軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第四十九話 迷宮前の朝

朝の光が、薄い布越しに寝室へ滲んでいた。

窓の外はまだ白み始めたばかりで、石造りの壁には夜の冷たさが残っている。薄い布の向こうで揺れる光は柔らかいのに、寝台の周囲には夜の名残が濃く残っていた。乱れた寝具は温かく、空気も少しだけ甘く重い。

ギルはぼんやりと天井を見上げた。

眠ったという感覚はほとんどない。

目を閉じた記憶はある。だが、深く沈んだ覚えはなかった。夜の間、何度もレティシアの声を聞き、髪を撫で、白い指が寝具を掴むのを見ていた。その記憶が、朝の薄い光の中でもまだ熱を持って残っている。

隣へ視線を落とす。

レティシアが倒れていた。

いや、眠っている。

たぶん眠っている。

ただ、普段の整った寝姿とは明らかに違った。長い髪は枕の上で乱れ、白い肩が寝具から少し覗いている。呼吸は深く、規則正しい。頬には赤みが残っていたが、顔色は悪くない。苦しそうでもない。

それでも、昨夜の途中からほとんど反応がなくなっていたことを思い出すと、気絶していると言った方が近い気がした。

「……ちょっと愛しすぎたか?」

ギルは小さく呟いた。

言葉にしてみると、少しだけ反省の形になった。

だが、胸の奥にあるものは重くない。後悔というより、やりすぎたかもしれない、という程度だ。実際、やりすぎたのだろう。レティシアは最後の方でまともに返事もできなくなっていた。

だから反省はする。

するのだが。

昨夜のレティシアを思い出すと、どうにも本気で落ち込めない。

普段は背筋を伸ばし、声も所作も整った専属使用人だ。茶を淹れる手つきに乱れはなく、衣服の皺一つ許さず、俺がくだらないことを言えば静かな目で釘を刺す。その女が、寝台の上では声を震わせ、瞳を潤ませ、俺の名を呼びながら縋ってきた。

あれを前にして、控えめにしろという方が無理ではないか。

いや、無理ではないのかもしれない。

普通の男なら出来るのかもしれない。

だが、俺には少し難しかった。

ギルは内心でうなずき、そっと指を伸ばした。

レティシアの頬を軽くつつく。

柔らかい。

反応はない。

もう一度、少しだけ強くつつく。

今度は睫毛がかすかに震えた。

「……ん……」

小さな息が漏れた。

レティシアの瞼がゆっくりと開く。

だが、目はまだ何も見ていなかった。朝の光を受けた瞳がぼんやり揺れ、天井を見上げ、それからゆっくり横へ流れる。ギルの顔の辺りで止まったが、すぐには焦点が合わない。

少しずつ、瞳の奥に意識が戻ってくる。

「……わか、さま……」

「おう」

ギルが返すと、レティシアは数秒ほど固まった。

その間に、顔つきが変わっていく。

寝台。

乱れた寝具。

自分の格好。

体の重さ。

昨夜の記憶。

それらが順番に繋がったのだろう。白い顔が、みるみる赤く染まった。

「……若様!」

「すまん」

ギルは即座に謝った。

レティシアはむっとした顔でこちらを見る。怒鳴るほどではない。だが、明らかに呆れていた。寝起きでまだ声に力はないのに、その目だけはいつものレティシアに戻りつつある。

「昨夜、途中からほとんど記憶がございません……」

「半分気絶してたからな」

「分かっております!」

珍しく声が大きい。

その勢いの後で、レティシアは自分の声に驚いたように唇を閉じた。寝具を掴む指にも力が入っている。恥ずかしいのだろう。本当に恥ずかしいのだろう。

ギルは少し笑ってしまった。

「いや、本当にすまん。レティシアがあまりに美しくて我慢できなかった」

レティシアがじっとこちらを見る。

睨んでいる。

たぶん睨んでいるのだが、頬が赤すぎて迫力が足りない。

「……そのような言葉で誤魔化されません」

「誤魔化してないぞ。本音だ」

「若様」

「本当に綺麗だった」

レティシアは何か言い返そうとした。

けれど、言葉にならなかった。

視線がわずかに揺れ、赤くなった顔を隠すように、寝具を少し引き上げる。怒っているはずなのに、口元が強く結ばれすぎていない。たぶん、嬉しさも少し混ざっている。

もちろん、ギルにはレティシアの心の中が見えるわけではない。

だが、そう見えた。

結局、レティシアは小さく息を吐いた。

「……もう」

それだけだった。

完全には怒りきれなかったらしい。

ギルは満足して寝台から起き上がった。

朝の空気が肌へ触れる。少し冷たい。寝具の中に残っていた熱が抜けていき、意識がはっきりしてくる。ほぼ徹夜ではあるが、体は普通に動いた。少し眠気がある程度で、重さはない。

