作品タイトル不明
129 ロジェの店
「こちらになります」
パスカルに案内されたのは、石造りの古風なカフェだった。
カフェを形作る石は風化して角が取れて丸みを帯びており、その上から蔦が絡まって緑に染まっている。店の入り口には小さな庭があり、草花が太陽の光を浴びてキラキラ輝いていた。
なんだか、都会に急に現れたオアシスのようなコンセプトのお店だ。案内された先にあるドアは色褪せた鈍い輝きを放っており、長い年月を過ごしていることを物語っていた。
「素敵なお店だね」
「店主が聞いたら喜びそうですね。では、中に入りましょうか」
「ああ」
ドアを開けると、チリンチリンと涼やかな音が出迎えてくれた。
お店の中は、香しいお茶の匂いとレトロな雰囲気で統一された家具たちで溢れていた。
ちょっと違うかもしれないけど、コンセプトカフェみたいな感じなのかな?
見渡すと、他の客の姿がちらほらと見える。
流行っているわけではないが、それなりに知られた隠れ家的な喫茶店なのだろう。
そんなことを思っていると、落ち着いた雰囲気の腰の伸びた老人が現れる。
「パスカルさんではありませんか。お久しぶりですね」
「お久しぶりです」
老人とパスカルは顔見知りらしい。
当たり前か。ここはパスカルが紹介してくれたお店だし。
「先代のことは残念でしたね。私たち、レーヌ商会さんに縁のあった者たちもどれほど肩を落としたことか……。ですが、安心しました。パスカルさんがここにいらしたということは、ついに商売を再開させるのですな?」
「はい。その節はご心配おかけしました……」
「いえいえ。レーヌ商会さんへの恩を思えば。私たちはいつでもお力添えいたします」
喜色を浮かべる老人と、ちょっと決まりが悪そうな顔をしているパスカル。
オレにはよくわからないが、二人には長い時間を共にしてきた者たち独特の連帯感があった。
その時、老人の目がオレを捉える。
「おっと、私としたことが。いらっしゃいませ。パスカルさんのお客様ですかな? 私はこの店の店主のロジェと申します。さあ、こちらへどうぞ」
そして案内されたのは、店の奥の方にある個室だ。
「ご注文を伺います」
「ジャック様、ここは私にお任せしてくれませんか? 絶対に損はさせませんよ?」
「じゃあ、頼んでみようかな」
「ロジェさん、アリアベール・ワンのファーストフラッシュを二つ。そして、スコーンを二つお願いします」
「かしこまりました。では、少々お待ちください」
オレは少し驚いていた。今は仮面を着けているので、オレの表情がバレることはないだろう。ホッとする思いだ。
アリアベールといえば、最高級の茶葉の産出地と知られている。だが、ワンの名を冠することを許されるのは、その年に取れた茶葉の中でも上位一割しかない。選りすぐりの茶葉なのだ。
まぁ、何が言いたいかというと、それだけ高級なお茶だということだね。王宮や貴族の屋敷ならばまだしも、まさか、言っちゃ悪いがこんな小さな店で取り扱っているとは思わなかった。
「ジャック様はアリアベール・ワンを飲んだことはございますか?」
「……ないな。普通のアリアベールならあるんだが」
嘘である。本当は飲んだことある。これでもオレはムノー侯爵家の嫡男だった過去があるからね。愛飲とはいかなかったけど、好きだった記憶がある。
でも、どこで飲んだと言われたら困るので、飲んだことがないと嘘を吐いた。
パスカルみたいないい人に嘘を吐くのは罪悪感があるけど、まぁ、これも仕方がない。
「きっと驚きますよ。なにしろ、普通は貴族の中でも裕福な方しか飲めないような代物ですから」
「楽しみにしてるよ」
「それから、この店のスコーンは最高なんです。素朴な味なんですが、小麦の味がしっかり感じられて、なんといっても付け合わせのジャム。これが最高なんですよ」
にこにこ顔で本当に楽しみな顔で語るパスカル。
パスカルとは今日会ったばかりだけど、こんな顔で笑うとは思わなかったな。それに、そのしゃべりもスムーズで澱みがない。こんなにハキハキしゃべるタイプだとは思わなかった。
「それでパスカル、あの話なんだが――――」
「それでしたら、お茶が来てからにしましょう。まずはここのお茶とスコーンを楽しんでください。きっとジャック様も気に入ると思いますよ」
「ふむ……」
本当は早くしゃべりたいんだがなぁ……。
まぁ、アリアベール・ワンは貴重なものだし、パスカルがこれだけ絶賛するスコーンだ。それを楽しんでからでも遅くはないか。
その時、個室にノックの音が飛び込んでくる。
「どうぞ」
「失礼いたします」
どうやら注文が届いたようだ。
「お待たせいたしました」
先ほどの老人、ロジェがオレの前にティーカップとスコーンが二つ乗った小皿を置く。
懐かしい紅茶の香りが鼻をくすぐる。
「はぁ……」
思わず深いため息が漏れてしまうほどいい香りだ。これでこそアリアベール・ワン。その暴力的なまでの格調高さは健在だった。
なぜか幼いエグランティーヌの姿が頭を過った。