作品タイトル不明
片栗粉リベンジ
「じゃあ、行こっか」
リーナがベッドから足を下ろそうとするのと、ジュードが手を伸ばしたのはほぼ同時だった。
「……おい、無理すんなって」
「大丈夫だよ。もうすっかり元気」
そう言って、リーナは軽やかに立ち上がって見せた。
確かに、顔色は悪くない。さっきまでの会話のテンポもいつも通りの彼女だ。
だが昨日、店で倒れていたリーナを見つけた時の光景が、ジュードの頭から離れない。呼んでも揺すっても起きなくて、本当に心臓が止まるかと思ったほどだ。
「ほんとに大丈夫?」
「うん。ジュードが見ててくれるんでしょ?」
なんの疑いもない瞳で見上げられて、ジュードは言葉を詰まらせた。そんな顔をされては、頷くしかない。今日は絶対に無理をさせない。心の中で固く誓い、ジュードはリーナの後ろを少し離れて歩く。
足取りはしっかりしている。ふらつきもない。本当に回復したらしい。
途中からリーナの口から小さな鼻歌が漏れ始めた。
聞いたことのない、楽し気な旋律。歌詞らしき言葉も聞こえるが、ジャガイモがどうとか、コロッケがどうとか、最後はキャベツ……意味までは掴めない。
「……不思議な歌だな」
「ん? これはね、コロッケを作る歌なんだよ」
「コロッケ?」
「うん、ジャガイモが主役の、とびっきりのご馳走だよ。美味しいんだから!」
また知らない料理名だ。けれど、それを語るリーナの声が弾んでいるだけで、ジュードの強張っていた肩の力が抜けていくのが分かった。
(あんなに心配かけたってのに……もう次の料理のことかよ)
呆れながらもどこかほっとしている。彼女の楽しげな背中を見ていると、こちらの気分まで浮足立ってくるのだからたちが悪い。
「どうなってるかな……」
祈るように覗き込み――その華奢な肩が、がくりと落ちた。
「やっぱりダメか」
ジュードも後ろから覗き込む。
水は白く濁っている。よく見ると底にはうっすらと何かが沈殿している。
「手順が違ったのかな」
リーナが独り言のように呟く。
「すりおろしが粗かったのかな。それとも水に晒す時間が足りなかった?」
真剣な眼差して、濁った水面を見つめている。
料理のことになると、彼女はこうだ。それが魅力の一つではあるが、昨日みたいに倒れられてはたまらない。
「じゃ、もう一回やってみようぜ」
意識的に明るく声をかけると、リーナがハッとして顔を上げた。
「でも、すりおろすのにすごく力がいるし……」
「力仕事なら、適任がいるだろ?」
ジュードは自らの腕をポンと叩いて見せた。
「騎士っていうのは、こういう時のために鍛えてるんだよ。お役に立たせてください、お嬢様」
ジュードが胸に手を当てて一礼すると、リーナが破顔した。
「ふふ、ありがとう」
その笑顔を見て、ジュードの胸が微かに脈打つ。リーナのためにも、ここは格好良く決めたいところだ。
リーナが厨房の隅で紙にペンを走らせ、手順を整理し直す。
昨日の失敗を踏まえ、より慎重に。準備が整うと、調理台には洗ったばかりのジャガイモが山と積まれた。
ジュードはおろし金を手に取り、一つ目の芋を握った。
「よし、任せろ」
ジャリジャリジャリジャリ。
一定のリズムでおろし金を動かす。
騎士団で鍛えた腕力が、こんな時に役に立つとは。次々とジャガイモがすりおろされていく。
「すごい……私、昨日あんなに苦労したのに」
リーナが目を丸くして手元を見つめている。
「鍛え上げた筋肉は嘘をつかないんだよ」
少し大げさに言うと、リーナがクスッと笑った。
「はいはい、頼りにしてます」
その笑い声が、なんだか嬉しい。ジュードは調子に乗って、さらにペースを上げた。
「はい、次!」
「はい!」
リーナが次のジャガイモを渡してくる。二人の呼吸は面白いほど合っていた。
「よし、これくらいでいいか?」
「うん、十分! ありがとうジュード」
うっすら汗をかいたジュードがそう声をかけると、リーナはすりおろしたジャガイモを布巾で包んで、水を張ったボウルの中へと入れる。両手で、ぎゅっぎゅっと揉み始めた。
「これを沈殿させるのか? 時間は? どのくらいかかるんだ?」
「うーん、多分一時間ぐらいだと思う」
「じゃあ、休憩だな」
ジュードは近くの椅子を引き寄せ、リーナの肩を強引に押して座らせた。
「え、でも……」
「いいから。病人はおとなしくしてること」