やはり貴族の身体は頑丈だ。

ギルほどの魔力容量と魔力強度があれば、一晩くらいの無茶でどうこうなることはない。肉体強化魔法を使うまでもなく、足腰はしっかりしていた。

寝台の上で、レティシアが身を起こそうとする。

「若様、お着替えを――」

そこで動きが止まった。

寝台から足を下ろそうとした瞬間、身体が傾く。腰に力が入らなかったらしい。膝が崩れ、そのまま前へ倒れかけた。

ギルは慌てて手を伸ばす。

「おっと」

「……っ」

レティシアの体を支えると、腕の中で細い肩が強張った。

顔がさらに赤くなる。

昨夜あれだけ乱された直後に、まともに立てないのだ。恥ずかしいに決まっている。

「構わん。そのまま休んでろ」

「ですが……」

「無理するな。今日は迷宮行きだしな」

ギルはそのままレティシアを寝台へ戻した。

柔らかな寝具が沈む。

レティシアは悔しそうな顔をした。専属使用人として、自分で主人の支度を整えられないのが気になるのだろう。そういうところは本当に真面目だ。

「本当に申し訳ございません……」

「別に気にするな。原因ほぼ俺だし」

「はい……」

「そこは素直に認めるんだな」

レティシアがじとっとした目でこちらを見る。

ギルは咳払いして話を切った。

衣装棚を開ける。

今日から迷宮へ向かう。普段の貴族的な服ではない。動きやすさを優先した厚手の服へ腕を通し、その上から革を重ねた上着を固定する。派手な飾りはないが、縫製はしっかりしている。安物の旅装ではない。辺境伯家の三男が外へ出るために整えられたものだ。

腰には剣。

外套も厚手のものを選ぶ。

ギルが装備を整えている間、レティシアは寝台の上から静かにこちらを見ていた。

その視線に少しだけ寂しさが混じっているように見える。

たぶん、同行できないことが気になっているのだろう。

ギルは肩の留め具を固定しながら言った。

「そんな顔するな。数日だ」

「……分かっております」

「本当に分かってる顔か?」

「若様が迷宮で無茶をなさらなければよいのですが」

「俺が?」

「若様です」

即答だった。

ギルは少し笑った。

確かに、周囲から見ると自分はわりと危ない側なのかもしれない。攻撃魔法を遠慮なく叩き込むし、面倒になると妙に前へ出る時もある。セバスチャンあたりも、似たようなことを言っていた気がする。

