作品タイトル不明
悪戯娘の家路
暗い窓の奥に仔犬の姿を見つける。
コクまろも私に気が付いたようで、立ち上がって尻尾をパタパタと振っていた。
このままこの窓に入れば、家に帰れるのだと確信できる。
「……猫さん、猫さん」
よし、帰ろう。
そう思って窓に手をかけたのだが、ふと気が付いて思いとどまる。
この窓へと辿りつくまでに、この一年で出会い、見送った人物が何人も自分を追い立てに来てくれていたのだが、その中には一番に来てくれてもいいはずの人たちがいなかった。
「わたしのお父さんたちを見ませんでしたか?」
そう聞いてみると、猫たちが両肩から下りる気配がする。
窓のむこうへ付いてくる気はないが、答える気もないのだろう。
肩が軽くなったのだが、猫たちからの答えはなかった。
「お父さんたち、なんで来てくれなかったんだろ?」
この一年の間に死んだ者たち、と青年は言っていた。
現に、両親と同時期に死んだダルトワ夫妻は一番に私を追い立てに来てくれている。
ということは、私の両親もこの世界のどこかにいるはずだ。
なのに、両親の声も、気配も、私はまだ感じていなかった。
「お父さんたち、わたしが嫌いだったのかな?」
気が付いてしまった可能性に、キュッと鼻の奥が痛くなり、忙しく瞬きをする。
今さらながらに滲んできた涙を零すのが情けなくて、嫌だ。
どうにか気をそらせないものかと前髪を引っ張ったり、フードの端を引っ張ったりと繰り返し、涙を堪える。
ここで子どものように大泣きをしたら、両親は自分を見つけてくれるだろうか。
「はやく かえる」
「いぬ まってる ほかにも まってるひと いる」
猫たちに早く帰れ、と背中を押された途端、私の中で 天邪鬼(あまのじゃく) なスイッチが入った。
子どもの我儘とも言うかもしれない。
癇癪だろうか。
生まれてこの方、感じたことのない衝動だった。
窓を掴んでいた手を離し、その場へと座り込む。
こうしてしまえば、猫の小さな力では窓の中へと私を押し込むことはできない。
なんだか拗ね方まで本当の子どもみたいだ、と頭の片隅で考えて、思い直した。
今の私は子どもなのだから、拗ねることだってある、と。
むしろ、これまでがいい子すぎたのだ、とも思った。
……や、拗ねてる場合じゃないってのは、解ってるんだけどね?
早く帰りなさい、と猫たちに背中を押されるたびに心が 頑(かたく) なになっていくのだ。
両親が会いにくるまでここを動かないぞ、と変に腹を決めてしまった。
今は帰らないと心配する人がいるだとか、レオナルドがまた一人になるだとか、これまで当たり前に出来ていた理性的な判断ができない。
とにかく、両親が会いに来てくれなかった、という事実だけに 捉(とら) われて、全てを棚に上げて考えることを放棄した。
どれだけ座り込んで拗ねていたのかは判らない。
それでも少しだけ落ち着き、涙も引っ込んだ。
億劫ではあったが、腰をあげて窓へと片足を入れる。
拗ねて暴れても、最後にはこうして取るべき行動をとることができるのだ、と少しだけ悲しくなった。
やはり私は普通の子どもではないのだ、と。
「それじゃあ、わたしはそろそろ帰りますね。猫さんたち、ここまで送ってくれてありがとうでした」
最後にちゃんとお礼を、と振り返り、後悔した。
これは確かに『振り返ってはいけない』と注意する。
あの青年が『帰りたくなくなる』と言ったのも嘘ではない。
「お父さん、お母さん」
振り返った先には、父と母がいた。
先ほどまでは猫たちが立っていたので、もしかしたら二匹は最初から両親だったのかもしれない。
そう気づいてみれば、猫たちの目は両親の髪と同じ色をしていた。
「早くお帰り」
思わず体を捻って窓から抜け出そうとすると、父に止められる。