口を尖らせるリーナに、汲んでおいた水を差し出す。
「病人ではない気がするけど……ありがとう」
コップを受け取ったリーナは、ゴクゴクと喉を鳴らした。
ほら見ろ、喉が渇いている自覚すらなかったのだ。世話が焼けるが、そこもまた彼女らしい。
「で、さっきの歌だけど」
「ん?」
「コロッケってのは、結局なんなんだ?」
その問いにリーナの瞳がカッと輝いたように見えた。
「黄金色の奇跡って感じの料理なんだよ。まず! 茹でたジャガイモを潰します。そこに炒めた玉ねぎとひき肉を加えて混ぜて、衣をつけて揚げます」
「お、おう」
「揚げたてを噛むとね、衣がサクッとして、そのあとにホロッとジャガイモが崩れて、そこにお肉の旨味が……」
リーナがうっとりと空を見上げ、空中に丸い塊を描くような仕草をする。
「……それ、今日作る?」
「ううん。今日は昨日作ったもの食べちゃわないと。それに片栗粉完成させたいし。でもいつか絶対作る!」
拳を握って断言する姿に、ジュードは噴き出した。
「そりゃ楽しみだ。期待して待ってるよ」
「うん、待ってて!」
こんな顔を見られるのなら、手伝って良かったと心から思う。
「よし、そろそろかな」
時間が経ち、リーナが弾かれたように椅子から立ち上がりボウルを覗き込む。
「あ……っ!」
その声に、ジュードも隣に並んだ。慎重に上澄みを捨てていく。水かさが減るにつれ、底に沈んでいたものが露わになる。そこにあったのは、白い層だった。リーナが言うには昨日とは明らかに違うらしい。
「見てジュード、ちゃんと層になってる!」
「おお、すげえ。こんな風になるのか、これは成功なのか?」
「まだ。もう一回水を加えて沈殿させるの」
リーナが新しい水を注ぐ。ボウルを軽く揺すって、白い塊を水に馴染ませた。
「また待つのか?」
「うん、でも今度はもっと早く沈むと思う」
リーナの言った通り、一回目よりも早く沈殿した。今度の上澄みは、さらに澄んでいる。
「よし、もう一回」
慎重に上澄みを捨てる。底に残った白い塊を指で触れると、キュッ、と硬く締まった感触が返ってくる。泥のような濁りはどこにもない。
「うん、大成功!」
リーナが振り返る。笑顔が眩しすぎる。
(んぐ! 可愛すぎるだろ)
思わず手で口を覆ったジュードに構いもせず、リーナは白い塊を丁寧に掬い取り、布の上に広げ始めた。
「これを天日で乾かせば。明日か明後日には使えるはず。これが、『片栗粉』だよ」
「で? これは結局何に使うんだ?」
真っ白の粉が、なぜそこまで重要なのか。リーナが濡れた手を拭きながら、こちらへ向き直る。
「これがあるとね、料理に魔法がかけられるの」
「魔法?」
「例えば『あんかけ』ね。この粉を水に溶いて熱いスープに入れるとね、スープがとろとろになるの」
「とろとろ……」
「とろっとしたスープがお肉や野菜にギュッて」
リーナが自分の両腕を抱きしめるジェスチャーをする。
「そうするとね、口に入れた時に旨味が舌に長く残るんだよね。膜が出来るから料理が冷めにくくなるし。これをさ、寒い見張り番の後とかに食べたら……」
――熱々のまま、具材に絡みつく濃厚なスープ。
想像しただけで、口の中に味が広がる。冷え切った身体に、熱を持ったとろみがゆっくりと流れ落ちていく感覚。
「……たまんないな」
「でしょ? 食べたくなった?」
「ああ。責任取ってくれよ? 想像しただけで腹が減った」
「任せて。これ乾いたらそれも作るから」
自信満々に胸を張るリーナ。
生き生きとして、コロコロと表情を変える彼女を見ていると、倒れていた姿が嘘のようだ。
「……ありがとうな、リーナ」
「え?」
「いや、なんでもない」
リーナがきょとんとしている。ジュードは照れ隠しに視線を逸らした。
「ありがとうはこっちのセリフだと。一人じゃ、きっとまた失敗して泣いてたかも」
「だろ? だから言ったんだ。一人で抱え込むなよ」
「うん。これからは、ちゃんとジュードを頼る」
上目遣いにそう言われて、平静を装ったが耳が赤くなっている気がする。
ジュードはガシガシと少し乱暴に自分の頭を掻いてから、調理台の上の白い粉に目を移した。
「明日が待ち遠しいな」
「うん!」
この笑顔を守るためなら、芋の百個や二百個、すりおろすのも悪くない。
ジュードはすりおろしに使った筋肉を撫でながらそう思った。