軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

新しい街、新しい家族

夜がゆっくりと帳を下ろし始めた頃、乗合馬車はついにアードベルの街に到着した。

「おお、着いたぞ」

御者の声に、リーナは馬車の窓から外を覗く。街の明かりがちらほらと灯り始めている。石造りの建物が立ち並ぶ大通りには、まだ人の往来があった。

「思ったより遅くなっちゃったわね」

アンナが苦笑いを浮かべる。

「魔物に襲われたり、焼き鳥を食べたりで、予定より随分と」

「でも、良い経験じゃったじゃないか」

マルクが振り返る。

「リーナちゃんの料理の腕前もわかったし、ジュードさんとも知り合えた」

リーナは頷きながら、窓の外に目を向ける。クラリス王国の王都ほど華やかではないが、ブランネル王国第二の都市と呼ばれるだけのことはある。人口は五万人ほどと聞いた。地方都市特有の温かみのある街並みが夜の闇に浮かび上がっている。

「あ、あれが騎士団の建物ね」

アンナが指差す方向に、立派な石造りの建物が見える。ブランネル王国の紋章が掲げられ、窓からは明かりが漏れていた。

「ジュードさんも、あそこで働いているのね」

リーナは小さくつぶやく。森で出会った騎士の顔を思い浮かべながら。馬車は商業区域で停車した。三人は荷物を持って馬車を降りる。

「リーナちゃん、今夜は私たちのところに泊まりなさい」

アンナが自然に提案する。

「でも、ご迷惑を……」

「迷惑なんてとんでもない! 一週間一緒に旅した仲じゃないの」

「そうじゃそうじゃ。もう家族みたいなもんじゃからな」

マルクが温かく笑う。夜風が頬を撫でていく。

「こっちよ、リーナちゃん」

アンナに手を引かれ、大通りから一本入った路地を歩く。石畳の道は狭いが、両側に並ぶ建物からは生活の温かみが感じられる。

「ここが私たちの店よ」

アンナが誇らしげに指差したのは、路地の奥にある小さな二階建ての建物だった。「アンナの食卓」と書かれた木製の看板が、街灯の明かりを受けて温かく光っている。看板の文字は少し色褪せているが、それが逆に長年愛され続けてきた証拠のように見える。窓辺には小さな花が飾られており、建物全体から家庭的な温かさが伝わってくる。

「素敵なお店ですね」

リーナが素直に感想を述べると、アンナは嬉しそうに微笑んだ。

「三十年間、この店をやってきたのよ。小さいけれど、私たちの大切な場所なの」

マルクが重い木製の扉を開けると、カラカラと鈴の音が響いた。店内に足を踏み入れた瞬間、リーナは温かい安らぎを感じた。小さな空間だが、木製のテーブルと椅子が整然と並び、カウンター席もある。壁には手作りの棚があり、調味料や食器が綺麗に整理されている。

ランプの柔らかな明かりが店内を優しく照らし、まるで誰かの家のリビングにいるような親しみやすさがあった。

「こじんまりとしてるけど、居心地が良いでしょう?」

「はい、とても」

リーナは店内を見回しながら答える。クラリス王国の貴族の屋敷とは正反対の、庶民的で心温まる空間だった。

「厨房も見てちょうだい」

アンナに案内され、店の奥に進む。大きなかまどがあり、その横には調理台が設置されている。棚には様々な調理器具が並んでいるが、その中でリーナの目を引いたものがあった。

