作品タイトル不明
閑話・優しき月の光は彼女を照らした
異様なほどの静寂……いま大広間の注目は、唐突に表れたゴーレムと妖精に向けられており、ボスである男爵級高位魔族も目を大きく見開いて驚愕していた。
たった二体……だが、明らかに格が違う。なにせ、組織内でも戦闘能力に優れた側近ふたりが、文字通り瞬殺されたわけであり、この場の全員でかかったとしても一瞬で殺される未来しか見えなかった。
(ば、馬鹿な!? この圧、魔力……こ、こいつら……伯爵級……しかも、かなり上の方だろ!? ありえねぇ、なんでだ!? なんで、そんなクラスの化け物がいきなり現れやがる!?)
ボスの全身から汗が噴き出す。ボスは己の保身に対する嗅覚は鋭い、小悪党の集団として好き勝手をしながらも幻王や危険な存在に目を付けられないように細心の注意を払ってきた。
ボスは己の実力や組織の力に関して正確に把握している。自身が男爵級としても下限に近い辺りの戦闘力だとも理解していたし、先程アルシャに語った己の組織の分析も本心だ……子爵級高位魔族が本気で攻めて来れば壊滅する程度の力……伯爵級二体など、もはや戦いにすらならない。
恨みを買っている自覚もある。長い年月をかけてかなりの数の命を奪ってきたし、好き勝手に嬲った相手もいる。仮に法治国家の法に照らし合わせれば即座に死刑であり、それなりの恨みは買っているという自覚はあった。
だからこそ、こんなことにならないように……不意にこんな化け物が現れないように注意してきた。他の爵位級の縄張りを犯すような真似は一切していないし、襲撃をかける相手なども細かく調査して安全を確保していた。
誰かを殺す際などは特に慎重に交友関係を洗って、ヤバそうな伝手がある相手には己が恥をかいても逃げ一手を打つこともあった。
今回のアルシャの処分に当たっても、アルシャの関係者や知り合いは全て洗い直した。彼女の交友関係なども洗い直し、まともな友人もいなければ爵位級高位魔族の知り合いなどもいないということは調べてある。
だからこそ、こんなイレギュラーが起きるはずが……無い筈だった。
だが、そんなボスの焦りを嘲笑うかのように、事態はさらにボスの想像しえない領域へと進み始める。
リゲルとムジカの迫力に気圧され、後ずさった組織の構成員のひとりが壁を背にしたタイミングで……その壁を突き破って手が現れ、構成員の頭を掴んでそのまま力任せに床に叩きつけた。
それだけで壁の一部は砕け散り、床には小さなクレーターが出来上がる。
「……むっ? これは少し野蛮すぎたかな? これでは私がパワータイプに見えてしまうじゃないか」
「心配しなくとも、お前は元々パワータイプだ」
「おいおい、筆頭殿。私は魔法が得意な代わりに肉体は貧弱なことで有名なウィッチ族だぜ?」
「……ともすればシリウスよりも筋肉があるくせに、なにを言っているのやら」
壊れた壁から現れたのは、白いとんがり帽子を被ったウィッチ族の女性……ポラリスと、ところどころに甲冑のようなパーツが付いた服を着て巨大な杖を持ったツートンカラーの女性……イリス。両者ともに圧倒的ともいえるほど魔力を纏っており、ボスは思わず息を飲んだ。
「なっ!? し、死体が……がっ」
「ぐぁっ、な、なんだこのちか……」
だが、まだ終わらない……ポラリスが頭を潰した死体が突然起き上がり、近くにいた構成員ふたりの首を掴んで軽々と持ち上げる。
そして少ししてゴキッと鈍い音が聞こえたかと思うと、ふたりの首は折れてふたつの死体が地面に落ち……そして繰り返しのように、死体がスッと起き上がり他の構成員たちに迫る。
「く、くるなぁぁ」
「に、にげ――え?」
迫る死体に恐慌しながら構成員たちが逃げようとすると……直後に空間にいくつもの線のような光が走り……逃げようとしていた構成員も、追っていた死体も、近くにあった壁も細かく切り刻まれた。
「……まったく、相も変わらず趣味の悪い奴だ」
「死霊術師の前に死体を転がすなド、どうぞご利用くださいと言っているようなものだろウ? とはいエ、やはり素体が弱いと駄作にしかならんナ」
切り刻まれた壁から現れたのは、片手に剣を持った虫人型魔族のシリウスに、巨大な棺桶を担いだ黒いローブ姿のラサル……いずれも、圧倒的な魔力量と凄まじい圧を放っており、もはや大広間の者たちは状況を飲み込むどころか、まともに動くこともできなかった。
