軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

異国

1565年夏

富士札の構想が熱を帯びる中、駿府には国外からの使者が相次いで訪れていた。その日、対面所に通されたのは、海を越えてやってきた大国・明からの使節団であった。彼らは煌びやかな絹の衣を纏っていたが、その態度はどこか尊大で、鼻につくものがあった。

「日ノ本もようやく戦乱が収まり、安定の兆しが見えつつあると聞き及びました」

使者の代表は、通訳を介して仰々しく切り出した。

「しかし、我ら大明国は、貴国の海賊…いわゆる倭寇の略奪に大変手を焼いております。貴国に日ノ本を平定するだけの武力があるのならば、直ちに彼らを討伐し、海上の安全を保障していただきたい」

随分と上から目線な物言いである。氏真は心の中で冷笑した。

「使者殿。いささか事実誤認があるようだな」

氏真は静かに、しかし威圧感を込めて言い放った。

「倭寇とやらが跳梁跋扈しているのは、主に西の海…九州や中国地方の沿岸であろう。我が今川の版図は畿内までであり、西国は管轄外だ。私が持たぬ土地の治安まで責任を負えというのは、いささか無理筋というものではないか?」

使者は予想外の反論に眉をひそめたが、氏真は構わず続けた。

「それに、だ。そちらが純粋に真っ当な貿易を望むというのであれば、わざわざ倭寇の巣食う西の海路を使う必要はなかろう。若狭の敦賀や、加賀、能登の港を使えば良い。我が今川が整備した安全な航路と陸路が、そこから京、そして駿府まで通じている」

氏真は茶を一口啜り、余裕の笑みを浮かべた。

「そもそも、我が国が明から仕入れねばならぬ物など、今やほとんど無いのだよ」

使者の顔色が変わった。かつて日ノ本は、明からの輸入品に大きく依存していた。だが、今は違う。

「火縄銃に不可欠な硝石は、南蛮から大量に入ってきている。高級な絹織物も、領内で養蚕を大々的に奨励した結果、十分な質と量を確保できた。茶器に至っては、我が国独自の美意識による国産品が至高とされ、明の焼き物の価値は大きく下落している。今や、明からわざわざ買い求めるものと言えば、一部の古書や名画くらいのものだ」

つまり、今川としては明から買うものよりも、明へ売るものの方が圧倒的に多い状況なのだ。

「そちらは我が国が産出する上質な刀剣や硫黄、銅を喉から手が出るほど欲しているのだろう? これらはすべて、今川の領内で十二分に生産できている。買いたいなら安全な港へ来ればいいし、倭寇に文句があるなら直接西の連中に言えば良い」

氏真は扇をピシャリと閉じた。

「そちらがそのような礼儀知らずの態度で我が国に要求を突きつけるというのなら、こちらとしては一切の取引を禁じても一向に構わんのだぞ」

氏真の最後通牒に近い言葉を通訳から聞かされた瞬間、使者たちは顔面を蒼白にさせ、慌てて平伏し、謝罪の言葉を口走った。大国の威光など、圧倒的な経済的優位の前では張り子の虎に過ぎない。

「頭を冷やし、礼儀を学んでからまた出直してこい」

氏真は彼らを一蹴し、対面所を後にした。

事前の調査によれば、明は日ノ本との対外貿易において慢性的な赤字に陥っているらしい。明の主要な通貨は銀である。かつて明が発行した貨幣の信用が崩壊し、税の徴収を銀に一本化した結果、海外からの銀の流入量が安定せず、国内の物価が激しく乱高下しているのだという。

氏真は執務室に戻りながら、ある壮大な計画を巡らせていた。

「富士札が完成し、領内で十分に流通するようになった暁には…明との貿易も、富士札での取引しか認めないことにしよう」

あちらの商人には銀を持ってこさせ、今川の両替所で富士札に換えさせる。そして、その富士札を使って日ノ本の品を買わせるのだ。逆にこちらが明の品を買う時も、支払いは富士札で行う。