「あれは……?」

厨房の片隅に置かれた、見慣れない形の大きな鍋と木製の器具。

「ああ、それね」

アンナが振り返る。

「東方から来た商人さんが置いていったのよ。『アゲナベ』って鍋と、『ムシキ』って道具。使い方がわからなくて、ずっと置きっぱなしだったの」

リーナの目が輝いた。揚げ鍋と蒸し器だ。これがあれば、料理の幅が格段に広がる。

「これ、使わせていただけますか?」

「もちろんよ。使い方、知ってるの?」

「はい、何となく……」

蒸し料理や揚げ物、懐かしい調理法だ。きっと素晴らしい料理ができるはず。

「ところで、営業はどんな感じなんですか?」

リーナが尋ねると、マルクが説明してくれる。

「昼間はお任せの定食を出すんじゃ。その日に手に入る食材で作る、一品料理。価格は銅貨五枚」

「夜は常連さん限定で、好きな料理を作るの。こちらは銀貨一枚程度かしら」

アンナが補足する。リーナは頭の中で計算してみる。銅貨一枚は前世で言えば百円程度の価値だろうか。昼の定食が五百円、夜のお任せが銀貨一枚で千円程度。地方都市の家庭的な食堂としては、とても良心的な価格設定だ。

「お客さんは近所の職人さんや商人さんが多いのよ。鍛冶屋のハンスさん、市場のベラさん、大工のトムさん……みんな、もう二十年以上の付き合いなの」

「家族みたいなものじゃな」

「地方都市だから、王都のような高級店は向かないの。美味しくて安い、家庭的な料理が一番よ」

リーナは頷きながら聞いていた。価格設定も手頃で、地域に根ざした経営方針。きっと多くの人に愛されているのだろう。

「でも、私たちももう年だからね」

アンナが少し寂しそうに言う。

「隣町の息子のところに行く予定なの。だから、後を継いでくれる人を探していたのよ。それじゃあ次ね。実は二階に部屋があるのよ」

狭い階段を上がると、小さいながらも快適な住居空間が広がっていた。

「ここがリビングで、あちらが私たちの寝室。そして、この部屋が空いているの」

アンナが案内したのは、街向きの窓がある六畳程の部屋だった。ベッドと小さな机、本棚が置かれており、清潔に保たれている。

「息子が小さい頃使っていた部屋なの。もう十年も空いているけれど、時々掃除していたから綺麗よ」

窓からは街の夜景が見える。商店や家々の窓から漏れる明かりが、まるで星のようにきらめいている。

「今夜だけのつもりだったけど……」

アンナが少し考えるように言う。

「リーナちゃんはこれからどうするの? 行くところが決まってないなら、よかったらここに住まない?」

「え?」

リーナが驚く。

「店の手伝いもしてもらえるし、私たちも心強いわ。それに……」

アンナが温かく微笑む。

「一週間の旅で、リーナちゃんがどんな子かよくわかったもの。優しくて、一生懸命で……あの森でのこと、マルクを庇って飛び出したでしょう? あの時、この子は本当に良い子だって確信したの」

「そうじゃな。危険を顧みず、人を守ろうとする心根の優しさ。それが一番大切なことじゃ」

「だから遠慮しないで。ここは、もうリーナちゃんの家でもあるんだから」

リーナの目に涙が滲んだ。生まれて初めて、本当の家族のような温かさに包まれている気がした。

「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」

「部屋代なんて取らないから安心して。その代わり、店の手伝いをお願いするわね」

「はい! 喜んで!」

その夜、リーナは自分の部屋で窓から街を見下ろしていた。夜の静寂の中、遠くから時々笑い声が聞こえてくる。どこかで宴会でもしているのだろうか。街全体が温かい生活の息づかいに満ちている。クラリス王国の冷たい屋敷とは全く違う、温かい街だった。

(明日からは、いよいよ本格的に料理ができる)

フェングリフの肉はジュードが解体業者に預けてくれているはず。醤ジャンについても明日聞いてみよう。そして、あの東方の調理器具。蒸し器と揚げ鍋があれば、この世界の人たちがまだ知らない料理を作ることができる。

唐揚げ、蒸し料理、出汁を使った煮物……。前世の記憶と、フェングリフを見た時に浮かんだあの不思議な文字の力を合わせれば、きっと素晴らしい料理ができるはず。

(みんなに喜んでもらえる料理を作りたいな)

窓の外の夜景を見つめながら、リーナは心に誓った。アンナとマルク、そしてこれから出会うであろう常連客たち。森で出会ったジュードも、きっとまた来てくれるだろう。みんなの笑顔のために、心を込めて料理を作ろう。

「明日から頑張ろう」