軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第八十一話 託された女

茶の香りが、ようやく部屋の空気を落ち着かせ始めていた。

夜明け前の冷えは、まだ窓布の向こうに残っている。だが、厚い石壁に囲まれた自室の中は、灯火と湯気のおかげで外よりずっと柔らかい。茶器から立ち上る白い筋が揺れ、机の端に置かれた灯りをかすかに歪ませている。

ギルは椅子に腰を下ろし、茶の入った杯を手に取った。

熱い。

舌を焼くほどではないが、夜道を戻ってきた身体には十分だった。喉の奥へ落ちていく熱を感じると、ようやくマバール城へ帰って来たのだと実感する。

目の前には、リエリエールが座っていた。

白金の髪は長旅のあとでも乱れを見せず、碧い目は静かに伏せられている。彼女の所作には、追い詰められた者の焦りが見えない。もちろん疲れていないはずはない。夜を越えて移動し、知らぬ城へ入り、魔力封印まで受けたのだ。普通なら、少しは顔に出る。

だが、リエリエールは杯を両手で受け取り、小さく口をつけるだけだった。

尊大ではない。

かといって、卑屈でもない。

自分が今どういう立場かを理解し、その上で崩れないよう背筋を保っている。そういう態度だった。

やっぱり、ただの綺麗な貴族女性ではないな。

ギルは杯を置き、少しだけ姿勢を直した。

「リエリエール殿」

「はい」

「何か必要な物があれば、レティシアに言ってくれ。用意させる」

リエリエールはギルの隣に控えるレティシアへ視線を向け、それから柔らかく頭を下げた。

「はい。ありがとうございます」

言葉は短い。

だが、受ける側の礼としては過不足がなかった。こちらを主人のように持ち上げすぎず、客として当然の権利を主張するでもない。丁寧に、けれど静かに、今の保護対象としての位置へ収まっている。

レティシアも一歩前へ出た。

「ご遠慮なくお申し付けください。お部屋の支度、衣類、湯、食事、どれもすぐ確認いたします」

「ありがとうございます。急なことですので、ご迷惑をおかけします」

「若様がお連れになった方です。迷惑などではございません」

レティシアの声はいつも通り穏やかだった。

だが、ギルには少しだけ分かる。

彼女はもう考えている。

部屋をどこに用意するか。誰に動かさせるか。リエリエールの衣類をどう整えるか。彼女の使用人をどこに置くか。城内の女たちへどの順番で話を通すか。

俺が連れてきた面倒事を、もう自分の仕事として処理し始めている。

ありがたい。

とてもありがたい。

そして少し申し訳ない。

ギルはその気まずさから逃げるように、リエリエールの後ろへ立つ専属使用人へ目を向けた。

「あぁ、えっと……」

名前。

そういえば聞いていないな。

エレオノーラとの館で、リエリエールの専属使用人が同行することは認識した。だが、名前を聞くのを忘れていた。

ギルが一瞬詰まると、その女は静かに頭を下げた。

「ノエルと申します」

低すぎず、高すぎず、よく通る声だった。

緊張はある。

ただ、声は崩れていない。リエリエールの専属使用人として、見知らぬ城の中でも主の後ろに立ち続けるだけの覚悟と胆力はあるらしい。

「そうか。ノエル」

「はい」

「お前も必要な物があればダリアに言え」

ギルはダリアへ視線を向けた。

ダリアは壁際に控え、灰色の髪をきちんとまとめている。帝国出身の平民で、今は俺の専属使用人。立場だけ並べると、この部屋の中でもなかなか複雑な存在だ。

だが、今のノエルにはちょうどいい。

「ダリアは帝国出だ。言いやすいだろう」

ノエルの目がわずかに動いた。

ほんの小さな変化だったが、ギルには見えた。知らぬ王国の城、知らぬ主人の部屋、知らぬ人間ばかり。その中に、帝国出身の平民がいる。それだけで、少し息がしやすくなるのかもしれない。

