軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8.にゃーん

「にゃーん」

続けてもう一度聞こえる。よく響く声だ。

辺りを見回す。だが姿が見えない。

第1階層に、ゴーストのような姿を消す魔物が出てくるとは思えない。

誰かがテイムしたモンスターとか?

辺りをきょろきょろと見回していると、一人の冒険者が声を上げた。

「猫だ!」

彼も猫の鳴き声を聞いたらしい。だが可愛い猫ちゃんを見つけたという風ではない。声にも表情にも緊張感がある。

その感情は彼を中心に、他の冒険者にも伝播していく。

「撤退しろ!」

「急げ!」

周りの冒険者はぎょっとした顔で手を止める。撤退しろと叫んだ男は何かを遠くに放り投げていた。

投げた物の正体が気にはなるが、戸惑っているうちに他の冒険者は神域に駆け込んでいく。

さすがに只事ではないことは理解した。

ちょうど帰ろうと思っていたこともあり、私も彼らに続いてダンジョンから離脱することにした。

「早かったな」

ドアをくぐると、小屋の前で神様が待ち構えていた。

「外で人を待たせているのであんまり長居するのもなぁと思って。それから猫の魔物? が出たみたいで。周りの冒険者がかなり慌てていたんですけど、強い魔物なんですか?」

「猫の姿をした魔物などいない。何かの陰に潜んでいたスライムを見間違えただけではないか?」

「私も『にゃーん』って鳴き声を聞いただけなんですけど、猫っぽい鳴き声の魔物だから『猫』って呼ばれているんですかね? 可愛い猫ちゃんなら見てみたい気もしますが」

「通り名が付くような変異種や上位個体が第1階層に住み着くとは思えんが……」

神様は顎に手を添え、しばし考え込む。

だが思い当たる情報はなかったようだ。

「ひとまず周りが警戒しているのなら近寄らないに越したことはない」

「そうですね」

そこで話は終わりになった。

「あ、そういえばさっき出していたナイフってお借りできますか?」

「与えられる武器は1つだけだ」

「この場で使ってすぐ返します」

「それなら構わぬぞ」

返答と共に、神様の手元にナイフが現れる。

「ありがとうございます」

受け取ったナイフを一度机に置き、自分の髪を左右に分ける。そして右側の髪をタオルで括る。するりと落ちてしまいそうだが、ササッと済ませれば問題ないだろう。

「ちょっと待て、何をするつもりだ」

「何って髪を切るだけですよ」

第1階層をクルリと回っただけではあるが、長い髪が思った以上に邪魔だった。

ヘアゴムやリボンで括ればマシになるのだろうが、そもそも伸ばしておくメリットがない。

令嬢達が髪を伸ばしているのは、女性らしさをアピールするためだったり、ヘアアレンジを楽しむためだったり。私には無縁の話だった。

そもそも嫌悪される対象である黒髪を伸ばしてどうするのかという話だ。

黒髪が嫌悪されるキッカケとなった女性も、ロングの黒髪ストレートだったらしい。髪を切ることで例の女性像からも離れられる。

普通の令嬢なら断腸の思いなのだろうが、私は長い髪に一切執着がない。なにせ前世では30年間、ショート~ミディアムヘアーだったのだ。転生してから3か月経っても、未だ慣れないことの方が多い。

左側の髪の下を手で持ち、ナイフを添える。

「待て!」

神様が止めるのと、ナイフで髪を切り落としたのはほぼ同時だった。

「落ちた髪はちゃんと拾って帰りますから安心してください」

「そういう問題ではない……。なぜ切った」

「髪を長くするデメリットはあってもメリットがなかったので。それに家だと刃物が手に入らなくて。突然驚かせてすみません」

突飛な行動を起こした自覚はある。

だが隠密ローブを着用して行動できるのも初めのうちだけ。

今回は広い場所でスライムをちまちま倒していただけだが、他者から視認できない状態で横道に進む気にはなれない。今だって視界が狭まってしまっているのだ。

加えて道まで狭くなれば、近くの冒険者が放った魔法に気付くのが遅れる可能性がある。私の行動によって魔物の進路が変わることで、他の冒険者にヘイトが向くかもしれない。早めに普通のローブを用意する必要がある。

