作品タイトル不明
初挑戦・フェングリフ唐揚げの奇跡
朝日が街の屋根を照らし始めた頃、リーナはすでに「アンナの食卓」の厨房で火を起こしていた。かまどの前にしゃがみこみ、薪に火をつける。乾いた木がパチパチと音を立て、ようやく炎が安定してきたところだった。
「おはよう、リーナちゃん。随分と早いのね」
階段から降りてきたアンナが、火の番をするリーナを見て目を細める。
「おはようございます、アンナさん。今日はちょっと特別なことをしたくて」
「特別な?」
「はい。昨日、ジュードさんが預けてくださった魔物の肉を受け取りに行くんです。それと、調味料のことで確認したいことがあって」
「調味料?」
「 醤(ジャン) ってご存知ですか?東方からの輸入品で、ちょっと変わった香りのあるものです。聞いたことだけはあって……ひょっとしたら、肉料理の下味に使えるかもしれなくて」
アンナが少しだけ首をかしげた。
「名前は聞いたことがあるわね。高級品で、ほんの少しつけるだけっていう」
「やっぱり。あの香りと塩気、調理に使えば新しい味になる気がするんです。でも実際に試してみないと分からないから……できれば仕入れという形で、少量だけ貸していただけませんか?もしうまくいったら、ちゃんとお返しします」
リーナの真剣な表情に、アンナの顔がほころぶ。
「ふふ、そんなに目を輝かせて。いいわよ、私たちもあなたの料理、楽しみにしているのよ」
「ありがとうございます!」
リーナは深々と頭を下げた。
「おーっす、リーナ! 早いな~」
解体業者の作業場に着くと、ジュードが陽気に手を振ってきた。
「おはようございます、ジュードさん。昨日はありがとうございました」
「堅い堅い。昨日みたいに気軽にいこーぜ」
作業場の奥から、大柄な親方が大きな包みを持って現れる。
「嬢ちゃん、昨日の肉だ。皮と骨は分けてあるが、こっちは正真正銘の肉だぞ」
包みを広げると、ふっくらとした白い肉塊が現れた。鶏肉に似ているが、もっときめ細かい。リーナの視界に、あの不思議な文字が浮かび上がる。
『フェングリフ』
『部位:胸肉』
『品質:上級』
『調理法:唐揚げ、ローストに最適』
(やっぱり……これは絶対に美味しい)
「これ、おいくらになりますか?」
「いや、お代はいらねぇよ。普通なら捨てるもんだしな。ただし……」
親方が真剣な目で見つめてくる。
「万が一、変なことになっても知らねぇぞ?」
「はい、責任は私が持ちます」
リーナのまっすぐな返答に、親方はあきれたように肩をすくめた。
「変わった子だなぁ……まあ、食い物への情熱は本物だな」
「ところでさ、 醤(ジャン) って知ってる?」
肉を受け取ったあと、リーナが声をかける。
「東方の調味料だっけ? つけダレくらいにしか使わないって話だけど?」
「実は、あれを肉の下味に使えないかと思っていて」
「下味? そんな使い方、聞いたことないな」
「香りが強いから、少量でも肉に深い味がつくはずなのよ。それで試してみたくて」
ジュードが腕を組んで唸る。
「なるほどな。そういう発想、面白いかも。だったら、騎士団が使ってる輸入商人のとこ、案内してやるよ」
「ほんと? ありがとう!」
ジュードの案内でたどり着いたのは、やや高級感のある輸入品専門店だった。
「いらっしゃいませ。ジュード様のご紹介でしたら、どうぞご遠慮なく」
応対に出たのは、整った髭をたくわえた中年の店主だ。
「 醤(ジャン) を少し、料理に使いたいのですが……」
「 醤(ジャン) ? ああ、ございますよ。高級品ですが、どのくらい必要ですか?」
「ほんの少しで構いません。肉の下味に使ってみたくて」
「下味、ですか……?」
店主が目を細める。
「珍しい使い方ですね。小瓶ですと銀貨三枚になりますが」
「に、三枚……!」