「大丈夫だ。今回は練習みたいなもんだし」

「そのお言葉が一番不安でございます」

「信用ないなぁ」

「ございますでしょうか」

「ないかもしれん」

レティシアが少しだけ笑った。

その表情を見て、ギルは妙に満足する。

装備を終え、最後に外套を羽織る。

出発の準備は整った。

レティシアは寝台の上で、慌ててシーツを胸元まで引き上げた。

さっきまで肩も胸元もかなり見えていたことに、今さら気づいたらしい。だが、その動きが妙に色っぽい。白い指が布を掴み、乱れた髪の間から赤い頬が覗く。

ギルは思わず見入ってしまった。

「若様……」

「いや、うん」

「何でございますか」

「なんか新婚夫婦みたいだな」

レティシアの動きが止まる。

「…………」

「朝起きて、奥さんに見送られて仕事行く感じというか」

「わ、わたくしは奥方ではございません」

「でも雰囲気は近いぞ」

レティシアは完全に真っ赤になった。

ただ、嫌そうではない。

恥ずかしさの方が強いらしい。

「い、いってらっしゃいませ……」

「おう。行ってくる」

ギルは満足したまま寝室を出た。

扉の外にはダリアが立っていた。

灰色の髪。

褐色の肌。

姿勢はまっすぐだが、まだマバール城の使用人たちの空気とは少し違う。帝国から連れて帰った女であり、今はギルの近くに置かれている。

ダリアはギルを見る。

それから半開きの扉の向こうを一瞬だけ見て、すぐに視線を戻した。何となく状況を察したのだろう。ほんの少しだけ目を細める。

だが、何も言わない。

賢い。

本当にその辺りが賢い。

「レティシアはしばらくしたら出てくる。少し待っていてくれ」

「承知しました」

ダリアは静かに頷いた。

「いってらっしゃいませ、ギル様」

「おう」

ギルはそのまま廊下を歩き出した。

城の中はすでに朝の空気へ変わっている。

使用人たちが動き始め、遠くからは兵の声も聞こえた。窓から差し込む光は昨夜より明るく、石床には人の影が細く伸びている。夜の静けさはもう消え、マバール城はいつもの重く慌ただしい顔を取り戻しつつあった。

少し眠気はある。

だが、それだけだ。

むしろ妙に機嫌がいい。

昨夜のレティシアを思い出すと、自然と口元が緩みそうになる。

「若様」

廊下の先でセバスチャンが待っていた。

すでに旅装を整えている。灰色混じりの髪を後ろへ流し、剣を下げた姿は相変わらず厳つい。筆頭騎士というより、どこか戦場帰りの悪党じみて見えるのは、顔のせいだろうか。

その後ろにはオルド、クレイン、トール。

さらに直属騎士が一名いた。

全員、旅に出る支度をしている。

「おはようございます」

「おう」

セバスチャンがじっとこちらを見る。

その目が妙ににやついていた。

「何だ」

「いえ。実に機嫌が良さそうで」

「そうか?」

「ええ」

オルドたちも視線を逸らしている。

あ、これ察してるな。

ギルは少し咳払いした。

「では行くぞ」

「へい」

城下へ降りる頃には、朝の市場はすっかり動き始めていた。

荷車が石畳を鳴らし、商人たちが声を張り上げる。焼きたてのパンの匂いが漂い、干した肉の塩気混じりの匂いがそこへ重なる。酒樽を転がす音、鳥の羽ばたき、馬の鼻息。城の中とは違う、湿った人の熱があった。

セバスチャンは迷いなく店へ向かった。

ギルはその後ろを歩きながら、並べられた品を眺める。

干し肉。

硬い黒パン。

乾燥豆。

塩漬け肉。

保存酒。

どれも旅には必要なものだ。だが、買い込む量が思ったより多い。店主が大きな布袋を広げ、その中へ次々と詰めていく。塩の匂いが強く、近くに立っているだけで喉が渇きそうだった。

「そんなに必要なのか?」

ギルが言うと、セバスチャンは干し肉を手に取り、硬さを確かめながら答えた。

「迷宮の魔物全部が食える訳じゃありやせん」

「まあ、そりゃそうか」

「食える魔物でも不味いのは普通にありますしな」

店主が笑った。

「腹を壊す奴もいる。若いのは特にな。焼けば何でも食えると思ってやがる」

「迷宮帰りはそういう客が多いのか?」

ギルが尋ねると、店主は肩をすくめた。

「多いですな。腹を空かせて帰ってくる奴もいれば、金を持って騒ぐ奴もいる。帰ってこない奴もいる」

最後の一言だけ、少し軽さが消えた。

ギルは並んだ干し肉へ視線を落とす。

迷宮。

魔物。

素材。

儲け。

そういう言葉だけを聞くと、どこか前世で読んだ物語のようにも思える。だが、ここで売られている食料は現実に硬く、重く、塩辛い。帰ってこない探索者もいる。腹を壊す者もいる。魔力があっても、腹が減れば動きは鈍る。

「そうだよな。俺の魔力がいくらあってもパンは生えてこないしな」

「そりゃありがてえ話ですがね」

セバスチャンが笑った。

オルドは保存酒の樽を軽く持ち上げ、馬に積める重さかを見ている。クレインは乾燥豆の袋を開け、湿気がないかを確かめていた。トールは店主と短く言葉を交わし、袋の口を結ぶ紐を受け取っている。

