ただの手柄ではない。現政権の盤石さを見せる材料として、ダンジョン管理の大型案件を使っていく。

「うちの息子に、君の会社の都合を背負わせろと?」

「そのような話ではありません」

「ダンジョン管理権運用について、安全管理主体の再編が必要になる時期かと考えています」

「ほう。再編」

「個人または小規模チームに高危険度案件を預け続ける制度は、いずれ説明責任を問われるかと」

園城の眉が、ほんの少し動いた。

そこでようやく提案書を開いた。表紙、要旨、別紙。C-087の番号があるページで、指が止まる。

「黒沢君。制度というのはね、必要だから動くのであって、企業の都合で動くものではないよ」

「もちろんです」

「そこを間違えると、君の会社にも、うちの若い者にも、余計な火の粉がかかる」

「承知しております」

園城は、提案書を閉じなかった。

地方から戻る道は、ほとんど無言だった。

霧島は運転席で、真凛は助手席で自治体向けの引き渡しメモを打っていた。俺は後部座席で、泥の残った靴を見ていた。

腹は減っている。昼に食ったうどんは、もうどこかへ消えた。だが、飯は後だ。

高速を降りる頃、園田から通話が入った。

『篠塚さん、現在値、二・五。ピークは二・八まで上がりました。前回ミノタウロス級の倍以上で見てください』

「位置は」

『深部扉の手前です。動きは遅いですが、壁面に接触するたびに振幅が跳ねています。装備は、革鎧のインナーを強化版に差し替えました。グリップも巻き直しました』

「助かる」

『ただ、管理局の端末にも同じ警報が出ています。外部機関の閲覧権限にも開いているはずです』

真凛が、助手席で手を止めた。

「広がりましたね」

霧島は前を見たまま、唇を噛んだ。

C-087に着いたのは夕方だった。車を降りると、入口側の空気が普段より冷たい。拠点の裏手から、低い震動が足裏に来る。いつもの震動ではない。

霧島のスマートウォッチが鳴った。

霧島は画面を見て、息を止める。

「すみません。本省から連絡が。すぐ戻ります」

霧島はそう言って車で去っていった。

園田が飛び出してくる。手にはタブレット。髪が少し乱れている。

「篠塚さん、装備、置いてあります。数値、今、二・六です」

「わかった、早速入ろう」

「はい」

俺は革鎧を手に取った。内側のインナーが少し厚い。肩に重さが来る。

もう若くない肩にはきついが、文句を言う場所ではない。

俺は入口の鍵と許可証の束を取った。

その時、黒い車が二台停まる。

先に降りてきたのは、安藤さんだった。顔が苦い。

続いて、管理局の腕章をつけた職員が二人。さらに、公的機関の職員らしいスーツの男。胸の名札には内閣府の文字。最後に、テレビで見た顔の若い男が降りてきた。園城大臣って人か。

安藤さんは一瞬だけ目を伏せる。

「篠塚さん」

「何ですか」

「待機命令です。C-087への入坑を、一時停止してください」

どういうことだ?一時停止?

真凛が前へ出た。

「その根拠は」

「高危険度反応発生時における暫定管理権者の行動制限、緊急審査規定です」

「その規定は、管理権者の能力不足または管理放棄が疑われる場合に使うものです。篠塚班は該当しません」

園城大臣が、少しだけ眉を動かした。

「該当するかどうかを、これから判断します。個人チームに、このような案件を預け続けるわけにはいきません」

園田がタブレットを掲げた。

「数値を見る限り、今止める方が危険です。すでにミノタウロスは上層への移動しています。装備は準備済みです。篠塚さんなら、現時点で入った方が損傷範囲を抑えられます」

「技術担当の意見として承ります」

園城大臣の返答は、まじめだった。だから余計に面倒だった。

C-087の奥で、また震動が来る。床が小さく鳴った。

「安藤さん」

「……はい」

「中にいるものは、待ちません」

「分かっています」

「なら、通してください」

安藤さんは紙を握り直した。紙の端が少し曲がる。

「できません」

真凛が、すぐに言う。

「この命令に対して、異議を申し立てます」

「却下します。これは内閣府ダンジョン安全対策室を統括している私が認可したものです」

園城大臣が短く返す。

「あと十分もすれば代替の探索者がこちらに向かいます」

真凛の目が細くなった。

園城大臣の秘書が、タブレットを差し出した。画面には、C-087、深部反応、危険度暫定二・九の赤い数字。その下に、別紙資料の見出しがあった。

代替対応探索者派遣案。

企業所属探索者チーム、スフィア・コーポレーション。

スフィアか……。ここまでくると、くされ縁なのだろう。

園田が、小さく息を吸った。

「今から外部チームを入れるつもりですか。反応値二・九ですよ」

「これは重大な案件ですから」

「それはもう聞きましたよ。そんなことをしている間に、上層へ来ます。それにこれは……」

「篠塚さんにしか務まらない案件とでも言いたいのですか?」

「えぇ」

真凛が珍しく、語気を強めた。

「随分と信頼されているみたいだ、篠塚さんは。確かに実力は確かと聞いています。だから、私たちはあなたを確かめていた」

管理棟側の扉が開く音がした。