思わず声が漏れる。たったひと瓶で三千円相当。気軽に買える額ではない。
「もう少し小さいものは……?」
「ではこちらのミニ陶器入りで銀貨一枚になります」
リーナは、マルクから借りた銀貨を差し出し、小さな器を受け取った。中には、深い琥珀色の液体が少量入っている。香りを嗅ぐと、濃厚で、どこか香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「ありがとうございます。どんな味になるか、今度ご報告しますね」
「料理に 醤(ジャン) を使うなど、聞いたことがありませんでした。成功を祈っていますよ」
店主が丁寧に見送ってくれる。
「ただいま戻りました」
厨房へ入ると、マルクが心配そうに振り向いた。
「おかえり、リーナちゃん。その荷物……まさか?」
「はい。フェングリフの胸肉です。今日はこれを使って、新しい料理を作らせていただこうと思います」
「おお、昨日の焼き鳥とは違うのかい?」
「はい。今日は『唐揚げ』という揚げ物に挑戦します」
リーナは、厨房の棚に仕舞い込まれていた大ぶりの鍋を引っ張り出す。東方から渡ってきたという、底の深い鉄製の鍋。アゲナベと呼ばれている。
「これ、使うのかい?」
「はい。この鍋がないと、うまく揚がらないんです」
リーナは手早く準備を始めた。まずは肉の下処理。フェングリフの胸肉は驚くほどしっとりとした質感で、包丁の
刃が吸い込まれるように入る。
「……この感触、絶対美味しい」
一口大に切り分けた肉をボウルに入れ、小瓶の 醤(ジャン) を慎重に注ぎ、水でほんの少し薄める。おろした生姜と刻みにんにくも加えて、手で揉み込みながらなじませる。鼻先に広がる、香ばしくて少し甘いような独特の香り。塩気と旨味が、肉の奥まで染み込んでいくようだった。
「さて、ここで少し寝かせます」
その間に、衣の準備。片栗粉がないから、小麦粉だけまぶすか、水で溶いて粘度を調整するか、何通りか試してみるつもりだった。
「さて……油の温度はどうかな」
アゲナベにたっぷりと油を注ぎ、かまどの火にかける。菜箸代わりの木の棒を差し入れると、先端に細かい泡が浮かび上がった。
「うん、これくらいかな」
一切れの肉に粉をまぶし、油へとそっと落とす。
ジュワッ!
心地よい音が響き、油の中で衣が花のように広がった。
「いい音!」
火の勢いに気をつけながら、揚げ色を見極める。表面がきつね色になったところで一度引き上げ、しっかり油を切る。だが、次の一切れは焦げ気味になってしまった。
「うっ……ちょっと火が強すぎたかも」
慌てて薪をずらすが、火力の調整は難しい。三つ目、四つ目は逆に温度が下がりすぎ、衣がべちゃりとした食感に。
「うーん……どうしたら……」
額に汗が滲んできた頃、店の扉が鳴った。
「邪魔するぜー」
入ってきたのは、筋骨たくましい大柄な男。作業着に木屑がついている。どうやら職人らしい。
「あの、今日はまだ準備中で……」
「ああ、トムじゃよ。大工のトム」
マルクさんが紹介してくれる。
「新しい料理人かい? 随分と若いね」
「はい、リーナと申します。よろしくお願いします」
「おう、よろしくな。それにしても、なんだこの匂い。うまそうだな」
焦げもあったはずなのに、店内には確かに食欲をそそる香ばしい香りが漂っていた。- 醤(ジャン) の香りが、油と混ざり合って深みを増している。
「火加減がうまくいかなくて……」
リーナが困っていると、トムがかまどに目を向けた。
「火なら任せとけって。薪の組み方と風の通し方で、温度を安定させられる」
トムが手際よく薪を並べ直すと、炎の勢いが落ち着き、鍋底の油の泡が均一に踊り始めた。
「……すごい! ありがとうございます!」
リーナはもう一度、衣をまぶした肉を油に落とす。今度はじゅわっと控えめな音を立て、泡が穏やかに弾けた。