ダリアは柔らかく微笑んだ。

「お任せください。分からないことがあれば、わたしへ」

「ありがとうございます」

ノエルが頭を下げる。

その礼は、レティシアへ向けたものより少しだけ近い温度を帯びていた。

なるほど。

ダリアを置いておいてよかった。

いや、別にこのために専属使用人にしたわけではないが、こういう時には本当に助かる。帝国の言葉の癖、平民同士の距離感、帝国の貴族女性の身の回りの扱い。そのあたりは、俺よりダリアの方がよほど分かっているはずだ。

ギルは茶をもう一口飲み、それから隣に立つセバスチャンを思い出した。

「ああ、ついでに紹介しておく」

セバスチャンの眉がわずかに動いた。

嫌な予感でもしたのだろう。

正しい。

「このクソじじいはセバスチャンだ」

リエリエールとノエルの視線が、同時にセバスチャンへ向いた。

セバスチャンは苦笑いを浮かべている。傷の刻まれた顔でそんな表情をすると、普通なら凶悪さが増すはずなのだが、なぜか慣れた者にはいつもの顔に見える。

「まあ、あんまり覚えなくていい。品性が下がるからな」

「若様、ちょっとひどくねぇですか?」

「俺はお前を筆頭騎士にしてから品性が下がったと評判だぞ」

「若様の地ですぜ」

「やかましい」

いつものやり取りだった。

だが、部屋の中にいた二人には、いつものものではなかったらしい。

リエリエールは目を瞬かせ、ノエルは一瞬だけ本当にどう反応していいか分からない顔をした。帰りの道中でも、俺とセバスチャンの距離感は見ていたはずだ。それでも、マバール城の自室で、専属使用人や高位貴族女性の前でまで同じ調子なのは少し予想外だったのだろう。

主従差が消えているわけではない。

それはセバスチャンも分かっているし、俺も分かっている。

だが、普通の主従ではない。

それも事実だ。

リエリエールの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

ノエルも、張り詰めていた肩をわずかに落とす。

よし。

空気は少し軽くなった。品性は少し下がったかもしれんが

そう考えたところで、扉が柔らかく叩かれた。

レティシアがすぐに視線を向ける。ギルが頷くと、彼女は扉へ歩み寄り、外の者と短く言葉を交わした。

戻って来た時、レティシアの顔には、先ほどより少しだけ仕事の色が濃くなっていた。

「若様」

「来たか?」

「はい」

やっぱりな。

ギルは杯を置いた。

扉の向こうから、控えていた使用人が姿を見せる。

「ギルバート様。申し訳ありませんが、会議室へお願いいたします。セバスチャン様もご同行ください」

セバスチャンが肩をすくめた。

「そりゃ来ますわな」

「やはり呼び出されたな」

ギルは立ち上がり、リエリエールへ向き直った。

「少し席を外す。レティシアとダリアの指示に従ってくれ」

「承知しました」

「ノエルもだ」

「はい」

リエリエールは立ち上がろうとしたが、ギルは手で制した。

「休んでいてくれ。長旅の後だ」

「ありがとうございます」

彼女は素直に腰を下ろした。

その素直さもまた、今の状況では助かる。無理に貴族として立ち続けようとされると、それはそれで扱いが難しい。

ギルはセバスチャンを連れて部屋を出た。

廊下の空気は、部屋の中より少し冷えていた。灯火の間隔が長く、床石に落ちた影が濃い。夜番の使用人や兵が通るたび、こちらへ礼をして道を空ける。その視線の端には、やはり先ほどのリエリエールの影がちらついているように見えた。

「やはり呼び出されたな」

ギルは声を落とした。

「当たり前ですな」

セバスチャンも隣で歩調を合わせる。

「若様が夜明け前に見知らぬ貴族女を連れて帰ってきたんですぜ。呼ばれねぇ方が怖い」

「まあ、そうだよな」

「しかも帝国絡みですからな」

その通りだった。

温泉帰りに雛鳥を連れて帰った時でも面倒だったのだ。今回は鳥ではない。名門貴族女性だ。しかもメガレア家に連なる女で、メガレアの長男に近かった可能性が高い。

政治的価値はある。

危険性もある。

そして俺は、彼女をかなり気に入っている。

「リエリエール殿のこと、どうするかな」

口に出した瞬間、セバスチャンがちらりとこちらを見た。

「若様次第でしょうな」

「俺次第か」

「お館様へ差し出すなら、手ぇ出さねぇ方がいいですぜ」

「言い方」

「事実ですからな」

ギルは少し黙った。

父上へ差し出す。

可能性としてはある。家として受け入れるなら、当主であるガルシアの側へ置く形も当然あり得る。リエリエールの血統、年齢、立場を考えれば、父の側室候補として扱う方が政治的には分かりやすいかもしれない。