他にも諸々考えた結果、やはり長い髪が邪魔だという結論に至った。

短ければウィッグを被るなり、髪染めを繰り返すなりすれば黒髪を隠せる。

フードがあったとしても、見られたらどうしようという精神ストレスから解放されるのは大きい。動きやすさも段違い。

なにより、家族はともかくとして、あの屋敷で働く使用人の気持ちも少しは楽になるはず。

毎年ケーキを用意してくれた人が誰かは分からない。

だが食事の配膳以外も、誰かしらがロゼのお世話をしてくれていたことは確かなのだ。髪を切るくらい安いものだ。

だが神様に変な心配をかけてしまったのもまた事実。

素直に謝ると、神様の眉間に皺が寄る。

「それで、もう片方も切っちゃっていいですか?」

「肌に触れないよう気を付けるのだぞ」

「は~い」

軽く返事をして、もう片方もさっくり切り落とす。

切った髪はタオルに包み、バッグに入れる。この髪は髪染めの材料が集まった際、色味確認用にする予定だ。

「すっきりした~」

「今後はちゃんと事情を説明してから行動するように。言ってくれれば、太い糸くらい用意したというのに……」

「太い糸なんてあったんですか?」

「調理に使うからな」

神様が引き出しから取り出したのはタコ糸だった。焼き豚を作る時、肉に巻き付ける糸だ。確かにこれなら髪を軽くまとめるくらいはできそうだ。

「これ、少しもらっていっていいですか? 切った髪をいくつかにまとめたくて」

「何に使うんだ?」

「髪を染める時の色味確認用です。あと筆とか作れたらいいなぁって」

「それなら危険はなさそうだな。切ってやろう」

「じゃあ先にナイフ洗ってきますね」

「そのままでいい。これ以上、刃物を持たせておいたら何をするか分からんからな」

「すみませんって」

ハハハと笑いながら、床に落ちた髪を回収する。その間に神様はタコ糸を眺めにカットしてくれた。

タコ糸を受け取り、代わりに先ほど回収したスライムの核を小屋に置いていく。

そして神域を後にしたのだった。

ダンジョンから出ると、使用人が近くで控えていた。事前に決めておいた通り、左の肩を3回叩いてから腕に手を添える。

「終わりました」

短く告げると、そのまま馬車まで案内される。馬車の中でローブを脱ぐと、使用人が固まってしまった。

「一体誰が」

「私が自分で切りました」

即答する。

それ以上、彼が何かを聞くことはなかった。代わりに痛々しげな視線を私の短くなった髪に向けていた。

行きと同じく馬車に揺られることしばらく。

帰宅すると両親が玄関で待ち構えていた。馬車の音を聞きつけて待っていたらしい。

どこかソワソワとした様子だ。

使用人の一歩前を歩く少女が私だと気づき、ぎょっとした。

「その髪はどうした!」

使用人と同じ反応だ。駆け足気味にやってくる。

だから先ほどの返答に少し付け加えた言葉を告げる。

「私が自分で切りました。隠すなら短い方が何かと便利なので」

「私達はそこまでお前を、追い詰めていたのか……」

両親は今にも泣きだしそうな、悲痛な声を上げる。

だが今さら後悔してほしいわけではない。彼らを見て、私が感動することもない。

転生してから3か月。あくまでも目の前の2人は『ロゼ』の両親という意識は変わらなかった。

私の家族は、料理と編み物好きの母と、テレビが大好きな父と、数多くの漫画と乙女ゲームを布教してきた姉と、面倒見がいい兄の4人だ。

この先もきっとこの意識が変わることはないのだろう。

「生活が楽になるなら安い物です。というわけで部屋帰りますね」

洗面台でいいから頭を洗いたい。

ポリポリと首すじを掻きながら、この場の離脱を試みる。