作品タイトル不明
騎士団料理長 ロドリック
これは、リーナが団長に片栗粉の説明に行く三日前の話。
騎士団の中にある厨房の扉を開けた瞬間、リーナは目を疑った。
「な、なんでみなさん倒れてるんですかーっ!!?」
厨房の床は白い調理服を着た男たちで埋め尽くされていた。
壁際で膝を抱えて震える者。
『もう……フライパンなんて握れない』と虚空を見つめて涙を流す者。
そして、その中心に仁王立ちするロドリック。
(何が起こっているの……これは)
「――リーナさんか」
「ひぃっ! ち、違います。私じゃありません」
振り返らずに名前を当てられ、つい動揺して意味の分からない否定を口走ってしまった。
ロドリックがゆっくりと振り返る。
「……何が違うんだ?」
「あ、いえ……その、すみません。つい、うっかりと」
「……?」
ロドリックが怪訝そうに眉をひそめる。リーナは視線を彷徨わせ、足元で力尽きている若い料理人を指差した。
「そ、それで、この惨状は一体……? なにが起こっているんです?」
「ああ、これか……こいつらは、自分の舌に溺れた『犠牲者』だな」
「舌に、溺れた?」
意味が分からない。リーナがオウム返しに問うと、ロドリックは冷ややかな目で足元の若手を見下ろした。
「昼の片付けが終わった後は、余った食材で若手たちに試作品を作らせている。一種の自由研究だな」
ロドリックが、ぴくぴくと痙攣している若手の傍らにある皿を顎でしゃくる。
「どいつもこいつも、己の舌を過信しすぎる。今日は特にひどかったな」
「己を過信……?」
「見れば分かる」
ロドリックが、壁際で震えている若者の皿を指差した。
「あれは鶏肉の煮込みだ。最初は塩と香草だけで作っていた」
「……はい」
「途中で『もう少し深みが欲しい』と言い出して、蜂蜜を足した。次に『酸味も欲しい』と酢を足した。さらに『香りが足りない』とハーブを三種。仕上げに『コクが足りない』とバターを山ほど」
皿の上には、茶色いどろりとした何かが乗っている。
「……それで、お味の方は」
「甘いのか、酸っぱいのか、しょっぱいのか。本人にも分からなくなったそうだ」
若者がうつろな目で呟いている。
「足せば足すほど……良くなると……どこで間違えたんだろう……最初に戻りたい……」
足し算の誘惑。わかる。すごくわかる。もうちょっと、もうちょっとと足していくうちに、迷子になる。
「あちらは?」
調理台に突っ伏している若者を指差すと、ロドリックの眉間の皺が深くなった。
「あいつは、成功してるんだがな」
「成功したのに、なんで倒れてるんですか?」
「二度目が作れなかった」
若者の前には、二つの皿があった。片方は、皮目がパリッと香ばしいきつね色に焼かれた肉。その横には、ベリーを煮詰めたような艶やかな深紅のソースが添えられている。
もう片方も同じように焼かれた肉だが、ソースが違った。先ほどの鮮やかな深紅とは違う、どこか黒ずんだような紫色のソースがかかっている。
(ベリーはベリーでも、種類を変えたのかな? こっちはブルーベリーとか?)
「一皿目は素晴らしい出来だった。焼き加減も、ソースも完璧だと私も認めた」
「……それで?」
「二皿目を作らせた。同じものを作れと」
「あ」
「調味料を目分量で入れていたんだな。結果がこれだ。見た目だけではなく、味もぼやけてしまっている。……もったいないな」
(厳しい……でも、正しいんだよね)
一度きりの成功は、運でしかない。再現できなければ、プロとして失格だ。
「それで? リーナさんは何をしに来たんだ?」
「そうでした! ジャガイモの活用法を団長に提案しようと思ってまして……それでちょっとご相談が」
「……ここでは落ち着かないな。奥へ行こう」
ロドリックはリーナの抱える麻袋を一瞥すると、奥にある部屋へと促した。
(今日のロドリックさん、ちょっとピリピリしてるな。下手な提案したら私も転がる羽目になる……? が、頑張ろうっと)
***
奥の部屋はこじんまりとした調理場だった。調理台が一つと、最新の魔石式コンロが並んでいる。棚には鍋や器具が、持ち主の几帳面さが窺えるほど整然と並び、壁には包丁がかけられていた。道具への愛着と、手入れの良さが一目でわかった。
「ここは?」
「私の調理スペースだ」
ロドリックが調理台のスペースを空け、リーナに場所を譲った。
「それで、ジャガイモの何を団長に提案するつもりなんだ?」
リーナは麻袋を調理台に置き、その横にカゴから調味料の小瓶を並べていく。バター、塩ウミクサ、マヨネーズ、ケチャップ――そして、白い粉の入った小瓶。
「ここでは普段、ジャガイモはどのような料理で出されているんですか?」
「ふむ……茹でたものをつぶして出しているな。あとは揚げたものか。スープに入れたりもする」
(マッシュポテトとフライドポテトね。やっぱり定番か)
ロドリックの目が、興味深げに調理台の上を見渡す。
「で、その瓶に入っているものはなんだ?」
「実は……新しいものを作りまして」
リーナは小瓶の蓋を開けた。
「片栗粉、と呼んでいます」
「カタクリコ」
ロドリックが少し取って、指で擦り合わせる。キュッ、キュッと独特のきしむ音がした。
「……小麦粉とは違うな。随分と細かい。これがカタクリコ……」
「ジャガイモから作った粉です」
「ジャガイモから? ……で、何に使うんだ?」
「とろみをつけたり、衣にしたり」
「とろみ、だと?」
ロドリックの目の色が変わった。
「あなたが持ってきたのだから、きっと小麦粉とは違うのだろう? どう違うのだ?」
「透明なまま、とろみがつきます」
「……なん、だと?」
ロドリックが瓶を掴み、中身を凝視する。
「透明なまま、粘度を出せるのか? ……ということは素材の色を殺さずに済むと……なんということだ!」
「そうです! それがキラキラしてきれいなんですよ!」
ロドリックが喉を鳴らした。その目は、もうここにはない。遠くを見つめている。
(料理人ってそうなるよね! 分かるわぁ)
もう頭の中で何かを作り始めているのだろう。さっきまでの若手を叱り飛ばしていた厳しい顔がすっかり変わっていた。
「澄んだスープにとろみがついたら――今まで『濁るから』と諦めていた料理が、これなら……」
「それに、衣にするとすごいんですよ」
「衣? 揚げ物か?」
「小麦粉より薄づきで、カリッとした食感になります。揚げても重くなりません」
「重くならない……?」
「はい。時間が経ってもべちゃっとしません」
「……素晴らしい」
ロドリックの口元が、ニヤリと吊り上がった。さっきまでの怖い顔はどこにいったのか。
「透明なとろみに、軽い衣。……また、とんでもない『粉』を持ってきたな」
彼はもう、試したくてたまらない様子で袖をまくり上げている。
「すぐに見せてくれ。まずは何を作る?」
「片栗粉の前に、まずジャガイモ料理をいくつか。茹でたり、揚げたり、煮込んだり――色々作ろうと思ってるんですけど、お付き合いいただけます?」
「……もちろんだ。あなたのことだから、面白い料理がたくさんあるんだろう?」
(そりゃもちろん、ロドリックさんが気に入ってくれる料理用意してますとも! 今日はどんなロドリック語録が出てくるのか今から楽しみですよ)
「では、始めましょうか」
リーナは袖をまくり上げた。