そしてそれに続くように、アルシャの背後の扉が勢いよく開き、白い十尾の獣人型魔族……ウルペクラとブルークリスタルフラワーの髪飾りが特徴的な精霊スピカが姿を現す。
「ここにいる以外の構成員の始末は終わったっすよ~」
「ウルが調べて、そこの子みたいに嫌々組織に所属してたり、罪悪感があってもう止めたいて思うてる子たちは保護しといたよ」
軽い口調で告げられる言葉に、ここに居る者以外の組織の面々も既に始末されていることを理解し、広場に居る者たちから血の気が失せる。
そして、イリスとポラリスが出てきた穴、シリウスとラサルが出てきた壁、ウルペクラとスピカが出てきた扉から次々に死王配下たちが現れる。総数にして40程度でありながら、いずれも爵位級と思わしき凄まじい魔力を放っており、あまりにも圧倒的な光景だった。
「……あ、お、俺も、嫌々……」
「わ、私ももう止めようと……」
「この広間に居る者は、最初にウルペクラが感応魔法で探っている……全員、アウトだ」
絶望的な状況だが、先ほどのスピカの言葉……組織を抜けたがっていたものは保護しているという言葉に一抹の希望を抱いたのか、広場にいた何名かが自分も組織を抜けようとしていたと同情を引き出すようなことを震える口で話そうとするが……それをイリスが冷たく切り捨てた。
「まぁ、なんにせよ、こちらも……終わりだ」
そう呟いてイリスがパチンと指を弾くと、広間に居たボスを除いた組織の構成員全員を足元から出現した黒い剣が串刺しにした。
その光景を信じられないというような表情で見つつ、ボスは心の中で戦慄していた。
(馬鹿な!? 馬鹿な……六連星だと!? だとすると、こいつらは死王配下……な、なんでだ!? 俺は間違っても、死王に喧嘩を売るような真似なんて……)
最初に現れたリゲルとムジカだけではすぐには分からなかったが、元々保身に熱心なボスはそれなりに情報通であり、イリスたちを見て死王配下の幹部であると即座に気付いた。
だが、ここは死の大地からはかなり離れた場所であり、死王陣営に関わる相手に手を出したような記憶もない。なぜ死王配下が、それも総出で現れるのかまるで理解できなかった。
だが、ひとつだけ絶望的な一点は異様なほど鮮明に理解できた。幹部に配下も総出で現れているこの状況……それで終わりとは思えなかった。否、終わりのはずがないと確信できた。
「にしても、本当に雑魚しかいなかったっすね」
「事前に分かっていたことだがナ。しかシ、こんな雑兵どもだとあの御方が直接手を下すのハ、むしろ栄誉と言えることだろウ。雑兵にそれはもったいなイ。我々配下が始末するのが当然ダ」
「うむ、その通りだ。そして……」
ウルペクラの言葉にラサルが答え、その言葉を引き継ぐようにイリスが口を開いたあとで、チラリとボスの方を向いて底冷えするような声で告げる。
「……よかったな。貴様は、栄誉を与えていただけるそうだ」
その言葉にボスは反応できなかった。滝のように汗が吹き出し、体は小刻みに震え続ける。いつの間にか、死王配下たちは綺麗に整列しており、それが意味するところはひとつしかありえなかった。
「……我らが王の降臨だ」
瞬間、世界が黒く塗りつぶされたかのような感覚を覚えた。ボスの実力は男爵級でも下限のレベルであり、最初に現れたリゲルとムジカの時点で彼にとっては、歯が立つ以前に戦いすら成立しないほどの格上である。
その後に現れた公爵級の六連星など、もはや比較するのすら馬鹿らしいほどに自身とは隔絶した強さの存在であると感じていた。
だが、そのふたつの経験を経て尚……あまりにも格が違った。
まるですべてが凍り付いたかのような感覚だった。先程まであれだけ震えていた体がピクリとも動かず、滝のように流れていた汗も一瞬で止まった。瞬きはおろか呼吸すらできない……この空間の支配者が、それを許していないから。
吐き気がするほどに濃厚な死の気配と、押しつぶされそうな魔力を纏い……魔界の頂点の一角、死王アイシス・レムナントが降臨する。
その赤い目が己に向けられた瞬間、ボスは頭や心ではなく魂で理解した。もはや己の命の権利は、自分の手を離れており、空間に君臨する絶対的な死の王の手中にあるのだと……己はただ、自身の処遇を通告されるだけであり、なんの行動を起こす権利もないのだと……。