だが、想像しても、あまり面白くなかった。

白金の髪。

碧い目。

儚げな外見に反して、魔力封印を迷わず受け入れる胆力。

そして、エレオノーラから託された時の、あの静かな声。

俺はもう、かなり気に入っている。

ギルが何も言わないでいると、セバスチャンが鼻で笑った。

「若様が気に入ったんなら、お館様も別に怒らねぇでしょう。むしろ喜びますぜ」

「そうか?」

「ええ。高い血統の女を自分のところへ置きたいって話でしょう。マバール家として悪い話じゃねぇ」

「そうだな」

ギルは頷いた。

会議室の扉の前には、いつもの兵が立っていた。ギルが近づくと即座に礼をし、内側へ声を通す。扉が開くと、乾いた空気と紙の匂いが流れてきた。

中には、予想通りの顔ぶれが揃っていた。

文官たち。

武官たち。

諜報部の長。

メイド長。

父上はいない。

父上は王都へ向かっている。だからこの場にいる者たちは、父の不在中にマバール城を回す上層部だ。俺はまた実質的な判断役として席へ着くことになる。

面倒だ。

だが、逃げられない。

「ギルバート様」

老文官の一人が深く頭を下げた。

「夜明け前に申し訳ございません」

「構わん。呼ばれると思っていた」

ギルが席へ着くと、セバスチャンは少し後ろに立った。座れと言えば座るかもしれないが、今回は証人兼補佐という位置だろう。本人もそのつもりらしく、余計なことは言わずに腕を組んでいる。

会議室の空気は硬い。

だが、混乱はしていなかった。

ここにいる者たちは、驚きながらも仕事をする人間たちだ。夜明け前に高位貴族女性が持ち込まれても、まず情報を整理する。そういう顔をしている。少しぐらいは俺の責任もあるかもしれないけど。