手際はいい。

ギルは積み上がっていく荷を見ながら首を傾げた。

「もっと迷宮近くで買った方がよくないか? 今買うと持っていく手間が増えるだろ」

「それなりに味が良くて保存が効く物は珍しいんで」

「ほう」

「近場だと質が安定しやせん。人が集まる分、売れ残りも変な品も出ますしな」

「なるほどな」

ギルは干し肉を指で押した。

硬い。

表面には塩が浮いている。これを長く食べ続けるのは、なかなか辛そうだった。

前世ならもっと色々あった気がする。

瓶詰め。

缶詰。

乾燥食品。

燻製。

味噌漬け。

ただ、詳しい作り方までは覚えていない。

「……保存食か」

ギルはぼそりと呟いた。

頭の中で前世の記憶を探る。

塩漬けから始まって、瓶詰めが出て、その後に缶詰だったか。

いや、順番が合っているかは怪しい。

缶詰はどうやって密閉していた。

熱か。

圧か。

そもそも今の技術で作れるのか。

金属容器を大量に作る手間もある。蓋を閉じる技術も必要だ。瓶詰めなら少し現実的かもしれないが、ガラスの質や栓の問題もある。中途半端に作って腹を壊す保存食を量産したら、便利どころか害になる。

味噌漬けも保存食だ。

となると、南部諸国に味噌漬けや醤油漬けが存在してもおかしくない。

自然発生かもしれないし、誰かの影響かもしれない。

分からん。

「若様?」

「いや、保存食増やせたら便利だなと思ってな」

「そりゃ便利でしょうが、簡単じゃありやせんぜ」

「だろうなぁ」

ギルは頭の中へ記録した。

保存食。

帰ったら調べておこう。

最近、レティシアに夢中になりすぎて、こういう研究系を少し放置していた気がする。

反省。

いや、反省するほど悪いことでもない気もする。

買い出しを終えた一行は、城下を出て迷宮へ向かった。

街道は朝露で少し湿っている。

馬の蹄が土を踏み、車輪の跡へ小さく水が溜まっていた。春の風はまだ冷たいが、陽が上がるにつれて空気は少しずつ柔らかくなる。道の両脇には畑が広がり、平民たちが腰を曲げて働いていた。

今回は野営はせずに宿場がある場所では、普通に宿を使う予定になっている。だから荷の中身も、完全な野営前提の量ではない。それでも保存食は多い。迷宮内部で何が起きるか分からない以上、食料を軽く見るわけにはいかないのだろう。

昼を過ぎると、道の景色が少し変わった。

城下近くの整った空気が薄れ、旅人向けの小さな店や馬を休ませる場所が増えてくる。夕方には宿場へ入り、馬を預け、硬い寝台に体を横たえた。

宿の食事は粗かったが、温かかった。硬いパンを煮汁に浸し、塩気の強い肉を噛みながら、ギルはぼんやりと湯気を眺めていた。窓の外では馬が鼻を鳴らし、隣室からは誰かの低い話し声が聞こえる。

こういう移動の時間は、意外と考えごとに向いている。

馬上では景色が流れ、宿では火の前に座る。

何かを決めるほど集中はしないが、頭の奥に沈んでいたものが浮かんでくる。

この世界の技術は、一定速度で進んでいるように見える。

少なくともギルの知る範囲では、急激な飛躍の痕跡が薄い。

鋼鉄はある。

だがアルミもステンレスも見ない。

銃に関しても、ギルが生産拠点で試作した失敗作くらいしか存在していなかった。

もちろん断定は出来ない。

情報の保存も伝達も弱い世界だ。遠い土地に妙な技術が存在していても、ギルの耳に入っていないだけかもしれない。王国と帝国、南部諸国、そのさらに先。全てを知っているわけではない。

それでも、今のところ大きな違和感はない。

前世知識を持った誰かが、世界を派手に変えた跡は見えない。

「……転生者とか、俺以外いないのかもな」

小さく呟いて、ギルは自分で苦笑した。

いたとしても、平民ならどうにもならなかった可能性は高い。

前世知識があっても、魔力がなければ立場が弱い。貴族に近づくのも難しい。変なことを喋れば、頭がおかしい扱いされても不思議ではない。便利な知識があっても、道具も人手も金もなければ形にしにくい。