「この音……いい感じ!」
きつね色に染まった唐揚げを引き上げると、カリッとした衣が表面にしっかりと張り付き、湯気とともに香ばしい匂いが立ちのぼった。
「できました!」
黄金色に輝く唐揚げが皿に並ぶ。その場にいた全員が、思わずごくりと喉を鳴らす。
「ほんとに……これ、魔物の肉なのかい?」
トムが目を丸くして聞いた。
「はい。フェングリフという、鳥型の魔物です」
「まあ……試してみるか」
トムが一口、齧った。
「……うっま!! なんだこれ、鶏肉より柔らかくて、味が濃い!」
「でしょ!?」
マルクも続いて一口。
「おお、サクサクなのに中はジューシー……こりゃ驚いた。昨日の焼き鳥も良かったけど、これはまた別格じゃ!」
その時、扉がもう一度開いた。
「よう、からあげってやつ、できたか?」
入ってきたのはジュードだった。
「ジュードさん!」
「いい匂いにつられてきたよ。成功したっぽいな?」
「うん! トムさんに火加減を教えてもらって、なんとかここまで……!」
「トムさん?」
「ああ、大工のトムだ。お前さんは……騎士か?」
「騎士団のジュードだよ、よろしく!」
「騎士団の人がなぜここに?」
「森でリーナの焼き鳥食べさせてもらったんだよ。それがマジで絶品で」
「焼き鳥?」
話を聞いたトムさんが目を輝かせる。
「他にも魔物料理を?」
「まだ焼き鳥と唐揚げだけですが、これからもっと色々と」
「楽しみだなあ。魔物の肉がこんなに美味しいなら、食材費も安く済みそうだ」
確かに、廃棄されている肉を有効活用できれば、店の経営にも家庭にも良い影響がある。
「さあ、どうぞ」
「いっただきまーす」
ジュードが口に含んだ瞬間、表情がゆるんだ。
「うわっ、なにこれ……サクッとしてて、中がとろけそう。うますぎ」
「下味に 醤(ジャン) を使ったんです。香りが残ってるでしょう?」
「それだ! 香ばしいのに、くどくない。こりゃ他の料理にも応用できそうだな」
その会話を聞いて、アンナも奥から顔を出した。
「あら、唐揚げができたの? ちょっと味見させてね」
一口食べると、彼女の目がぱっと見開かれる。
「っ! うそみたいに美味しい……」
リーナの胸に、喜びがふくらんでいった。その後、噂を聞きつけた近所の人たちが、次々と店にやって来る。
「魔物の肉が美味しいって、本当かい?」
「私も試してみたい!」
最初は半信半疑だった人々も、一口食べると一様に目を見張った。
「これは……革命だな」
「信じられない……捨てていたなんてもったいない!」
あっという間に、最初に作った分は完売。
「すみません、材料がもう……」
「明日もやるのかい?」
「はい。よろしければ、また」
「じゃあ予約してくよ!」
「俺も!」
次々と予約が入り、厨房は活気に包まれていた。
「リーナちゃん、すごいじゃない!」
アンナが目を細めて笑った。
「こんなに人が集まるなんて、久しぶりよ」
「本当ですか?」
「ええ。あなたのおかげね。ありがとう」
夕方、片付けを終えた厨房で、ジュードが言った。
「なあリーナ。騎士団にも紹介してみないか?」
「騎士団に?」
「魔物討伐のあと、捨ててた肉がこれだけ美味いなら、有効活用できる。団の財政にも良い影響があるし、なにより……俺たちがうまいもん食えるしな!」
「ふふっ……それは大事だね」
「そのうち団員連れてくるから、よろしくな」
「うん、楽しみにしてる!」
「それと、俺のことはジュードな! 『さん』はいらねーよ」
「分かった! ジュード!」
ジュードが帰ったあと、リーナは二階の自室で窓辺に腰を下ろした。今日一日、必死だったけど、それ以上に楽しかった。
「この国に来て、本当によかった」
小さくつぶやいて、リーナはゆっくりと目を閉じた。明日はもっと美味しい唐揚げが作れるかもしれない。いや、きっと作ってみせる。