「まず、エレオノーラ殿との会談内容を話す」

ギルは無駄な前置きを切った。

「アバルディア家としては、どうもメガレアの長男はいらんらしいな」

文官たちの間に、わずかな息の動きがあった。

驚きではない。

納得に近い。

「ふむ」

老文官が顎に指を添える。

「納得できますな」

別の文官が頷いた。

「アバルディア家からすれば、邪魔でしかありますまい」

「だが、こちらへ押し付けるとは、ちと図々しいのう」

武官の一人が低く言う。

それに諜報部の長が静かに答えた。

「既に国境を越えております。向こうとしては、我らに気を遣った形でもあるのでしょう」

「自分たちで対処すると、後々問題になるからな」

別の武官が吐き捨てるように言った。

メガレア家の長男。

亡命者。

札としては弱く、爆弾としてはそれなりに厄介。

アバルディア家が直接処分すれば、将来どこかで火種になる。ならば、王国側へ押し出し、そこで勝手に処理された形にする。

図々しいが、理屈は分かる。

「その報酬が、あの女性ですか」

老文官の目がギルへ向いた。

「ギルバート様。あの女性の素性は?」

「メガレア家に連なる名門出身で、どうもメガレアの長男の側室らしい」

ギルはエレオノーラとの会話を思い出しながら言葉を選んだ。

「実家もほぼ滅んでるらしいな」

会議室の空気が、そこで少し変わった。

ただの高位貴族女性ではない。

帰る場所のない、高位血統の女。

そう認識が揃ったのが分かった。

「ふむ。血統は申し分ありませんな」

「実家が機能しないとなれば、保護の名目も立つ」

「アバルディア家が抱え続けるには重く、捨てるには惜しい。そういうことですか」

文官たちの声が低く交わされる。

武官側は黙っているが、興味がないわけではなさそうだ。貴族の血統、側室、子。軍事とは違うが、マバール家の力に関わる話だと理解している。

「子はおらんのですか?」

老文官がさらに踏み込んだ。

ギルは首を少し傾ける。

「さあな。エレオノーラ殿は明言しなかった。本人にも確認していない」

リエリエールの口から聞いていないし、エレオノーラも言わなかった。だが、わざわざこちらへ薦めてきた。その時点で、分かることはある。

「ただ、あの歳で、メガレアの長男の側に長くいた女だ。それをアバルディア家が薦めてきたんだ。いると考えて問題ないだろう」

「そうですな」

「さすがに石女は薦めんでしょう」

「ですが子までは渡さんと」

「利用価値がありますからな」

文官の一人が淡々と言った。

別の武官が腕を組んだまま笑う。

「娘なら付けて欲しいところですな」

「欲張りすぎです」

若い文官が即座に返した。

小さな笑いが会議室に広がる。

硬かった空気が、ほんの少しだけ緩んだ。だが、その笑いの奥には、全員が同じことを理解している重さがあった。

血統ある女。

その子。

そして、どこまでこちらへ渡されたのか。

今後、調べるべきことは多い。

「そのあたりは今後の交渉と確認でしょう」

老文官が話を戻した。

「して、ギルバート様。メガレアの長男はどうなさいます?」

老文官の問いに、ギルは少しだけ口元を歪めた。

会議室の視線が集まる。

ここが本題だ。

リエリエールは充分な価値がある。

だが、本当に厄介なのは長男の方だった。

生きているだけで面倒を呼ぶ。

大人しく退場してもらおう。

「どうも帝国内を荒らした上品な山賊が国境付近まで来ていたらしいぞ」

数人の文官が目を細めた。

武官の一人が鼻を鳴らす。

「物騒な話ですな」

「まったくだ」

ギルも頷く。

「帝国内ではずいぶん好き勝手やったらしい」

「貴族の屋敷を襲い」

「財を奪い」

「人も殺した」

ギルは穏やかに言った。

老文官が顎を撫でた。

「その山賊が長男を襲ったと?」

「さあな」

ギルは肩を竦める。

「俺は見ていない」

「だが、国境付近まで来ていた山賊がいる」

「そしてメガレアの長男は行方不明になった」

「その二つは両立するだろう」

武官の一人が笑った。

「なるほど」

「それなら王国は保護しておりませんな」

「そういうことだ」

諜報部の長が静かに続ける。

「長男が王国へ接触したという事実そのものが消えるわけではありません」

「ですが、保護前に消息を絶ったのであれば話は別です」

「我らに責任は発生しない」

老文官も頷く。

「メガレア家が抗議してきたとしても」

「王国としては山賊被害を嘆くしかありませんな」

武官が笑う。

「むしろこちらが文句を言いたい」

「国境付近に危険な山賊を放置していたのは帝国側ですからな」

小さな笑いが起きる。

だが、それは冗談半分ではない。

本気でそう主張するつもりなのだ。

ギルは内心でそう思い、少しだけ笑った。

「では、その方向でよろしいかな」

老文官が周囲を見た。

