軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

源五郎

1565年夏

南蛮人との会見から数日後、今度は古き権威が氏真の元を訪れた。比叡山延暦寺の僧侶たちである。彼らの主張は、相も変わらず同じことであった。

「寺の力を奪うな。我らの生存権を揺るがすな」

氏真は内心でため息をついた。前にもあったな、こんなこと。既得権益にしがみつく者たちの言葉は、どこに行っても同じ響きを持つ。

「すでに他の多くの寺は、我々のやり方に協力をしてくれているのだがな」

氏真は呆れたように僧侶たちを見下ろした。

「勘違いをしては困る。私は寺の力を奪うなどとは一言も言っていない。寺が抱え込んでいた面倒事を引き受けようと言っているのだ」

寺はこれまで、民の戸籍を管理し、貧者への施しを行い、周辺の治安を維持し、子供たちへの教育を担ってきた。

「そのどれもを、私は寺に禁止などしていない。やりたければ今まで通りやればいいではないか。ただ、今川も行政としてそれをやると言っているだけだ。そなたらの施しや教育が真に民から求められているのであれば、胸を張って続ければ良いだけの話だ」

氏真は扇子で膝を叩いた。

「現に、他の寺はそのような実務や面倒事から解放され、本来の目的である修行に集中し、己を鍛えることに心血を注いでいると喜んでいるぞ。わざわざ天下の延暦寺だけが、俗世の実務に追われて疲弊することもあるまいと思うのだがな」

僧侶たちは顔を真っ赤にして反論しようとするが、氏真はそれを手で制して言葉を重ねた。

「それともなんだ? そなたらは、仏の教えだけでは生きていけないほど、自分らの教えに価値が無いと自白しているのか?」

痛いところを突かれ、僧侶たちの動きが止まる。

「金貸しや関所の通行料などという、悪どい小銭稼ぎをしなければ、飯も食えないほど仏の道は貧相なのか? 天下の延暦寺が、まさかそんなわけはないだろう。真に民から必要とされ、教えが求められる限りは、今川がその誇り高き信仰を庇護することを約束しよう」

氏真の言葉は、敬意を装いながらも、その実、延暦寺の腐敗を徹底的に皮肉るものであった。

「だが」

氏真は目を細め、冷酷な光を宿した。

「そなたらがいつまでも無為な意地を張り、銭に執着して仏の教えを冒涜するというのであれば、話は別だ。比叡山の門前に、今川公認の巨大な市場でも開くしかあるまいな。民の生活のために。…もし、そなたらがそう望むのであればな」

門前に自由市場を作られれば、延暦寺が牛耳っていた座や関所の利益は完全に消滅する。それは経済的な死刑宣告に等しい。僧侶たちは返す言葉を失い、屈辱に震えながら引き下がっていった。

どこかで彼らが我慢の限界を迎え、蜂起するのか。それとも、今川の強大な経済力と理の前に、反抗が無駄であると悟り、純粋な宗教施設として生まれ変わるのか。見ものだな、と氏真は一人ほくそ笑んだ。

南蛮の新たな神も、比叡山の古き仏も、等しく今川の掌の上で踊る駒に過ぎない。天下の理は、確実に氏真の描く軌道に沿って回り始めていた。

1565年秋

その日、小姓であり諜報班にも属している真田昌幸が、氏真の元を訪れた。

「殿、折り入って…お話がございます」

普段は飄々としており、若年ながらも感情を顔に出さない彼が、ひどく憔悴した表情を浮かべていた。目の下には隈ができ、唇は血の気を失っている。ただ事ではないその様子に、氏真は思わず気圧された。

「どうした、源五郎。顔色が悪いぞ。座れ」

氏真は彼を促し、話を聞くことにした。

昌幸には、京の公家たちと関係を築き、彼らの庇護を通じて京の安定に尽力させるという重要な任務を与えていた。持ち前の機転と人懐っこさを武器に、彼は公家社会に深く潜り込んでいたはずである。

「実は…京での潜入先にて、深い罪を犯してしまいました」

昌幸は震える声で語り始めた。潜入先において、彼はある女性と懇意になり、京の裏事情を探っていたという。その女性は、元は没落した武家の出であったが、縁あって公家の養女として引き取られていた。

「その女とやり取りを続けるうちに、任務を越えて心が惹かれてしまい…あろうことか、私の子を身籠ってしまったのです」

昌幸は畳に両手をつき、顔を伏せた。

「私は今川の人間として近づきながら、勝手に感情に流され、御家の大事な仕事を放り出して彼女を孕ませてしまいました。これは細作としてあるまじき失態。責任を取って自ら腹を切るか、出家して山奥にでも隠遁しようと存じます。…殿に救っていただいた命。このような身勝手な理由で失うこと、大変申し訳なく存じます。未熟な私に期待してくださった殿に、合わせる顔がございません…」

そう言うと、彼は顔を覆い、ぐずぐずと泣き崩れた。あの怜悧な真田昌幸が、である。

「そういうことか」

氏真は腕を組み、静かに口を開いた。

「源五郎、そなたには公家の娘と関係を持ち、懐に入り込めという任務を与えていたな。その任務を忠実に務め、あろうことか次代の宝までこさえるとは。恐れ入るほどの手腕だな」

「…は? 殿、なにを…?」

昌幸は涙で顔を濡らしたまま、ぽかんとした表情で私を見上げた。

「婚姻は、半年前にすでに済ませていたことにしよう。そうすれば、子を成す時期もそれで何ら問題なかろう」

氏真は扇を開き、口元を隠して笑みを浮かべた。

「そこまで身体を張って任務に取り組む姿勢、実に素晴らしい。大儀であった」

「と、殿…? お怒りではないのですか? 私は任務を私情で歪め…」

「私情? 人が人を想うことの何が悪い。ましてや相手は公家の縁者。むしろ今川と京の結びつきが強固になる、喜ばしいことではないか」

氏真は姿勢を正し、彼を真っ直ぐに見据えた。

「実はな、左京亮が遠からず別の重要な任務に就くよう準備を進めている。源五郎、私の元で学んだ政の理と、信忠の元で学んだ裏の技術を活かして、私の諜報関係の側近として務めるが良い。…言っておくが、そなたに拒否権は無い。わかったな」

「はい…。はい…! ありがたき幸せに存じます…っ!」

昌幸は再び畳に額をこすりつけた。

「殿には、二度までもこの命を救わせてしまい…誠に、申し訳ありませぬ…」

「源五郎、私が求めているのは謝罪ではないぞ」

氏真は厳しく、しかし温かみを持たせて言い放った。

「その娘を幸せにし、腹の中の宝を守り、そして世のために死に物狂いで働くことを誓うがよい」

昌幸は顔を上げ、涙を拭い、そして武士としての鋭い眼光を取り戻した。

「はっ。真田源五郎昌幸。殿のため、今川のためならば、いかなる泥にまみれる仕事もやらせていただきます」

かくして、富士信忠が間もなく紙幣製造の責任者として駿府を離れる予定であるため、入れ替わりで昌幸が氏真の側近として取り立てられることとなった。

己の命すらも手駒として使い、人を欺き、そして人を活かす。後世に表裏比興の者と呼ばれる諜報の鬼が、今川の翼として真の産声を上げた瞬間であった。