そんなボスの耳に、静かに透き通るような声が聞こえてくる。
「……私は……世界で一番大切な人と約束した……無闇に殺すって言わないって……いまも……できるだけそれは……守っている」
それは、なんと表現するべきだろうか、塗りつぶされた地獄の中に一筋の光が見えたとでもいうべきか……そういえば、死王はとても慈悲深いという噂を聞いた覚えがある。もしかすれば、助かる道があるのかもしれないと……甘い思いが浮かぶ。
いつの間にか先ほどまで感じていた異様な圧を感じなくなっており、体にも重さはない……むしろ……なんの感覚もなかった。
「……だからもう……『殺した』」
たった一言、短くそう告げてアイシスは視線を切った。ボスに欠片の興味も抱いてないと言いたげに……。
そして、その一言と共にボスも理解する。なぜ、重圧を感じなくなっていたのか、なぜ体の感覚が無かったのかを……。
(あぁ、そうか……俺はもう死……)
己の命など、とうの昔に死の王が降臨した瞬間、明確な殺意の籠った死の魔力に触れた時点で終わったいたのだと……それを理解するとともに、ボスの思考は止まり、体は糸の切れたマリオネットのように力を抜く。
そして、まるで砂のようにサラサラと体が崩壊し始め……数秒の後には、もはやボスと呼ばれた男の存在は……一欠片すらこの世に残ってはいなかった。
その光景を、アルシャは唖然とした表情で見つめていた。まるで現実味が無いというか……なぜ、この場にアイシスが現れたのかまるで分らなかった。
アイシスはアルシャの方を振り向くと、先ほどまでの王としての威厳に満ちた表情を崩し、優し気な微笑みを浮かべた。
「……大丈夫?」
「……ぁっ……な、なんで……」
頭の中がぐちゃぐちゃで、なにを言っていいか分からなかった。お礼を言うべきなのか、質問をするべきなのか、謝罪をすべきなのか、分からないままで口を突いて出たのは疑問の言葉だった。
理解ができなかった。相手は魔界の頂点の一角であり、己程度がまともに話せるような相手ではない……それがなんでこんなところに来てくれたのか……心の奥がずっと痺れるように震えていて、感情が上手く定まらない。
「……助けてって……言ってたから」
「ッ!?」
たったそれだけの理由……あの時に、アルシャ自身ですらどうして零れたか分からない言葉。なにから助けて欲しいのか、どう助けて欲しいのか、アルシャ自身にすら分からなかった縋るような言葉……そのたった一言のために、彼女は……アイシスは己を助けに来てくれたのだと……それを理解した瞬間、胸の奥の痺れは体全体に広がり、ポロポロとアルシャの意志とは関係なく涙となって零れ始める。
「……そんな……だって私は、駄目で、価値も無くて……そんな資格――え?」
己がこの状況に陥ったのは自業自得であり、自分にはなんの価値も無くて、六王に救ってもらうような資格は無いと、涙を溢しながら呟くアルシャの体を、アイシスはそっと優しく抱きしめた。
包む混む様な温もりが広がり、感情がぐちゃぐちゃになっていく中……優しい声だけが聞こえた。
「……貴女は少し……昔の私に似てる……他の誰よりも……自分で自分を傷つけちゃってる……辛いよね? ……大丈夫……貴女は決してひとりぼっちじゃない……誰かに助けを求めてもいい……誰かに甘えてもいい……救われて……いいんだよ」
「ぅぁっ……あ、ぁぁ……ああぁぁぁぁぁ!?」
心の奥でなにかが決壊したような気がした。誰も助けてくれないと思っていた。己には価値なんかなくて、声を上げたところで誰の耳にも届かないと……自分でなんとかしなくちゃいけないと……ずっとそう思っていた。
でも、目の前のアイシスは来てくれた。たった一言、アルシャが溢した言葉を理由に……彼女が訳も分からず伸ばした手を握ってくれた。
あの時は、どうしてそんな言葉が零れたのか、なにから助けてほしかったのか分からなかった。だが、いま、アルシャははっきりと確信していた……「救われた」と……。
彼女の居る場所は、決して地の獄と呼べる場所ではなかった。さりとて、日の当たる場所でも無かった。
太陽は彼女を照らさない。しかし……優しき月の光は……暗闇で嘆く彼女の心を確かに照らしてくれた。