ならば、と手を伸ばせば母が手を握ってくれた。
記憶にあるよりも、少しだけ母の手が小さくなったような気がする。
「……こんなに早く死んじゃって、ごめんね」
もっとずっと一緒にいる予定だったのに、と母が泣く。
母の涙を止めたくて、握られていない方の手を母の頬へと伸ばした。
「わたしの方こそ、普通の子どもじゃなくてごめんなさい」
両親が生きているうちは、最後まで言えなかった言葉がするりと出てくる。
前世の記憶があったせいで、私はおかしな子どもだっただろう、と。
「いっぱい愛してもらったのに、わたしからはちゃんと愛せてなかった気がする」
「愛に形なんてないのだから、『ちゃんと』なんてないよ」
「ティナはティナなりに、私たちを親として愛していてくれたわ」
父に頭を撫でられて、我慢できずに窓から離れる。
両手を伸ばして両親を抱きしめれば、両親は困った顔を作りながらも私を抱きしめてくれた。
「父さん、母さん、だいすき」
愛しているだなんて、照れくさくて言えない。
元・日本人の私には、自然に出てくる言葉ではないので、どうしたって嘘くさく感じる。
だから、口に出来る一番簡単な言葉にした。
大好き、と心を込めて両親を抱きしめながら大きく息を吸う。
鼻腔いっぱいに懐かしい両親の香りを吸い込んでから、たっぷり時間をかけて両親から離れた。
ちゃんと逢いに来てくれたのだから、駄々をこねてもいられない。
「なんだか、ますますレオに逢いたくなってきちゃった」
すんっと一度鼻を鳴らし、両親に背を向ける。
これ以上二人に甘えていたら、本当に帰れなくなってしまいそうだ。
「わたしの家族はあとレオだけだからね。親孝行はもうできないから、兄孝行がんばります」
コクまろの待つ窓へともう一度入ろうとして、首を傾げる。
この窓が家へと続く窓だという確信はあるのだが、私が入りたい窓はこれではない。
コクまろがいるし、白い灰の道は続いているのだが、レオナルドの匂いがしないのだ。
「……この窓、違う。レオの匂いがしない」
くんくんっと、泣いたせいか少し詰まった鼻で匂いを嗅ぐ。
犬ほど良い鼻はしていないが、この窓ではないと確信していた。
「あっちの窓からレオの匂いがする!」
微かな匂いを拾い取って指差すと、背後の母が慌てるのがわかる。
目印のある家に帰りなさい、と。
「いつも仕事優先なレオを、たまには驚かせてあげないと」
薄い胸を張ってそう言い切ると、父が「ティナは意外にお転婆だ」とレオナルドが言っていたと言い出した。
自分たちの前ではそんな素振りなど、まるで見せなかったのに、と。
一体いつレオナルドと父が話しをする機会などあったのだろうか、と思って聞いてみたら、慰霊祭でレオナルドが私の近況としていろいろ話したらしい。
……次にあったら泣かしてあげます。
これはどうあっても目印のある窓ではなく、レオナルドの匂いがする窓へと入らねばならない。
決意を新たに窓へ手をかけると、両親は私を止めることを諦めたようだ。
子どものすることだ。
親や保護者は少し困らせられるぐらいで丁度良いのだろう、と。
「さようなら、私たちのティナ。来年からはちゃんと仮装をして、精霊に攫われないようにね」
「レオナルドに心配をかけるのもほどほどに。あと最低五十年は顔を見せに来るんじゃないぞ」
愛している、と言葉を結び、両親の手に背中を押された。
くしゅんっと自分のくしゃみで目が覚めた。
くしゃみの風圧で白い灰がふわりと舞い広がる。
……あれ? ここどこ?
ふわふわと舞う灰が落ち着くのを待って体を起こすと、周囲は真っ暗だった。
ただ、隙間から明かりが差し込んでいるおかげで、なんとか辺りを確認することはできる。
……狭いよ?