そして、口を滑らせれば危ない。

ギル自身も前世の記憶を隠している。

貴族の三男として生まれ、魔力にも恵まれて、それでも隠しているのだ。平民が不用意に口にしたら、どう扱われるか分かったものではない。

「味噌と醤油か……」

南部諸国に存在する可能性はある。

ただ、それも転生者由来とは限らない。

条件が揃えば自然発生してもおかしくない食品だ。ギルは専門家ではない。前世で食べていただけで、作り方を細部まで知っているわけではない。

「前世のこと覚えてるやつ募集したらどうなるんだろうな」

考えた瞬間、ギルは首を振った。

「アホか。俺までアホ扱いされるわ」

危ない。

本当に危ない。

だが、怪しいやつがいれば接触ぐらいはしてみたい気もする。もっとも、危険人物だった場合は面倒だ。前世知識持ち同士で仲良く出来る保証などどこにもない。むしろ、下手に同じ秘密を持っている相手の方が厄介かもしれない。

翌朝、また道へ出た。

馬上で揺られ、宿場で休み、また進む。

それを繰り返すうちに、空気が少しずつ変わっていった。

畑よりも荒れた土地が増え、道を行く者の装いも変わる。普通の旅人より、武器を持った者が目立ち始めた。荷車には獣の皮らしきものや、骨の束のようなものが積まれていることもあった。

迷宮が近い。

言葉にされなくても、ギルにはそう感じられた。

そして、遠くに石造りの建物が見えてきた。

迷宮の入口を管理する建物だろう。

その周囲には、宿や商店が並び、小さな村のような場所が出来上がっていた。道端には荷車が止まり、武装した男たちが歩いている。肉を焼く匂い、革の匂い、酒の匂い、獣臭さ。城下とも宿場とも違う空気が鼻へ入ってくる。

「おお……」

ギルは思わず周囲を見回した。

探索者たちが歩いている。

鎧も武器もばらばらだ。

誰も彼も軍のように整っているわけではない。だが、ただの旅人とも違う。武器の握り方、周囲を見る目、荷の持ち方。荒事に近いところで生きている者たちの空気がある。

「資源の買取や、中に潜る探索者相手の商売人ですよ」

セバスチャンが横で言った。

「ここは小さな村みてえなもんですな。迷宮に入る奴がいりゃ、そいつら相手に物を売る奴もいる。出てきた物を買う奴もいる」

「なるほどな」

ギルは周囲を見た。

干し肉を売る店。

革袋を吊るした店。

縄や布を並べている場所。

武器を扱っているらしい男。

大きな桶のそばで泥を落としている探索者。

全部、迷宮を中心に回っている。

「探索者は何が目当てなんだ?」

「まあ、たいていは魔物素材ですね」

セバスチャンが顎をしゃくった。

「皮や肉、ツノや骨もありますが……やっぱり魔石が一番儲けになるでしょうな」

「ん? 魔石ってそんな需要あるのか?」

「綺麗な物は加工して宝飾品にするんですよ」

「ふーん……」

ギルは少し感心した。

なるほど。

宝石扱いか。

一種のトレジャーハンターみたいなものだな、と前世の感覚で思う。

もちろん、実際には命がけだ。

戻ってこない者もいる。

だが、それでも潜る者がいるということは、見返りがあるのだろう。

その時、迷宮入口近くの石造りの建物から兵が出てきた。

マバール家の兵だ。

装備で分かる。

こちらへ気づいた瞬間、明らかに緊張した顔になった。背筋が伸び、足音が硬くなる。近づいてくる間に、表情から余計なものが消えた。

「ようこそ、ギルバート様!」

かなり硬い最敬礼。

どうやら連絡は来ていたらしい。

辺境伯家の三男が迷宮へ来るのだから、当然と言えば当然だ。もっとも、この兵たちがアルディスと直接話したことはたぶんないだろう。迷宮管理をしているのはアル兄さんだが、ここにいる末端の兵まで本人と頻繁に顔を合わせるとは思えない。

ギルは馬から降りた。

足元の土は踏み固められている。

人と馬と荷車が何度も通った場所の感触だった。

「では入るが、何か言いたいことはあるか?」

兵は一瞬だけ姿勢を固くした。

「いえ!」

それから、強く頭を下げる。

「ご武運をお祈りしております」

ギルは兵の背後へ視線を向けた。

迷宮の入口は、石造りの建物の奥で静かに口を開けていた。