武官たちは頷き、文官たちも反対しない。諜報部の長は何も言わないが、沈黙が同意に見えた。

老文官が改めてギルを見る。

「ギルバート様もよろしいでしょうか」

「ああ。充分だ」

ギルは短く答えた。

これで、面倒は全て山賊に押し付けられる。

アバルディア家も、マバール家も、正式には関わらない。表に出せない話としては、悪くない落としどころだ。

ちょっと面倒だが仕方ない。

だが、本題はまだ残っていた。

老文官は一度だけ息を整えた。ほんの少し、声の前に緊張が入る。

「では、あの女性はどうなさいますか」

来たな。

ギルは背もたれへ寄りかからず、まっすぐ座ったまま答えた。

「俺が貰い受けるつもりだが、問題はあるか?」

後ろで、セバスチャンが小さく笑った気配がした。

こいつ。

やっぱり分かっていやがったな。

会議室の者たちは互いに視線を交わした。

文官。

武官。

メイド長。

諜報部の長。

反対の声は、すぐには出なかった。

それは無関心ではない。むしろ、全員が素早く損得を測っている沈黙だった。

メガレア家に連なる名門出身。

メガレアの長男の側室だった可能性。

実家はほぼ滅んでいる。

子がいる可能性も高い。

アバルディア家から託された女。

それを、マバール家の三男が自分の保護下に置く。

政治的には重い。

だが、悪い話ではない。

少なくとも、父上へ差し出すべきだとこの場で言い出す者はいなかった。

やがて老文官が頭を下げた。

「問題ありません」

武官の一人も頷く。

「ギルバート様が受けられるのであれば、こちらとしても扱いやすい」

別の文官も続けた。

「名目としては保護。実態としてはギルバート様の側。妥当かと」

メイド長は静かにギルを見ていた。

その目は、また若様が女を増やした、とは言っていない。

たぶん。

たぶん、言っていない。

ギルは咳払いをひとつした。

「では、メイド長」

「はい」

「リエリエール殿の部屋を用意してくれ。いずれは後宮へ入ることになるだろうが、ひとまずは俺の部屋の近くで頼む」

「かしこまりました」

返答は早かった。

さすがだった。

俺の自室がある区画は、当然ながら貴族家族の居所となる。高位貴族女性を一時的に置ける部屋も、探せばあるはずだ。無理なら無理で、メイド長がどうにかするだろう。

完全に投げている気もするが、ここは専門家に任せるべきだ。

ギルはそこでようやく、少しだけ息を吐いた。

リエリエールの受け入れは、これで正式に通った。

メガレアの長男は、上品な山賊に襲われる。

リエリエールは、俺が貰い受ける。

父上の不在中に決めるには、なかなか大きい話だ。

だが、今のマバール城で待ち続ける余裕はない。国境は動いている。帝国は乱れている。アバルディア家は札を投げてきた。なら、こちらも受け取った札をすぐ使える形へ整えるしかない。

老文官が書記へ目を向け、記録役が手元の紙へ筆を走らせる。

武官たちはもう、長男処理後の段取りを考えている顔をしていた。

諜報部の長は、影の薄い顔のまま、何も言わずにこちらを見ている。

メイド長は、たぶん部屋と人員を頭の中で組み替えている。

それぞれが動き始めている。

ギルはその様子を見ながら、内心で小さく呟いた。

これで、ひとまずリエリエール殿は俺のものか。

そう思った瞬間、自分でも少しだけ笑いそうになった。

保護対象だ。

政治案件だ。

名門血統の貴族女性だ。

分かっている。

分かっているが、言葉にすると結局そうなる。

俺が貰い受けた。

なら、守るのも、扱うのも、俺の責任だ。

「ギルバート様」

老文官が声をかける。

「今後、あの女性から直接事情を聞く必要も出て参りましょう」

「ああ。だが、今すぐはやめておけ。長旅の後だし、魔力封印も施している。まず休ませる」

「承知しました」

「本人が落ち着いてから、必要な範囲で聞く」

それでいい。

焦って根掘り葉掘り聞けば、保護と尋問の境が曖昧になる。リエリエールは賢い。自分の立場も理解している。なら、締め上げる必要はない。

少なくとも、俺はそうしたくなかった。

セバスチャンが後ろで何も言わない。

それが少しだけ、肯定に思えた。

老文官がもう一度頭を下げる。

「では、現時点ではその方針で」

「ああ」

ギルは頷き、椅子から立ち上がった。

会議室の空気が少し動く。

夜明けは近い。

城はもうすぐ完全に目を覚ますだろう。

その前に、自室へ戻らなければならない。

茶は、たぶん冷めている。

リエリエールはまだ座っているだろうか。

レティシアとダリアは、もう必要な準備を始めているだろうか。

ノエルは少しは落ち着いただろうか。

そんなことを考えながら、ギルは会議室の扉へ向かった。

背後で、セバスチャンが小さく息を吐く。

「若様」

「何だ」

「お館様、お喜びになりますぜ」

「うるさい」

ギルは振り返らずに返した。

だが、否定はしなかった。