作品タイトル不明
片栗粉の魔法~つなぎ編~
目が覚めるとリーナはベッドから飛び起きた。
窓の外はまだ薄暗いけれど、夜明けまで待つことなど出来なかった。寝起きのまま厨房へと駆け込み、調理台の上に置いた平皿に手を伸ばす。かけておいた布をそっとめくると――白い粉が現れた。
指先でそっと触れる。
さらさらさら。
「……出来てる」
カラカラに乾いて、真っ白。前世では当たり前に使っていた片栗粉。
もう一度、指で触れる。少しつまむときゅっと固まる。何度触っても、ちゃんと片栗粉だ。
「やったぁぁぁ!!」
思わず両手を高く突き上げた。誰も見ていないから三回やった。今までの苦労を思えば、はしゃいだっておかしくない。
今すぐこれを使って料理をしたいが、窓の外を確認して我に返った。もうこんな時間だ。仕込みを始めないと、昼の営業に間に合わない。
片栗粉に布をかけ直しながら、今日の段取りを考えた。
午前中は仕込みと昼の営業。それが終わったら、いよいよこの片栗粉を使った料理に取りかかることにしよう。
今日作りたいものは二つ。芋もちと、大根のそぼろあんかけ。
芋もちは、片栗粉を「つなぎ」として使う。潰したジャガイモに混ぜて焼けば、もちもちの食感になるはず。
大根のそぼろあんかけは、片栗粉で「とろみ」をつける。
シチューのような煮込み料理なら、この国にもある。あれは小麦粉を使った、白や茶色のぽってりとした「とろみ」だ。
リーナが作りたいのは熱を帯びるほどに澄み、すくい上げると艶めいた光がとろりと尾を引く――「あん」
ジュードに説明した、あの美しい変化を実際の料理として食べてもらいたい。
二つとも成功させて美味しく作りたい。
そのためには片栗粉をどのくらい使うか、ちゃんと考えないと。
平皿の上の白い粉を見つめる。ジュードと二人で、あれだけのジャガイモをすりおろしたのに、これだけ。
ものすごく貴重だ。今日、全部使い切るわけにはいかない。うまくいったら、また作ればいい。
……また作る。
(あれをまたやるのか……)
リーナは小さくため息をついた。ジュードが手伝ってくれたから何とかなったが、一人でやるにはなかなか骨が折れる。
(まあ、それはあとで考えよっと! まずは昼の営業頑張らないと!)
昼の営業は、いつも通り……に、いくはずだった。
料理を作り、運ぶ間もリーナの頭の中は片栗粉のことでいっぱいだった。
芋もちには、どのくらい入れればいいのだろうか。
あんかけのとろみは、どのくらいの濃さがいいのだろうか。
そんなことを考えながら皿を運んでいたら、危うくつまづきそうになった。
「おっと」
慌てて体勢を立て直す。
「リーナちゃん、大丈夫?」
常連のトムが心配そうに声をかけてきた。
「あ、はい。大丈夫です。すみません」
「なんかぼーっとしてるが、疲れてるのか?」
「いえ! ちょっと考え事を……」
トムは顔をくしゃっとさせて笑った。
「無理しないでくれよ? リーナちゃんの飯がないと午後から力が出ないんだから」
「ありがとうございます」
リーナは頭を下げて、厨房に戻った。
集中しなければ。客の前で転んだりしたら大変だ。
でも厨房に戻ると、また片栗粉のことが頭をよぎる。
(ジャガイモ、茹でとこうかな。昼の営業終わったら、すぐに芋もち作りたいし)
鍋に水を張り、ジャガイモを入れて火にかけた。煮込み料理の横で、コトコトと茹でておく。
昼の営業を終え、片付けを済ませると、リーナは厨房に籠もった。
まずは芋もちから。
茹で上がったジャガイモを鍋から引き上げ、ボウルに移す。湯気がもうもうと立ち上がり、ほんの少し土の香りが鼻をくすぐった。
熱いうちに皮を剥かなければ。
布巾でジャガイモを包むようにして掴む。
「あつっ!」
布越しでも熱が伝わってくる。それを我慢して、親指で皮を押しずらす。つるりと気持ちよくめくれた。冷めると身にくっついてしまうから、手早くやらなければ。
木べらを手に取り、ジャガイモを押しつぶしていく。そこへ、片栗粉を加える。
(どのくらい入れればいいんだろう)
平皿から、少しだけ取り分けた片栗粉を見つめる。前の世界では、こんなこと考えずに適当に入れていた。でも今は、この粉がどれだけ貴重か知っている。
まずは少なめに。
また少し足して、混ぜる。まだぼそぼそ。
もう少しだけ。
こねるように混ぜていくと、手応えが変わり始めた。生地がだんだんまとまってくる。木べらにくっつかなくなって、一つの塊に。
手で触れてみる。
ふにっと指が沈む。耳たぶくらいの柔らかさ。弾力があって、でもべとつかない。
「うん、これなら丸められそう」
生地を取り、手のひらで転がす。平べったい丸形に整えて並べていく。
八個ほど作ったところで、フライパンを火にかけた。
油を薄くひいて、芋もちを並べる。
じうじう。焼ける音に混じって、底の方で油がぱちぱちと細かく弾けている。
焼き色がついたら、ひっくり返す。おいしそうなきつね色だ。
中まで火を通すために蓋をして、じっと待つ。
(……そろそろかな?)
音が少し湿ったものに変わった頃に蓋を開けた。ふわぁっと真っ白な湯気が上がる。
ここからが仕上げだ。
バターを落とす。フライパンの上で転がすと、シュワァ……と音を立てて、通った跡からきめ細やかな泡が立っていく。
最初はふわりと、ミルクの甘い香り。ほどなくして熱されたバターが色づき、たまらない香ばしさが混ざり始めた。
空気が一気に変わる。芋もち全体にバターを絡めたら、フライパンのふちから 醤(ジャン) を回し入れる。
ジュワァァッ!
熱されたフライパンに触れた瞬間、激しい音がして香ばしい湯気が吹き上がった。
バターと少し焦げた 醤(ジャン) 。二つの香りが混ざり合い、強烈に食欲を刺激する。
一つ、皿に取る。
ふうふうと息を吹きかけて、ひと口。
外はカリッ。中はもちもち、ほくほく。バターの風味と 醤(ジャン) の香ばしさが口の中に広がって、ジャガイモの優しい甘さが追いかけてくる。
「くぅっ……!」
あまりの美味しさに一度目をぎゅっとつむり、それからふにゃりと頬をゆるませた。片栗粉を入れたおかげで、ジャガイモがお餅みたいになった。つなぎとしての力は、ちゃんと発揮されている。
残りは誰かに食べてもらうとして。
口の中に残るバターと 醤(ジャン) の余韻を楽しみながら、リーナはまな板に向き直った。
次は「つなぎ」じゃない。
片栗粉のもう一つの力――「とろみ」への挑戦だ。