両手を伸ばすことができないので、もしかしたら一メートルもないかもしれない。
体の向きを変えてもう一度腕を伸ばしてみたら、今度は少しだけ腕が伸びる。
どうやら長方形の小さな部屋に閉じ込められているようだった。
恐るおそる立ち上がると頭が天井に当たる。
膝立ちはできるか、立ち上がることはできない狭い空間だ。
……寒いっ。
くしゅん、ともう一度くしゃみが漏れて、寒さを感じた。
幸いなことに外出中であったため、厚手のコートも手袋もしている。
靴にも袖口にも毛皮が使ってあるので、じっとしていればすぐに空気が温まって寒さはしのげるだろう。
……せまいなぁ。
ちょっとした悪戯心だったのだが、すでに後悔していた。
こんなことならば、父と母の言葉に従って素直に目印のついた窓に入っていれよかったかもしれない。
……窓? 窓って、なんだっけ?
はた、と思考に疑問が生じる。
この場にいるのは自分の悪戯が原因だったはずだが、何をどうしてこの狭い部屋に入り込んだのかが思いだせない。
……そういえば、あの人が言ってた目隠しって? あれ?
あの人とは、誰のことだっただろうか。
なんだかすごく幸せな夢を見ていたと思うのだが、その内容が思いだせない。
思いだそうと考えれば考えるほどに、記憶が底へと沈んでいくような不思議な感覚がある。
そして、思いだそうとする記憶の代わりに浮上してきたのが、近頃ようやく落ち着きかけていたホームシックだ。
寂しいという気持ちが奥底から湧き上がってきて、いても立ってもいられなくなってくる。
……そうだ、レオに逢いに来たんだ!
ポンっと思いだせた事柄に、ほんの少しだけ不安が和らぐ。
それからすぐに、再び首を捻ることになった。
……あれ? なんでレオ? いつもはレオナルドさんって呼んでたよね?
自然に『レオ』と考えていたが、いつもは『レオナルド』だった。
何かおかしい。
なにか突然呼び方を変えるようなことがあっただろうか。
……うんん? でも、レオナルドさん、って方がなにか不自然なような?
家族なのだから、『さん』を付けるのは何か変だ。
そうは思うのだが、何故これまでの私はレオナルドを頑なに『レオナルドさん』と呼んでいたのだろうか。
答えがわからずに延々と考えているうちに、少しずつ不安になってきた。
暗くて狭い部屋に閉じ込められているのも、不安を感じる原因かもしれない。
そもそもここはどこなのだろうか。
「あれ? 開かない?」
隙間から光が入って来ているので、扉だと思うのだが、押してみても扉は微かに揺れるだけだ。
古典的だが、押してダメなら引いてみろ、と手袋を外して爪を引っ掛けてみるが、扉が開く様子はない。
ならば横にずらしたらどうか、とやってみるのだが、指が滑るだけに終わった。
とりあえず判ったことは、扉が鉄製であるということだけだ。
「え? なんで? わたし、自分でここに入ったんじゃないの?」
押しても引いても動かない扉に、落ち着き始めた不安がまたざわめく。
「バルトさんっ! タビサさんっ! 開けてーっ!!」
外にいる誰かに気づいてもらおうと力いっぱい扉を叩くのだが、鉄の扉は私の打撃を吸い込んだ。
ぺちん、ぺちんっと軽い音がするが、外へはとてもではないが聞こえていないだろう。
うんともすんとも言わない鉄の扉に、私の心細さに火がついた。
「レオー! 開けてーっ! レオーっ!!」
わんわんと泣きながら扉を叩く。
悪戯でこの部屋に入ったことは覚えている。
ということは、もしかしたら私は悪戯をした罰でこの部屋に閉じ込められているのかもしれない。
そう頭の中で繋がった。
「もう悪戯しないからーっ! いい子になるから、出してよーっ! レオーっ!!」
レオナルドの名を呼んで、とにかく謝りながら扉を叩く。
自分が何故この部屋に閉じ込められているのか、泣けば泣くほど判らなくなってきた。
「レオーっ!!」
何度レオナルドを呼んだかはわからない。
カチャっと小さな金属音が聞こえたと思ったら、 蝶番(ちょうつがい) の軋む音がして隙間から差し込む光が太くなった。
どうやらやっとこの罰が終わるらしい。
「……レオ?」
キィっと音を立てて開かれる扉に、奥にはレオナルドの顔が見えるのだろうと思っていたのだが。
扉の向こうに見えたのは、見知らぬ男の白い顔と死んだように表情のない赤い瞳だった。