作品タイトル不明
130 パスカルと作戦会議
「ふぅ……」
アリアベール・ワンの紅茶を一口飲み、息を吐く。
格調高い香りが鼻や口から抜けるのが心地いい。まるで香りを吐くドラゴンになった気分だ。
オレは前世ではタバコをやらなかったけど、タバコ吸ってる人はこんな気分だったのかな?
「おいしかった……」
知らず知らずのうちにそう呟いて、スコーンの消えてしまった小皿を見てしまう。
スコーンがこんなにおいしいと感じたことは初めての経験だ。
スコーンの焼き加減もよかったが、特にジャムがおいしかった。
オレの舌が確かなら、梨のジャムだと思う。この国では、前世で言うところのラ・フランスに似た梨が栽培されてるのだが、このジャムが格別だった。
主張しないが、しっかりと下から支えてくれるスコーンの香ばしさ。トロトロ絶品の梨のジャム。そして、アリアベール・ワンの紅茶。すべてが調和していた。
前を見れば、パスカルが優しい笑みを浮かべてオレを見ている。
「どうです? 気に入っていただけましたか?」
「ああ。気に入ったよ。すごくおいしかった」
今度、アリスも連れて来よう。きっと喜んでくれるはずだ。
アリスのことを考えると切なくなる。前回学園に行った時は会えずじまいだったからね。アリスニウムが足りていないんだ。
予想外にくつろいだ時間を共有した後は、お待ちかねのスーパー銭湯計画の発表である。王都の商人として良識を持っているパスカルに受け入れてもらえるかどうか。緊張の一瞬だ。
「では、オレの考えている計画を話そうと思う」
「拝聴いたします」
パスカルの顔がにこにこの気の良いおじさんから真剣なものに瞬時に変わった。
「オレはあの地に、大きなお風呂、銭湯を作ろうと思っている。主なターゲットは、ダンジョンから帰ってきた冒険者や、職人街で働く職人たちだ」
「他にも、貴族の文化を体験してみたい者たちが狙い目ですね。また、下級貴族の中には自前のお風呂を持っていない場合がありますので、お忍びでご来店なさる可能性もあります」
「なるほど」
やっぱりパスカルを雇って正解だった。一人では考え付かないところも、パスカルが商人としての意見をくれるので、だいぶ助かる。
オレもこの世界にだいぶ馴染んだとはいえ、やっぱり常識知らずなところがあるからね。そこをパスカルに補ってもらいたい。
「私としては、ジャック様が主なターゲットを冒険者や職人にしていることに少し違和感を感じます。彼らが貴族文化について興味を持つことがあるのでしょうか? 私にはそうは思えなくて……」
パスカルは、銭湯のことを庶民的な入浴施設ではなく、貴族文化の体験施設として捉えているようだ。
たしかに、王都でも高級宿に分類される『優しい止まり木』にもお風呂はなかった。この世界でのお風呂は、それこそ貴族などのかなり限られた者しか楽しめない贅沢なのだろう。
まぁ、普通に考えれば大量の水を用意するのも大変だし、その水を温めるために薪がどれだけ必要かもわからないくらいだ。それだけお金がかかることを考えれば、お風呂など狂気の沙汰に違いない。
パスカルに言われてハッとする思いがした。
オレは、運動や仕事をした後は汗を流したいし、お風呂に入ってゆっくりくつろぎたいと思う。それは普遍的なことだと思っていたし、この世界の人間も同じことを思うはずだと思っていた。
でも、この世界の平民のほとんどは、お風呂に入ったことがない。せいぜいお湯で濡らした布で体を拭くくらいだ。
つまり、平民のほとんどが、お風呂の気持ちよさを知らないのである。
これはオレにとって盲点だった。お風呂イコール気持ちいいの図式を知らない人間がいるとは思わなかった。
これでは、オレの当初予定していた施設にはならない。
「パスカルってお風呂入ったことある?」
「さすがにないですね。大商会の商会長になれば、お風呂を持っていることもありますが……」
「お風呂に入ってみたいと思う?」
「そうですね。興味はあります。これから自分たちの商品になるものですし、体験しないことにはお客様にその良さをお伝えすることができないとも思っています」
「お風呂にはどんなイメージがあるだろう?」
「やはり、豪奢なイメージですね。もし、お風呂に入ることがあれば、自分が貴族になったような気分になるのではないでしょうか?」
「ふーむ……」
やっぱり、お風呂に対する認識にズレがある。しかも、かなり大きなズレだ。
たしかに、もし今の状態で銭湯を始めたら、冒険者や職人はお客さんにはならないかもしれない。パスカルの疑問もわかる。
でもなぁ。お風呂の気持ちよさを王都の民たちに口で伝えても、ピンとこないに違いない。
実際に体験してもらうしかないだろう。
これは追々考えるとして、まずはパスカルにオレの考えをすべて伝えてみよう。
なぜなら、オレが作ろうとしているのは単なる銭湯ではない。スーパー銭湯なのだから。