こうすれば、日ノ本の貴重な銀の国外流出を完全に防ぐことができるだけでなく、明が持ち込んだ銀を今川が吸収し、富士札の裏付けとなる準備金として蓄えることができる。

さらに、巨大な大陸の商人が富士札を使うようになれば、その信用は国境を越え、爆発的に高まるだろう。

大陸の経済すらも、今川の、理の紙切れに依存するようになる。誰も無下にはできまい。夏の青空の向こうに、氏真は果てしない銭の帝国の姿を幻視していた。

南蛮から日ノ本に渡ってきていた宣教師、ルイス・フロイスが氏真に謁見を求めてきた。

目的は明確である。南蛮からの様々な品や、彼らが提供できる技術を披露する、いわば売り込みの場だ。

そして、その見返りとしてキリスト教の教えをこの日ノ本で布教する許可を与えてほしい、というものであった。

まず、貿易に関して氏真は非常に前向きであった。明との交易とは違い、南蛮人が持ち込む品の多くは、現在の日ノ本では到底作れないものや、珍しいものが多い。

特に目を引いたのは、滑らかで美しい象牙の細工物や、ラシャと呼ばれる分厚く丈夫な毛織物である。これらは間違いなく、富裕な商人や武将たちの間で高値で取引される目玉商品となるだろう。技術面でも、航海術や天文学など、吸収すべき知識は山のようにある。

「南蛮との交易は大いに歓迎する。だが、今は石山に大規模な集積所と、大型船が停泊できる新たな港を建設している最中だ」

氏真はフロイスに対し、丁寧に、しかし主導権を握ったまま告げた。

「その港が完成すれば、南蛮の船を大々的に迎え入れる準備が整う。それまで少し待ってほしい。一旦は石山だけで交易を始め、そこで互いの信頼を築いた後、徐々に他の港を開くかどうかを決めよう」

フロイスは恭しく頷いた。彼らもまた、強力な権力者の庇護が不可欠であることを理解しているのだ。

「それと、フロイス殿とはもっとお近づきになりたいと考えている。遠き南蛮の文化や技術、世界の話をもっと聞かせてほしい。ついては、この堺の町に貴殿らのための屋敷を用意しよう」

氏真は笑顔で提案した。

「そこで今川の兵が周辺を守り、安全な暮らしを約束する。心ゆくまで日ノ本を堪能してくれ」

フロイスは「デウスの導きだ」と喜んだ。だが、当然ながらただの厚意ではない。氏真が用意する屋敷には、あらかじめ周到な細工が施される予定だ。壁の裏や天井裏には人が潜める空間を作り、盗み聞きや盗み見が容易にできるよう設計させる。

南蛮という得体の知れない勢力の動きを、逐一監視できるようにするための巨大な鳥籠である。

そして、布教について。

「教えを広めること自体は、好きにすれば良い」

氏真の言葉に、フロイスは目を輝かせた。

「民がその教えを求めるのであれば、それだけ貴殿らの教えに価値があるということだ。人の心の中にある信仰にまで、私は口を出すつもりはない」

そこまで言ってから、氏真は声の温度を急激に下げた。鋭い視線でフロイスを射抜く。

「しかし、だ。教えを盾にして民を唆し、土地を奪い、あるいは我が国の政に関与しようとする動きを見せたら…その時は容赦しない。すべての教えを即座に禁じ、教会ごと燃やし尽くす。そのことだけは、しかと心に刻んでおけ」

通訳を介してその真意が伝わると、フロイスは青ざめ、深く首を垂れた。

「しばらくは、この国の文化に慣れるといい」

そう言って、氏真は対談を終えた。

さて、キリスト教はこの地で広まるだろうか。 氏真は、おそらく難しいだろうと推測していた。特に、彼らが最初に拠点とするであろう石山周辺においては。 かつての石山での大虐殺、そして一向一揆の惨劇。この地の民は、神仏に救いを求めることそのものに嫌気がさしているのだ。

彼らが求めているのは、死後の世界における魂の保証ではない。確実な今日の飯である。見えもしない極楽浄土や天国よりも、清潔で暖かな寝床なのだ。

宗教に対する忌避感が最も強いこの石山の地で、もしキリスト教が流行るようなことがあれば、それはそれで彼らの教えが本物だということになる。

氏真は、彼らがどう動くか、高みの見物を決め込むことにした。